目覚めよと呼ぶ声が聞こえ  (2004.07.11.)

 

 朝食をとっていると遠くからアラーム音が聞こえた。文字で表記すると「ピピピピッ」あたりで問題なさそうな、ありふれた目覚し時計のアラーム音。
 最初はうちの目覚ましのスイッチを切り忘れたか何かかと思ったけど、しかしその音はどうも外から聞こえるような気もする。
 「何か、音聞こえない?」
 「ん。目覚ましでしょ。あんた切り忘れたんじゃないの?」
 ねーさんはそう返してきたけれど、僕は実家暮らしのおかげで目覚まし時計を使う習慣は無いし、それ以前に僕の部屋には時計は壁掛け時計しか無い。
 ついでに言うとねーさんも目覚ましはあまり使っておらず、それ以前に決まった時間に起きる必要のある生活をしていないのだが、今日はかーさんが
 「こんな天気のいい日は早起きして卵でも食べなさい」
などと余人には理解しがたい理屈で布団をはいでしまったので、仕方なく早朝からもそもそとゆで卵を食べている。
 そのかーさんは
 「でもこれ外から聞こえてるね。どこの家だろ」
と言いつつ、ゆで卵に醤油をつけて食べるという地味に個性的なことをしている。
 「つか、うるさいね」
 僕もそう言いつつ、ゆで卵を塩で食べた。ちなみに僕は諸般の事情で卵の殻を剥けないので(どんな事情だよと思われるかもしれないが、話せば長くなるので省略させていただきたい)、これはかーさんに剥いてもらっている。慣れたとはいえ若干情けない。
 「でもこれやっぱりうちのじゃないの? あんたちょっと2階見に行ってきなよ」
 ねーさんは僕の顔を箸で指した。
 行儀が悪い。
 「うちじゃないって。だいたい、気になるんだったら自分が行きなよ」
 面倒臭いし、やっぱり外から聞こえるように思うので反論したけど、
 「黙れそして行け。ゴー!」
命令された。
 色々と思うところは無いでもないけど、例によって言い出したらきかない人なので、結局僕は2階に行ってみた(余談だけれど、うちの家は1階には台所と風呂場と客間しかなくて、寝室に使う部屋は全て2階にある)。

 けれど2階のどの部屋でも特に目覚し時計が鳴っていたりはせず、他の電気器具が鳴ったりもしなかった。せいぜい猫が半眼で
 「にゃあ」
とか鳴くくらいで、ただ窓の外からはもうアラーム音は聞こえない。

 1階に戻ってもやっぱりもう音は止んでいて、僕は朝食の続きを済ませて準備をして学校に出かけた。

 近所のバス停でバスを待っているとまたアラーム音が聞こえたので、これはまさか幻聴じゃないのか、と一瞬思ったけど、さっきのは僕以外にも聞こえているから違うだろう。たぶん。
 でも家の近くとはいえ目覚ましのアラームが聞こえる距離ではないので、多分音源は別なのだろう。音は正面のバス道路の方から聞こえるようで、なら音源は対岸の道路沿いの家なのだろうけど、窓を開けていたにしてもここまで聞こえるというのはけっこうな音量のように思う。それにしても今日は目覚ましの止め忘れが多い日だな。
 とか、ぼんやり考えていたらバスが来た。

 そして講義を半分くらい居眠りでやり過ごして帰宅してみると、ねーさんが縁側に正座して、筆を片手に何やら考え込むような顔をしていた。習字でもしているようだ。
 縁側の下にはホウキが転がっている。
 「おかえり」
などと定石っぽくボケてみたけどねーさんは無反応で、またしばらく考え込むようにしてから息をすう、と吸い込んで、半紙の上に勢いよく筆を走らせた。ねーさんが筆で書く字はおおむね達筆すぎて何が書いてあるのかわかりにくいのだけれど(ちなみに鉛筆やフェルトペンで書いた字はおおむね普通に上手いけど、何故かボールペンで書いた字だけはミミズの断末魔みたいな感じになる)、これはどうも『先割れ』と書いてあるようだ。
 意味がわからない。
 それからねーさんは筆を置いてふう、と息をはくと、
 「おう、今日は早かったじゃん」
と、機嫌よさげに言った。
 「・・・何やってんの?」
 「ああ? そりゃ書道だよ。それともあんたには私がガレージキットの原型を耐水ペーパーで磨いてるようにでも見えんの?」
 ねーさんは地味にマニアックなことを言うけど、とりあえず会話がかみ合っていない。
 「見えないし。だからそうじゃなくて、その『先割れ』って何さ」
 「はァ? あんたバカ? 先割れっつったらスプーンでしょ」
と、いつもより気持ち高めのトーンで言ってきた。アレを意識しているようだけど、まあ似ているというほどのもんでもない。
 「それとも先割れミミカキとかあるわけ?」
 無いだろう。そんなもの使ったら中耳炎になる。
 「もしくは先割れ孫の手とか」
 「最初から割れてるがな!」
 つい突っ込んでしまった。ベタベタだ。
 発言からはねーさんの意図はあまり読み取れなかったけど、よく見るとねーさんの周囲には他に『牛乳瓶』だの『米飯』だのと書かれた半紙が散乱しているので、給食から連想される言葉をてきとうに書き散らしてみた、とか、そういう線だろう。
 だとしても何故給食をテーマに習字をするのかという根本的な部分はちいとも理解できないけれど、たぶん本人だって理解してはいない。

 ・・・と。
 また音がした。目覚まし時計みたいなアラーム音。ただ、今度は外ではなく、縁側の奥の障子の内側から聞こえるような気がする。あと何故か今度は猫の声も重なっている。
 「・・・また音してるね」
 「あー、目覚ましの音でしょ? そうそう、実はちょいと愉快な話があってね。あんたには面白いものを見せてあげよう。あげましょう」
 そう言うとねーさんは僕の返事も待たずに障子を開いた。


 障子の奥の和室には、黒いプラスチックの本体に、文字盤には蛍光グリーンの塗料を使った、実にありふれた安っぽい目覚まし時計、スーパーか電気屋の特売で1000円切りそうなのがあって、
 しかしそれ自体はありふれた感じに見える時計は何故か空中でふわふわとホバリングしていた。


 そしてその時計の下にはうちの猫たちがうろうろしていて、時計を威嚇したり叩き落とそうとしたりしている。

 「・・・何これ」
 「だから目覚まし時計でしょ?」
 「いやそういうことじゃなく」
 「だから、縁側で書道の構想を練ってたのね私。したらこいつが庭先に飛んできてピコピコピコピコ耳障りったらないからさ、腹立ってホウキでぶん殴って捕獲した」
 ・・・非常識だ。ディ・モールト・有り得ない。
 そもそも時計が庭先に飛んでくる時点で相当に非常識だけど、何しろ今も目の前で時計が飛んでるという事実があるのでそれはまあ仕方ないとしよう。事実は事実だ。
 でも空飛ぶ目覚まし時計などという珍妙で怪奇な存在を目撃して、いきなりホウキで殴るか? そして捕獲するか?
 「何かボコったらさっきより静かになったしさ、猫の遊び相手にもなって丁度よかったよ」
 非常識の女王がのんきに物騒なことを言っている。というかボコったのかよ! 盲亀の浮木うどんげの花くらい有り得ない。ありえなーい。
 実際よく見ると目覚し時計は割と満身創痍な有様だった。文字盤の透明カバーなんか半分がた割れている。

 ・・・と、そのボロボロになった目覚し時計は障子が開いているのに気がついたらしく、一気に加速して僕とねーさんの脇をすり抜け、そのままどこかに飛んでいってしまった。
 「あー、あんたがぼーっとしてるから逃げられたじゃんか。でもまあ、もう飽きたからいいけどさー」
 女王はまたのんきなことを言い(ついでに割と勝手な責任転嫁もしているような気がするけど、追求するのはたぶん薮蛇だろう)、猫は猫でもう満足したのか平和そうにうろうろしている。実にのどかな平日の午後といった光景だった。
 これで縁側のそばにプラスチックの破片とか柄に傷のついたホウキとかが落ちていなければ、だけど。


 それ以来、うちの近くで音源の不明なアラーム音を聞くことはなかった。まあ、時計といえどもホウキで殴られたり部屋に閉じ込められて猫に追い回されるのは嫌なのだろう。
 そういう問題ではない気もするけど。




 

補足あとがき 

 バス停でアラームが聞こえたあたりまでは実話です。いや、実話なのはアラームだけで、うちの家族はこんなに奇矯なキャラではありませんが。
 けっこう久しぶりにどうにもトンチキでバカな話が書けて個人的には割と満足ですが、どうでしょうか。

 あと、キャラは前に書いた『ねこたま』から使い回してみました。

 

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