傍観者最後の日々 (承前) 

 

■第二日

 寝て起きたら何か劇的な対策が思いつくなんて都合のいい話はないけど、とりあえず次の日の朝は来るわけで。
 表面的には大して変化がない、というか私が生まれて以来の付き合いだけどいまだに普段から何考えてんだかよくわからないところのある姉さんはとりあえず放置でいいとして、志穂は放っておくわけにもいかない、ような気がする。

 問題があって解決法がわからない場合は、とりあえず誰かに相談するってのが定石だ。一人で考えたって答えが出ない場合は出ないもんだし。
 ・・・けど、私と親しくて信頼できて相談の相手に具合のいい相手の上位二名は姉さんと志穂で、この二人は当事者だから除外するしかない。そこで、学校内の知り合いで誰か適任者がいないかを授業中に二十分ほど考えて、赤間夕子を当たってみることにした。


 夕子は同じ学年の娘で、今は隣のクラスにいる。休み時間に教室に入っていくと、こっちを見るなり
「ん? 山岸か。久しいな。ふん、お前がわざわざ顔を出すなぞ、どうせ厄介事を持ってきたのだろ」
 などと言い出す硬派でシャープな姉御だ。ただし声は甲高くて子供っぽい。

 昼休みに図書準備室で相談した。夕子は司書の人とは顔なじみだとかで、生徒には開放されていない準備室や書庫にも顔パスで入れるらしい。
 ちなみにうちの学校の図書館は開放時間には司書が常駐して帯出等を管理するシステムになっていて、いわゆる図書委員というものは存在していない。

 とりあえず個人が特定できそうな情報はなるべく削って、自分の知り合いの娘が同性を好きになったのだがどうしたもんか、という感じで話してみたんだけど、夕子は話を聞き終わると
「いや、それは別にどうもせんでいいだろ」
 と、あっさりと言い放った。
「・・・いいのかよ?」
「まあ相手にもよるがな。よさそうなやつなら応援してもいいし、問題がありそうだというなら・・・恋は盲目とも言うし無駄かもしれんが、心配なら注意すればいい。何にしろ、要は色恋沙汰だろう? 思春期にはよくある話だ」
「いや、でも、女同士って」
「同性愛者は比率で見ると異性愛者よりかなり少ないとはいえ、絶対数なら掃いて捨てるほど実在しているぞ。それも何百何千年前からな。古代ローマで暴君扱いされていた皇帝には男色の噂を立てられているやつも多いから、つまり当時からそういう嗜好の人間はいたのだろうさ。それにお前だって森蘭丸が織田信長の稚児だったという話くらいは知っているだろ」
「あ、うん、まあ・・・」
 中学の同級生にそういうのが好きなのがいたので一応知っている。知っているけど、そういう問題なのかよ。
 しかし夕子は私にはお構いなしに話を続ける。博識で面倒見もいいけど、代わりに話が長いんだわ、こいつ。
「昔の僧侶は女犯を禁じられていたが、これも相手が男なら別に構わん、という解釈だったらしいしな。ただ、これが女性同性愛になると男よりは例がかなり少なくなる。そもそも父系社会が主流で女の自由恋愛が難しかったり、事実があったとしても記録が残りにくいせいもあるのかもしらんが。それでもサッフォーがサフィズムの語源になっているくらいだから無いでもなかったのだろう。・・・いや、これはサッフォーを貶すために言い出されただけでそういう事実があったかは不明だという話もあるようだが」
 そこまで言うと夕子は大きく息をついた。
「だからお前の友人だか何だかも、少数派ではあっても異常ではないだろうさ。特に治療が必要というものでもあるまい。安心しろ」
 夕子もこいつなりに真剣に相談に乗ってくれているらしいのはとりあえずわかった。でも何か話がずれてないか。
「もっとも、少なくとも日本では同性同士の結婚は認められていないんだがな。法律でそうなっている」
 そうなのか。それは初耳だ。
「それ以外の面でも普通より障害が多い生き方ではあるだろう。しかし、同性愛は生産性が無いから云々などという言説はそれこそ論外だな。感情より生殖本能を優先するというのは文明の否定だぞ。それに好きになった相手がたまたま同性だった、というのは好きな相手が不妊症なり性的不能者だったというのと同じレベルの話だろう。ここで後者を指して生産性が無いなどと批判するのがおかしいのなら、前者だって許されていいはずだ。種の存続なり国家の繁栄なりを個人の感情より優先するという考えも、そういう考え方の存在そのものを否定はせんが、私としては全体主義は好きになれんし支持する気もない。それに少子化問題というのは個人の性癖よりも福祉政策の影響が大きいのであって・・・」
 だから別に私は社会とか主義を云々したいわけじゃなくて。
「いや、あの、私は別に同性愛がよくないとかいうわけじゃなくてさ、ただ、今まで身近にそういう話とか経験とかないから、どう対処したものか、とか・・・」
「そうか? 少数派ではあるだろうが、それほど珍しいものでもなかろ」
「珍しいよ」
「私の知り合いには、女に惚れている女が三人ほどいるが」
 夕子は真顔で言い切る。
「・・・・・・本当に?」
「わざわざ嘘をつく意味もないだろうよ」
 それは、まあ、そうだけど。
「ところでお前、同性愛者の恋愛については知らないから対処に困っていると、そういうことなのか?」
「最初からそういう話をしているつもりだったんだけどな・・・」
「じゃあお前、その誰かの好きな相手が男なら対処できたのか?」
 私は思わず手を叩いた。
「ああ、男でも無理か」
 夕子は机に突っ伏した。
「あのな・・・問題がある場合はまず何がどう問題になっているのかよく整理して、それからから対策を考えろと小学校で習わなかったのか貴様」
「いや、小学校じゃ習わないと思うけど。それに実際、対策には困ってんだし」
「だから言っただろう、相手がよさそうなやつなら応援して駄目そうなやつなら注意すればいい。どちらとも言えんのなら、とりあえずは本人の問題だから黙って見ておけばいいだろうよ」
 夕子はいくらか投げやりに言う。
「いや、そう思ったけど、何か、放っとけないっていうか見てらんないっていうか」
「気持ちはわからんでもないがな、山岸。しかしな、誰だか知らんがその本人が余程おめでたいやつでもない限り、お前よりも深刻に時間もかけて考えているはずだ。対策に困って他人に相談するくらいの考えしかないなら、余計なことはせずに静観して、事が済んだ後でフォローを入れるなりすればいい。むしろそちらの方が重要だろうよ」
 ずいぶんな言われようだけど、言っていることは間違っていないような気がする。
「そうだな。ありがと、参考になった」
 そう言うと夕子は視線を窓の方に向けた。
「いや、この程度で役に立つのなら構わんが。・・・ところで、一つ確認しておくが、それはお前の知り合いの話であってお前自身の話ではないのだろう?」
「へ? いや、違うけど」
「そうか。なら別にいい。・・・そろそろ時間か」
 時計を見ると昼休みも残りわずかだったので、さっさと引き上げることにした。


 意識して避けていたわけではないけど、その日は志穂と直接顔を合わせることもなくて、でも帰りに下足箱で鉢合わせたので途中まで一緒に帰った。
 志穂はいつもより口数も少ないし、やっぱり昨日のことを気にしているみたいだ。お前が告白した相手はあの後も平気な顔で大福をもくもく食べたり常夜鍋をもふもふ食べたりしていたぞ、とは言いにくい雰囲気だ。・・・いや、言わないけど。
 夕子の助言を聞いて、とりあえず今は静観するのが一番いいのだろう、と思った。性別の件を置いておけばうちの姉は、少なくとも志穂を止める必要があるくらい問題がある人間ではないだろうし、かといってあまり積極的に応援する気にもなれない。
 だから私は昨日の件を話題にするのは避けていたんだが、
「・・・あの、昨日、あの後、雪絵さんはどうしておられまそかり?」
 志穂の方から仕掛けてきた。というか「まそかり」って何さ。・・・あれか、「ありおりはべり」か?
 何にせよ、常夜鍋を食べながら子供っぽくゴネていた、などと正直に答えても事態が改善される可能性は一ミリも想像できない。
「どうもこうも・・・っていうか、聞いてどうすんだよ」
 質問に質問で返すべきではないとマウンテン・ティムも言っていたけど、禁じ手だけあって使い勝手は悪くない。
「いえ、まあ、その、・・・」
「アレがいくらボンクラでもそのうち返事くらいすんだろうから、とりあえず待ちなよ」
「雪絵さんはボンクレなんかじゃありえませんです!」
 志穂がいきなり赤い顔で叫んだ。
「・・・盆暮れって何さ」
「ゆゆゆ雪絵さんは素晴らしい人でしてむしろ羽根をつけたら速攻で天使とお呼びしても過言ではありますまい!」
「いやそれはいくら何でも過言っていうか話聞けよ」
「むがー、我が心の女神を愚弄する者はこの手で討ち取ってくれようぞです! 槍をもてい!」
 どうもネジが外れてしまったらしいので、
「ええかげんにせいっ」
 偽関西弁をかましつつ後頭部を軽くはたいておいた。
「・・・あ」
「あ、じゃねえよ。一応アレはうちの身内なんだから色々あるだろうが、その、謙譲語っていうかさ」
「そう・・・ですね。ごめんなさい、どうかしてました」
 志穂はしゅんとする。
「や、私も姉さんを他人にボンクラ呼ばわりされたら腹は立つだろうしさ、別にいいって」
 さっきの志穂がどうかしていたというのは全面的にその通りだと思ったけど、これ以上ややこしい話にはしたくないので黙っておいた。
「そう言っていただけると助かるのです・・・」
 ・・・それにしても、志穂はかなり本気っぽいな。先行きが不安だ。
 あと何か色々と勘違いしているような気がするというか、天使だの女神だのは美化しすぎにも程があると思うんだがな。


 そして志穂と別れて家に向かっていると、背後から
「おーかーえーりー」
 と、間の抜けた声と共にある意味諸悪の根源が体当たりしてきた。というか普通に吹っ飛ばされた。
「うわ、お前何しやがる」
「え? ただの挨拶じゃない」
「挨拶で人を突き飛ばすのはどうかと思うんだけどな」
「何よう、冷たいね」
 姉さんは上体を前に倒して上目遣いで私にじとっとした視線を向ける。ちなみに何故上体を曲げるのかというと私より姉さんの方が十センチほど背が高くて、背筋を伸ばすと上目遣いにならないからだ。
 というか身長と胸のぶんでけっこうウェイトに差があるんだから、体当たりとかするにしてももう少し加減してほしい。
「大体、まだ家に帰ってもいないのにおかえりも何もないだろ」
「あら、いいじゃない。こういうのは気分の問題よ」
「どういう気分だよ」
 すると姉さんはいきなり私の腕に自分の腕を絡めてくっついてきた。
「妹とスキンシップを図って絆を深めたい気分かしらー」
「あのさ、会話しようぜ」
「してるじゃない」
「いや、発言が全然つながってねえっての」
「姉妹に言葉はいらないのだわー」
 抱きついてきやがった。ああもう。
 ・・・それにしても今日はまた一段とテンションがおかしいな。悪いもんでも食べたのか。

 その日の夜はコロッケを作って、他はこんにゃく炒めとか生野菜とかを食べた。
 で、食後に志穂の件をどうする気か姉さんに聞いてみたら、
「ああ、あれね。断るけど?」
 即答だった。
「え? ・・・あ、そうなの」
「あら、昨日も言ったじゃないの。まだそういうのはいいかなって」
「言ったけど」
 判断そのものは正しいかどうかはともかく、常識的な線ではあるよな。それが妥当なところだろう。それはまあ、わかる。
 でも、姉さんは至っていつも通りというか、妙に軽くあっさりと言ってのけたのが、ちょっと引っかかった。
 姉さんは私の眼を見て、少し眉を寄せた。
「・・・じゃあ、さくらは私が志穂ちゃんとつきあえばいいって思うの?」
「いや、そういうわけじゃないけど・・・。でも、一応友達だし」
「友達が振られるのはかわいそうだから私が妥協して折れればいいってこと?」
「そんなこと言ってない」
「言ってるじゃない」
 姉さんの顔や声は特に怒っているという感じでもないけど、少なくとも全然笑っていない。
「・・・ごめん」
 言われてみれば、姉さんが腹を立てたとしても、そりゃもっともな話だ。
 けれど姉さんは止まらなかった。
「さくらは志穂ちゃんのことが好きなの?」
「へ? ・・・いや、友達としては」
「さくらは私より志穂ちゃんのことが好きなの?」
「いや、だからさっきのは悪かったって」
「質問に答えて」
 声は落ち着いているしポーカーフェイスだけど、普段とは明らかに違っている。というか怖い。本気で怖い。
「いや、もう、謝るから、許し・・・」
「答えてよ」
「・・・好きとかって、そんな、比べられるものじゃ・・・」
「誤魔化さないで!」
 体がすくんで思わず目をそらしたけど、恐る恐る視線を戻すと姉さんは泣いていた。
 姉さんの泣き顔は、多分初めて見る。抜けているようでも何だかんだで生活力はあって、私より大人だと思っていたけど・・・考えてみりゃ、私よりちょっと年上ってだけなんだよな。
 でも、どうしてこういう流れになって泣いたのかはよくわからない。全然わからない。どうも私がうっかりまずいところに踏み込んでしまったらしいのはわかるんだが、どの辺りにその線があったのか。
 ・・・けど、姉さんが辛いのなら、それは私も嫌だ。
「あのさ、その・・・ごめん。あと、私、姉さんのことは、好きだから」
「・・・うん」
 姉さんはそれ以上何も言わなかったので、とりあえず部屋に戻ったけど、その夜はあまり眠れなかった。

 


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