傍観者最後の日々 (承前の承前) 

 

■第三日

 次の日の朝は姉さんと顔を合わせるのが何となく怖かったけど、
「あら、おはよう、さくら」
 そう言って笑う姉さんは全くもっていつも通りだった。
 昨日のことを聞いてみたい気もしたけど、蒸し返して話がこじれるのも怖かったし、そのまま学校に行った。

 昼休みに新聞でも読もうと思って図書室に行くと、貸し出しカウンターのすぐそばの席で夕子が新聞を読んでいたので、読み終わるのを待ってそれを貸してもらうことにした。
「ん? 何だ、眠そうだな」
「わかる?」
「顔を見ればな。・・・あのな、他人の問題で悩んでもどうにもならんのだから、気にするなとは言わんが程々にしておけ」
 昨日相談した話のことらしい。・・・寝不足の原因はそれとは近いけど別件であまり他人事でもないんだが、黙っておいた。夕子はいいやつなので、むしろ何でもかんでも相談するのはよくないだろう。
「ま、どうにもならないよな、実際」
「ならんさ」
 夕子は視線を紙面に向けたまま少し笑った。


 放課後は特に用もなかったのでさっさと帰宅した。姉さんはまだ帰っていなかったけど、夕食のメインはクリームシチューにすると朝に決めていたのでそれを仕込んで、煮込みながらテレビを見てぼんやりしていると電話が鳴った。
 志穂からだった。


 前に相談を受けたのと同じ公園に呼び出された。
「で、何の用?」
 志穂は持っていた紙袋を、無言で私に差し出す。
 とりあえず受け取って中を見ると、何冊かのノートが入っていた。
「・・・何これ」
「日記です。私が雪絵さんを好きだって思った辺りからの」
 志穂はうつむいたまま言う。
 ・・・ええと、つまり、姉さんは昨日言った通りに断る返事をした・・・ってことか?
「・・・で?」
「読んでもいいし捨ててもいいですけど、他の人には見せないでください。桜子さん以外には、読まれたくないですから」
 そう言うと、志穂はふらりと立ち上がった。
「色々、ありがとうでした。じゃあ、それ、お願いしますね」
 志穂はそのまま歩いていく。
 ・・・どういうことだよ。

 どう考えても不審なのでとりあえず後をつけてみると、高速道路の上を通過する高架になっている道路の途中で志穂は立ち止まり、道路脇の障壁に手をかけた。
 ・・・・・・これはアレか、投身か。自殺か。いやいやいや駄目だろソレは!
「志穂!」
 とにかく走って追いついて志穂の体を両腕で抱き止めて障壁から引っぺがそうとした。
「止め・・・止めないでください! 私は!」
「何か知らないけどとにかく待てって! 理由も知らないで目の前で飛び降りなんかされたら寝覚めすごい悪いし!」
 後で思うとかなり自分勝手な発言だけど、何しろ言葉を選ぶ余裕もなかった。
「いいの! 私は、もう! 生きていてまた誰かを好きになったら、またこんな気持ちになって、そんなの、もう!」
 志穂は泣き叫んでいた。
 何しろ私は恋愛の経験がないので聞いた話でしかないけど、恋愛ってのは辛いことや痛いこともそれなりに伴うもんだろう、と思う。
 ・・・けれど、志穂が立ち直ったとして、次に好きになった相手がまた女だったりしたら、今回と同じ結果になる可能性は、多分普通の場合より格段に高い。夕子が言っていたように、同性愛者は実際に存在してはいても少数派なのは間違いないし。
 志穂が死ぬのは私は嫌だけど、それは痛みに耐えることを強要することでもあって・・・ああもう!
「落ち着けってば!」
 他人にとやかく言えるほど自分が落ち着いてもいないだろうに、と頭の片隅で突っ込みが入るけど、気がつかないふりをした。
「放してください!」
 眼下の高速道路をまばらに車が走っていくのが見えるけど、この高架道路自体には周りに人の気配は全くない。それに今の立ち位置はそこそこ長い高架の真ん中辺りなので、大声を出しても最寄りの建物の中までは届きそうにない。
 つまり、私が志穂を止めないと、志穂は死ぬって、そういう話だ。まずい。非常にまずい。

 どこで聞いたのかは忘れたけど、自殺者を止めるには何を言えばいいか、という話を聞いたことがあった。
 相手は感情的に振り切れているので、理屈を並べて正論をぶつけても効果はない。残された家族やら何やらが悲しむ、みたいな薄っぺらい言葉は届かない。だから本気で止めたいのなら、自分の気持ちを伝える、「あなたが死んだら私は悲しい」とかそういうアプローチをするべきだ、という話だ。
 それを言い出した人間が実際に自殺者を止めたりした経験があるのかは知らないけど、割と説得力がある話だとは思った。だから覚えていて、このとき思い出した。
 ・・・それを思い出してしまったことが最善だったのかどうかは、ううん、どうなんだろうな。

「志穂、聞いて!」
 志穂は構わずにもがいていたけど、とりあえず視線はこっちに来ている。
「私は志穂に死んでほしくない! そんなの、私は嫌だから!」
「どうしてです? 放っておいて・・・」
「だって、私は志穂のこと好きだから!」
 叫んだ。志穂は大切な友達だから。
 志穂は目を丸くして一瞬だけ止まって、それから充血した眼で私を正面から見据えた。
「じゃあ、私とキスしてください。今すぐ」
「・・・うええ?」
 思いっきり想定外だ。何それ。
「本当に好きならできるでしょ! 嘘つき!」
「いや、その、この場合の好きっていうのは・・・」
 言い訳を言い終わる前に志穂はまた障壁に手をかけようとしたので、とっさに正面に回り込んで抱き止めて顔を押し付けた。位置を調節する余裕なんか全然なかったけど、とりあえず唇を切ったり鼻をぶつけて血を吹くといった事態は、幸いにも避けられた。
 ・・・あのな、私はその、あれだ。一応、「はじめて」だったんだけどな。この際仕方ないけど。仕方ないけどさ、でもなあ。
 そんなことをぐじぐじと考えていたら、志穂のやつがフレンチキスを仕掛けてきやがったので色々と死ぬかと思った。ちなみにフレンチキスの何が問題なのかわからないのなら言葉の意味を勘違いしている可能性が高いので、辞書か何かで調べるといい。辞書に載っているものかどうかは知らんが、載っていなくても家族とかには聞かない方がいいと思うぞ、何となく。
 ・・・ああ、もう、勘弁してくれんか。

 それからしばらく、高架の上で向かい合って馬鹿みたいに突っ立っていた。
 志穂は赤面しているし、私も多分、妙な顔色をしていたんじゃないかと思う。
 先に口を開いたのは志穂だった。
「えっと、あの、ごめんなさいです。取り乱してしましま」
「しましまって何さ」
「何でしょうね。でも、その、おかしくなってて・・・無理言って、すみません」
 志穂は指で自分の唇を触りながら言った。
「ああ、その、まあ、済んだことだ。でもとりあえず、他のやつには黙っといて」
「言いませんよ。・・・でも、あの、うれしいのですよ」
 志穂は両手で私の手を握った。それにしても指細いなこいつ、とか割とどうでもいいことをぼんやり考える。
「あの、す、す、好きって言ってくれて・・・」
 ついさっきあんな大技をかましておいて「好き」くらいでどもるなよ、という気もするけど、まあ乙女という人種はそういうものなのかしらん、などと他人事のように思った。・・・いかん、どうも思考が現実逃避気味だ。
「いや、だからそれは、あの」
「ああ、その辺は落ち着いてからでいいのですよ。将来に関わる話ですから」
 前半は同意だが後半は全力で否定したいと思った。
「・・・ところで、私の日記は」
 あ。・・・あああ。志穂を追いかけて、さっき走ったから、その辺に放り出して・・・。
「やべ、忘れてた」
「駄目! それ駄目です! すぐに回収!」
「んだよ、捨ててもいいって言ったじゃないかよう」
「見られるのは駄目なのです!」
 そういうわけで走って拾いに行ったけど、運良く紙袋はそのまま放置されていた。やれやれ。


 で、ここで話が終わりなら、まあ、面倒な話ではあったけどそれほど面倒でもないというか、まだ何とでもなる話だったんだが、そうは問屋が卸さないらしい。その問屋の居場所がわかったら今すぐ行ってグーでぶん殴ってやりたいところだ。


 志穂は落ち着いたようだったので別れて家に帰ったら姉さんは先に帰っていたけど、何故か居間のソファで寝ていた。眠っているのかどうかはわからないけど声をかけても反応しない。
 夕食の準備もしていないようだったけど私も色々疲れたので、さっき作っておいたシチューとごはんだけで済ませることにした。・・・組み合わせに難があるのは認めるけど、いちいちパンを買いに行くのも面倒だし、個人的にはご飯とクリームソースの相性はそう悪くないとも思う。
 シチューをテーブルに運んでいると、何故か姉さんがワインのボトルを持ち出していた。
「・・・飲むの?」
「シチューにはワインでしょ」
 とりあえず私には、クリームシチューに赤ワインを合わせるという発想はないんだが。
「っていうか未成年が酒飲んでどうするよ」
「うるさいわね、飲むったら飲むのよう」
 昨日の件もあるし、飲みたいなら放っておけばいいか、と思った。けど、私がもごもごとシチューを食べていると目の前に赤ワインの入った湯呑みがどすん、と置かれた。
「・・・はい?」
「飲みなさい」
「いや、いらないし」
「のーみーなーさーいー」
「というか湯呑みは無いだろ」
「わらひの注いだ酒が飲めないってえのかしらー」
 呂律が回っていないし、目も据わっている。
「・・・お前、さては酔ってんな」
「よーってまーすよー。文句あるのかしらー。何十年も生きていれば酔いたい日もあるのよーう」
「まだ二十年も生きてないだろ」
「うるさーい、口答えすんじゃないわー。つーか飲まないならさくらのお口に直接ボトルをねじ込んであげようかしらー」
「あーはいはい、飲むから。飲めばいいんだろ」
「そーう、飲めばいいのよー」
 酔っ払いには理屈は通じないから逆らうだけ無駄だ。それにこの調子ならそのうちつぶれるだろう。

 ・・・という判断は甘かったようで、姉さんは無理矢理飲ませるし、私は元々酒に弱い・・・というか酒を飲み慣れている未青年ってのもどうかと思うってかそりゃ違法だろって話だけど、とにかく夕食後半の記憶があいまいで、気がついたらベッドで寝ていた。

 ・・・ベッド? 私は床面積が狭くなるのが嫌だし、それに寝返りを打って床に落ちないかという不安もあるから、部屋には布団だけ敷いてそこで寝ているんだが。
 天井や周囲を見てみる。蛍光灯は消えていて豆電球しか灯りがないので見えにくかったけど、ここは私の部屋ではなくて、姉さんの部屋だった。
 というか隣で姉さんが私にぴっとりとくっついて寝息を立てている。
「うわ」
 何だかよくわからないけどとりあえず部屋に戻ろうと思って立ち上がろうとしたら、手足が動かないことに気がついた。手首と足首が締め付けられている。どうもベッドの足に紐みたいなもので縛り付けられているらしい。
「・・・って、これ、どういう状況だよ?」
 どうにかならないかと手足をもぞもぞさせていると、姉さんが目を覚ました。
「ん・・・ああ、寝ちゃってた」
 上体を起こして軽く伸びをすると、姉さんは両手を私の頭の両脇について、私の顔を真上から見下ろす体勢になった。
「うふふ」
「あのさ、とりあえず、どうして私が縛られてんのか、説明してくれる?」
「さくらを逃がさないためよ」
 姉さんはとろんとした笑顔で言う。酒が抜けているのかどうかはよくわからない。
「逃がさないって、どういう・・・」
「縛っておかないと、さくらを取られちゃうもの」
 顔が濡れる。姉さんの顔から涙が落ちている。でも顔は笑っていて、何か、とりあえず普通ではない。
「・・・私は、さくらが好きなの」
「私だって、姉さんのことは・・・」
「違うの。そんなのじゃない。さくらは妹だけど、私はずっと一緒にいたかったの。さくらが欲しくて、自分のものにしたかったの」
「何を言って・・・いや、ちょっと」
 姉さんには自分の声しか聞こえていないみたいだった。
「でも私はさくらのお姉さんだから、そんなことできない。今が続く間だけ一緒に暮らして、見ているだけで我慢しないといけない。そう思ってた。だけど・・・」
 姉さんは私の胸のあたりに顔を乗せ、そのまま体重を私に預けてきた。
「あんなの見ちゃったら、もう、我慢できないじゃない・・・」
「いや、何の話を」
「志穂ちゃんよ。見たんだから」
 ・・・まさか。
「私はお姉さんで女だからって我慢してたけど、志穂ちゃんとちゅーしてるの見たから」
 よりによってこういう場面で“ちゅー”ってどういう語彙のチョイスだよ、と状況を忘れて脱力しかけた。それどころじゃないってのに。
「我慢しないとって思ってたけど、でもさくらを誰かに取られると思ったら、そんなの、嫌なの。耐えられないよ・・・。それに相手が女の子だなんて、なおさらよ。私が我慢してた意味もなくなっちゃう」
「いや、だからあれは志穂が飛び降りようとしたからその流れでですね」
「そんなのどうでもいいの! さくらが女の子とちゅーできるなら、私としてよ! 私、したことないんだから! さくら以外とそんなことしたくないんだから!」
「いや、ちょっと、ま・・・」
 言い終わらないうちに、姉さんは私の頭を両手で押さえて唇を奪ってきた。
 ・・・昨日までは全然経験なかったのに、一日で二回もかよ。しかも相手の面子がコレってどれだけ波乱の人生だ。
 姉さんは唇を押し付けてくるだけで、一所懸命というかいっぱいいっぱいというか、さっき志穂が予想外の動きをしてきたこととの対比もあって何だか子供っぽく見えた。
 体重をかけられているうえに口を塞がれていて苦しかった。でも、今まで私より年上で大人だと思っていた姉さんを、かわいいと思えた。
 そして、今までずっと我慢していた姉さんは辛かったんだろうとも思う。

 しばらくそうしてから姉さんは顔を私から離した。少しぼうっとした顔をして、それから急に、怯えるような顔で私を見る。
「わた、私、何して・・・。さくらに、そんな、お姉さんなのに、ひどいことして、駄目、私・・・」
 姉さんは震えている。
 ・・・こんなときくらいは、私が姉さんを支えてあげないと。
 だから言った。
「別にいいよ、姉さん。私は」
「で、でも、私、こんな・・・。さくらに嫌われたら、私・・・」
 姉さんはぼろぼろと涙を流していた。さっきから泣いてばかりだ。
「いいって。私は姉さんの妹だから、こんなことくらいで姉さんを嫌いになんかならないよ。縛られるのは嫌だけど。・・・それに私は誰のものでもないし、どこにも行かないから」
「でも、私、駄目よ。妹の友達に嫉妬して、妹を縛りつけて、無理矢理ひどいことして・・・こんなの・・・」
 どちらかといえば縛りつけた後のことよりもその前の段階の方が「ひどいこと」だと思うんだが、今それを突っ込むのはやめておこう。
「だから、いいって。次からは酒飲ませて縛るとかそんなのは駄目だけど、今日のは許してあげる。私は姉さんのことも好きだから」
 姉さんの眼を見て、そう言った。色々と問題もあるけど、姉さんを不安にさせておかしくしたのは、私にも責任の一端はあるんだろうし。
「・・・本当に?」
「嘘なんか言わないって」
「うれしい・・・」
 姉さんは今度は笑顔で、またぼろぼろと涙を流す。本当に泣いてばかりだ。
「あと、縛ってるのはほどいて欲しいんだけど」
 そう言うと姉さんはすぐに手足を解放してくれて、私はやれやれと思って起き上がろうとしたけど、
「さくらも私のことが好きなら、ずっと一緒にいられるね」
 姉さんはそう言って私に抱きついてきた。
 ・・・え?
「いや、その、だからその好きっていうのは・・・」
 言いかけたけど、姉さんが私の顔にほっぺたをすりつけてきたので、上手く喋れなかった。
 つまりアレか、私は同じ言葉の意味合いの違いでほとんど同じ失敗を一日に二回もした、ということか。日本語ってのは面倒臭いな、全く。というか一回ならともかく二回となると悪いのは日本語じゃなく私の頭か。
 ・・・まあ、誤解を解くくらい明日の朝にでもできるだろう。今日はもう色々ありすぎて疲れたし、このまま眠ってしまえ。

 という判断は甘かったようだけど、まあ、あれだな。今更そんなことを言っても後の祭りって奴だ。景気をつけて塩でも撒いてくれってなもんだ。

 

■後日談

 昼休みに図書室に行くと、夕子が定位置で新聞を読んでいた。
「ん? 何だ山岸、相変わらず疲れとるな」
「ああ、疲れてるよ」
「事情は詮索せんが、何事も程々にしておけ」
「そう願いたいね。いや全く」
 私は夕子の隣に座った。
「ところでお前、前に言っていた件、収まったのか?」
「ん、収まったっていうかなるようにしかならなかったっていうか、それなりには。おかげさまで」
「私は何もしていない」
「んもう、夕子ってば照れ屋さんなんだから」
 そう言うと夕子は眉間にしわを寄せたけど、実際ちょっと照れているようだ。
「からかうな。・・・ところでお前、性格変わってないか」
「まあね。色々あったし」
「そうか。まあ、いいさ」
 夕子は誌面に視線を戻した。


 あの翌日の放課後、また志穂に呼び出されて、というか学校帰りに連れ立って、今度は例の公園ではなく志穂の行きつけだとかいう喫茶店に行った。ちなみに代金は志穂がおごると強硬に主張したので、普段なら割り勘を通すところだけど前日が前日だけにとりあえず折れておいた。
 席について注文を済ませ、というか私はメニューを見ても何が何だかさっぱりわからなかったので志穂に下駄を預けたんだが、とにかく注文が済んで店員が立ち去るとすぐに志穂はがばっと勢いよく頭を下げつつ「ごめ・・・」と言いかけて、そのまま勢いでおでこを盛大にテーブルに激突させてうめき声を出した。けっこう大きい音がしたので本気で痛そうだ。というか周囲の視線が気にならないでもない。
「・・・大丈夫かよ? 頭とか頭の中身とか」
 志穂は涙目の上目遣いでこっちを見る。
「うあ・・・あまり大丈夫ではないかもです」
 そう言うと志穂は氷水の入ったグラスをおでこに当ててしばらく黙り込んでから、
「はう、あ、頭がキーンって!」
 などと言い出したので本気で心配になってきた。主に中身の方が。

 注文したコーヒーが出てきた頃には志穂もようやく落ち着いたようで、また口を開いた。
「あの、昨日は、申し訳ないでした。迷惑かけちゃって」
 相変わらず日本語がちょっと壊れているけど顔は真剣だった。
「いや、いいって。・・・あ、いや、あんまりよくないけど、その、済んだことっていうか」
 実際、夜の部が果てしなく予想外だったので、昼の部のダメージは相対的に大したことはなかった。
「でも、勘違いにしても、ひどいです、私。お姉さんに振られた先から妹とか」
「いや、まあ・・・」
 フォローしようと思ったけど、あまりいい案は思い浮かばなかった。言われてみれば確かにそういう流れだしな。
「いえ、それに、勘違いだって言うと少し嘘になるですよ。雪絵さんのとは違いますけど、好き嫌いで言えば桜子さんのことも好きなのです、私」
 うおう。・・・その、何だ。意味合いはどうあれ、面と向かって好きとか言われるとやっぱり動揺する。
「だから、桜子さんが代わりになってくれればって、思ってしまったです」
 志穂はうつむいた。
「・・・ええと、その、志穂はさ、私にどうしてほしいっていうか私とどうしたいっていうか、済んだことは済んだことだし、まず今後の話をしようぜ」
 落ち着いた風で言ってみたけど、内心どんな回答が出てくるか冷や汗ものだった。
 志穂はうつむいたまましばらく黙り込んで、それから何やら決心したらしく頭をがばっと跳ね上げた。・・・天井は充分な高さがあるし、下から上に振る分には頭をぶつける心配もないけど、頭はもう少しゆっくり動かした方がいいのではないかと思う。
「わ、私は、桜子さんと一緒にいたくて、その、桜子さんは、私と友達でいてくれますか?」
 力んだ調子でそう言うと、志穂は私を見たまま泣きそうな顔をした。
 ・・・あー、いや、実際ひどい話だな。別に私は志穂と絶交したいなんて思っちゃいなかったけど、そうでなかったとしてもこんな顔されたら断るのは相当に骨だ。
「いいよ。全然」
「ありがとう・・・」
 やっぱり泣きそうな志穂の顔を見つつ、気になったことがあったので言ってみた。
「っていうかさ、友達でいたいってことは、やっぱり恋人とかじゃなくていいってことだよな?」
 そう言うと志穂は視線を逸らして指をもぞもぞと動かした。
「えーと、ところで大化の改新についてはどう思われるですか」
「蘇我入鹿が皇位の簒奪を狙ってたってのも無くはねえんだろうけど、まあ中大兄皇子よか進歩的っていうか現実的だったんじゃないかとは思うぜ」
 たまたま数日前にNHKの歴史番組でその辺の話をしたのを見ていたので、即答で返しておいた。
「はあ。これが俗に言う“ネタにマジレス”というものですか」
「ちょっと違うんじゃないかっていうか、自分でネタとか言うなや」
 私の分の冷水は手付かずだったので、そのグラスを志穂のおでこに押し当ててみた。
「はう、頭がっ」
「いや、それはもういいから」
 志穂はじとっとした眼で私を見る。
「うう。・・・率直に言いますと、お友達“から”っていうことでは駄目ですか」
「率直だな。・・・まあ、何だ、今のところ私にその気はないってのを了解したうえでなら、どうとでも好きにすりゃいいさ」
 絶交までしたくはないし自殺されるのも嫌なのでそう答えておいた。
「そうですか。なら気長に攻めるですよ」
 志穂は落ち着いた笑顔を見せた。
「あとですね、桜子さんはそんな感じで何とかなるだろうって楽観して結局流されてつけこまれて相手の思うツボになることが多そうだから注意した方がいいと、これは友達として思うのです。要は優柔なのです」
 そう言いながら、志穂は人差し指を立てて上下に動かす。
「ご忠告痛み入るっていうか、お前が言うなよ。ひどいやつだな」
「ええまあ、これでも一応、恋する乙女ですから」
 そう言って志穂は笑った。
 ・・・ああ、認めたくないけど、流されてつけこまれそうな予感で胸がいっぱいだ。


 そういうわけで志穂とはあの後も友達でいる。・・・たまに手をつながされたりしているけど、まだ友達の範囲内だ。多分。そう思いたい。
 あと、例の日記は結局そのまま返却したので私は読んでいないし、志穂があれをまだ持っているのか処分したのかは聞いていない。


 で、姉さんの方はどうなったかというと、結論としては流されてつけこまれつつあるのではないかという不安がしている。かなり。
 とにかく同性で家族で血縁というのは世間的にも非常にまずい、ということは飽きるくらい繰り返し言い聞かせたので外では今までどおりだけど、自宅ではかなりべったりだ。
 何だかんだで現実的な判断はできる人なので家事はちゃんとするし予復習やテスト対策も無難にこなしているが、その辺が済んで暇になると、その、何だ。ひどい。

 特にすることも無かったので夕食と風呂を済ませた後で居間のソファに座ってぼんやりテレビを見ていると、後から風呂に入っていた姉さんが戻ってきた。居間には二人がけのソファが二つと一人がけが一つ、テーブルを囲むように配置されていて、私は二人がけのうち一つの真ん中に座っていた。けれど姉さんは当然のように空いている残り二つはスルーして私の横に座って体を密着させてきた。
「・・・あのさ、言いたかないけど、暑苦しいからよそ行ってくれないかな」
「言いたくないなら言わないでよう」
「姉さんが隣に座らなかったら言わなかったけどな」
「いいじゃないの、減るもんじゃなし」
「私が消耗すんだよ、内面的に・・・って、うわ」
 姉さんは私の肩を手で押さえるとそのまま引っ張って、私の上体が姉さんの太股の上に倒れ込む形になる。
「ちょっと、何しやがる」
「ええと、スキンシップ」
 姉さんは私の髪を指で梳いている。
「いいよね、一緒にいられるって。えへへ」
 えへへじゃねえよ、とは思うんだが、不用意に拒絶してまた極端なことをされても困る。それに私も姉さんと一緒にいること自体が嫌なわけではないから、あまり強いことは言えない。正直に申告すると、例えば今の体勢はかなり落ち着かないけど、ちょっと気持ちいいとか思っていなくもないし。
 ・・・いや、そういうことを言って流されているから状況が徐々に取り返しのつかない方向に転がっているんじゃないか、とも思うんだが。
 実際このレベルの話はほぼ毎日あるし、この前なんか風呂入ってたら勝手に入って来やがって動揺して後手に回っちまったもんだからうやむやのうちに背中を流されたりしたんである。背中だけで前側は死守したからセーフだと思いたいが、大筋でそれはちょっと無いだろ、という状況なのは否めない。
 テレビとかを見ていると世の中には十代後半まで父親と風呂に入っていた娘さんなんてのもいるらしいけど、そういうのは相当にイレギュラーだからこそ話題にもなるってことだろうし。

 でもキスの件からしても姉さんは志穂あたりよりそういう方面に関しては相当に子供というか、多少アレな気はするけど一応はスキンシップで済ませていいレベルで収まっているから、まあいいだろう。いや、よくない気もかなりするけどあまり致命的なことにはならないはずだ。というかそうであってほしい。
 そんな風に思っていたんだが、姉さんは私の髪を梳きながら
「でも考えてみれば都合のいい話よねえ。家族とは結婚できないし子供もつくれないけど、どのみち女の子同士なら子供はできないしさ」
 などと言い出したので私は素で吹いた。
「いや、ちょ、な、何を言い出すか貴様」
「私はさくらの子供なら産んでもいいんだけど」
 一ミリの気負いもなければ一グラムの冗談もなく、姉さんはさらっと断言した。
「な、ば、馬鹿言うなっていうか産めるもんなら産んでみろ」
「だから、産めるなら産むわよ? あ、案外あと十年か二十年くらい待てば何とかなるかもね。クローンとかバイオテクノロジーとかそういうので」
「どのみち人間のクローニングは倫理的な理由とかで無理だろ・・・」
 とりあえず突っ込めるところに突っ込みを入れてみたけど、もう逃げ場はないのかもしれないという気がかなりする。


 まあ、そういうわけで、将来的に色々と問題は山積みなんだけど今はそれなりに幸福な気がしないでもない。その、アレか? 全身をいい感じにマッサージされつつ真綿で首を締められるとこういう気分なのか。



あとがき

 とりあえず今回は超常とかそういう要素を抜いて百合一本で何とかしようと思ったのですが、どうも私は「校庭に鹿の群れが」とか「朝起きたら自分が2人に増えていた」とかそういうアレな前提からでないと話を作れないようです。
 というか最初は雪絵を姉ではなく桜子の戸籍上の母親にする案も考えたのですが。何それ。
 あと一応言い訳をさせていただくと、「クローンとかバイオテクノロジーとかそういうので」というくだりはいおの様ファナティクス2巻を読む前に書きました。・・・じゃあお前は書き上げてからアップするのにどれだけ時間をかけているのか、という話でもありますね。いや、書いている最中は普通にネジが飛んでいるけど後で読み返すとこれを外に出していいものか不安にもなるわけですよ。BB戦士に重点を置いたらここ半年くらいで閲覧層がちょっと変わったっぽいですし。
 そういうわけでご意見ご感想などいただけるとうれしいですが、できればオブラートか何かに包んでおいてくれるともっとうれしいです。

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