ねこたま (01.05.13.)

 

 普段は朝食には目玉焼きなり卵焼きなりをつけるんだけど、その日は生卵だった。別に大した理由はなかったんだろうと思う。
 他には硬くてあんまりおいしくないアジのみりん干しとか、輪切りにしたトマトとか。味噌汁もあったけど、具が何だったかは覚えていない。
 で、その辺のおかずを突つきつつ、僕は卵を器に割り入れようとしたんだけど。

「にゃあ」

 そのガラスの小鉢の中には透明な白身とか黄色くて表面の膜にちょっとシワがあったりする黄身とか白くてへげへげしたあのカラザとかいうものはなくて、その代わりに卵大の仔猫がいた。三毛猫。

「…え?…何じゃこりゃ」
「……猫じゃないの?」
 ねーさんは至極まっとうな回答をしてくれた。
 けれど正しい言葉というのはえてして無力なものだというのが歴史的事実で、この時は僕もそう感じたりしてみた。

 

 僕はその猫をとりあえずかーさんとねーさんに押し付けて大学に行った。卵から猫が出てきたというのは充分に特殊な事態ではあるけど、多分欠席の言い訳には使えない。

 

 2限目は講義がちょっと延長した。ちょっとというのは具体的には5分くらいなんだけど、学生にとってこれは由々しき問題だ。何しろ12時を5分も回ったのでは学食でイスに座って昼食をとるのはほぼ不可能だからだ。
 ちなみにイスに座るのをあきらめて学食の表でヤンキー座りしてカレーとかをもそもそと食べてみるというテがあるにはあるんだが、結局異常に込み合った学食で行列して食券を買って行列してそれを引き換えてさらにそのカレーなり定食なりの載ったお盆を込み合った学生をかきわけつつ水平を維持して運び出さないといけない訳で、その上でヤンキー座りというのはちょっと勘弁して欲しいものがある。

 結局僕は徒歩10分程の牛丼屋に行くことにした。

 注文する段になって、今朝は結局卵を食べ損ねたことを思い出し、生卵と、あと味噌汁とお新香が付く牛皿定食を食べることにした。
 僕は卵は大体溶いてからかける派なので、とりあえず卵を小鉢に割り入れようとしたら。

「みゃあ」

 プラスチックの白い小鉢の中には、やっぱり卵はなくて、今度は薄茶色のトラ猫がいた。

 

 面倒は避けたかったので僕はその仔猫、というかむしろ小猫(何しろ鶏卵に収まるサイズなんである)をシャツの胸ポケットに押し込み、そしらぬ顔で牛皿をかっこむとさっさと退出し、ついでにそのまま自主早退した。卵大の猫を連れて講義を受けるというのも色々と面倒なことになりそうだったし、語学は午前中で済んでいたから後は欠席してもどうとでもなる。

 

 家では、どうもバイトは休みらしくねーさんが猫で(少なくとも僕には「猫と」ではないようにみえた)遊んでいた。
「ありゃ、あんたまた猫出したワケ?」
 幾分呆れたような声で言う。
「出したって、別にやろうとしてやってんじゃないってば」

 で、一応牛丼屋の卵から猫が出てきたくだりについては詳細に(詳細にしても情報量がそんなに増える程複雑な話ではなかったからだけど)報告しておいた。

 そうするとねーさんはいかにもわざとらしく考え込んだ後、
「これは科学的に検証してみる必要があるね、うん」
とのたまわった。文系なんだけど。
「じゃ、あんたちょっとヤマダヤで卵1パック買ってきて」
「へ?どうして…」
「いいから」
 何考えてんだかわからないけど、言い出したらきかないヒトなので、僕は卵を買いに行く。

 ねーさんは卵のパックをあけて、中身をテーブルの上にぶちまけると、
「じゃ、まずはコレ全部回してみ?」
「だから、どうして…」
「普通の生卵かどうか調べるんでしょうが。ほらほら」

 

 生卵の中では黄身は例のへげへげであるところのカラザでもって殻につながれてはいるけどこれは柔軟性を確保したというかおよそ固定されているとは言い難いあいまいさでぷらぷらしている訳で、ガチガチのハードボイルドに固定されているゆで卵とは違って重心が定まらず、結論としては例えばテーブルの上で横向きにして回転させればフラフラとへべれけな軌道を取り、さらに同程度の外力に対するトルクもゆで卵より目視で容易に判別できるくらいに低い。だから回転によってゆで卵と生卵の判別は可能だけれど、でもスーパーで買った卵のパックにゆで卵がまぎれこんでいたという話は寡聞にして聞いたことがない。
 それを言うなら猫もあまりまぎれこまないと思うけど。

 でも殴られると痛いから分担して全部回してみた。当然生卵だ。
「じゃ、次行ってみよ」
「次って何さ」
ねーさんは一瞬、街中でセンザンコウでも見つけたような眼で僕を見ると、
「割るのよ、当然」
「はい?」
「…いいかい、今泉くん」
 ねーさんはどうもワトソンにネタばらしをするホームズのような大仰さで芝居臭く切り出した。でも古畑にはちっとも似ていない。
「今調べた通り、この卵は全て生卵です。そして特に回したときの動きが他と違うものは混ざっていなかった」
 とりあえず真似をしているのはわかるけど、あんまり、少なくとも人前でできるくらいには似ていない。でもそれを指摘するのはペンギンに「お前はペンギンだ」と言うくらい不毛だろう。
「で、これをひとつ割ってみると」
 がち。
「やぁっぱり生卵です〜。これはどういうことでしょうかつまり」
 いきなりこっちを指差すとわざとらしい間をあけてから、
「これは全て正真正銘間違いなく普通の生卵。なんですぅ〜」
 ここでねーさんは僕を、今度はビバリィ=キャンベル夫人がベティ=マレンを見るような眼で(どんな眼だ)見てから、唐突に素に戻って
「どれでもいいからひとつ割ってみ?」
 と言った。ギャラリーに不評だったと気が付いたようだ。それとも案外ただ飽きただけかもしれないし、そっちの説の方が有力な気がする。

 で、とにかく僕が卵を割ったら。

「にい」

 陶器の小鉢の中にはやっぱり猫がいた。今度のは白い。

「これで結論が出たね」
「何が」
「つまり、あんたが卵を割ると、その時点で過去に溯って事実が改竄されてその卵の中には猫がいたことになる訳よ。それが世界の選択ね」
 ねーさんはどこかで聞いたようなことを言うと、
「ぶっちゃけて言えばさ、あんたは多分魔女か何かに卵を割ると中身が猫になる呪いかけられたとかそんなとこなんじゃない?」
 などという大時代的で非科学的なことを、何だか妙に楽しそうに言った。
「ちょっとソレのどこが科学的に検証した結論なのさ」
 ねーさんは質問には答えず、
「違うんならアレよ、前世で猫を1000匹くらい殺したとかさ。まあ何にせよいいじゃん面白いし。ねぇ」

 

 …その後?割った卵は焼いて食べたよ。ねーさんが悪ノリして山椒とかタバスコ入れちゃったから味はヒドかったけど。
 猫なら家で飼っている。ずいぶん育ったけど元が鶏卵大だから今でも缶コーヒーのショート缶よりは大きいという程度だ。これはこれで可愛いけど、説明が面倒なんでなるべく人には見せないようにしている。

 そして僕はというと、あれ以来生卵は人に割ってもらって生活しているけど、特に不便はない。下宿してたらちょっと面倒だったかもしれないけども。
 ただ、ゆで卵の殻を自分で剥いた中身を想像するとかなり「怖い考え」になるのが、ちょっと嫌ではある。

 

 

補足あとがき

 パソコンで書いた最初の小説風味テキストでっす。多分去年の夏頃に大体書いてあったように思う。Wordで書いた文章をそのまま貼り付けたら何か凄いことになって焦ったです。
 要は竹本泉さんの短編漫画みたいなヘンな話をやりたいなってことだったのれすが、むう。強いて言うなら猫が出てくるあたりが多少それっぽく・・・(笑)。
 変なことに結局理由がつかないままなんとなく終わっちゃう脱力感を味わっていただければ、などと不遜なことを考えていたり。

 普通牛丼屋の玉子は最初から小鉢に割ってあるのではないかという事実にはシラを切ってます。他に外で卵を割るシチュエーションが思い付かなかったのよう(泣き言)。

 基本的にはワンアイデア(それもショボいアイデアだけど)一発勝負な訳でもっとシンプルにしたかったんだけど余分な枝葉が多いね。

 ちなみに「僕」には特にモデルはいませんし、うちの姉はこの「ねーさん」よりは普通っぽいヒトです。ついでに言うと「僕」の性別だって特定できないように書いてあるけど別に深い意味がある訳でもないね。
 あとタイトルは最初「たまごねこ」だったんですけど同名の小説があったりするので変更。でもその小説は読んでません。つかそれ見かけた本屋がもうないよ。
 それと文中のビバリィ=キャンベル夫人とかベティ=マレンとゆう人名には元ネタはありますけど、本文の内容とは特に関係ないです。出所がわかった人にはうちに余っているバンダイの1/2400ザンジバル級機動巡洋艦のキットをプレゼントします(←いらないよ)。

 

※追記

 二子多摩川だかにそのものズバリで『ねこたま』という施設が存在することをこれアップした当時は知らなかった訳ですね、つまり。まあ今更なんで改題はしませんけど、迂闊ですな。

 

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