七人衆見参 (2011.01.02.)

■第一幕

 国境の近く、人気の無い街道を一人の男が疾走する。
 他に街道を行く者があれば、その姿を目に留め、奇異に感じたことだろう。
 その男は全身に、黒く塗った板金を赤い革と緒で飾った鎧兜を纏い、さらに薙刀と朱塗りの鞘に収まった太刀とを携えたうえで、並みの者では丸腰でも追い付けないほどの速さで駆け続けていた。

 と、鎧の男は足を止める。
「待ち伏せか。ご苦労なことだ」
 息を乱した様子もなく呟くと、正面、誰もの姿も見えない街道の向こうへと呼びかける。
「用があるなら顔くらい見せたらどうだ。お前一人ならともかく、十二人もの大勢で気配を消すなど、できる相談ではなかろうよ」
 男は、肌を刺すような殺気が自分を取り囲んでいるのを感じ取っていた。

 しばらくの無音の後、草叢から一人の僧形の男が姿を見せた。屈強な体躯に、大人の腕程もある金棒を携えている。
「元より隠れおおせるとは思わなかったが、人数まで言い当てるとは噂に違わぬ使い手ということか。・・・七人の頑駄無が一人、“武者”殿に相違無いか」
 野太い声が畏敬を込めて問い掛ける。
 “武者”。当代において比類なき武勇をもって知られる頑駄無軍団の精鋭・七人の頑駄無、その中でも今は唯一人の男のみに許された最強の武人の称号。
 武道を歩む者の憧憬の的であると同時に、戦場でまみえれば即ち死を覚悟せねばならない鬼神、それが武者である。
「名を問うのなら先に名乗るが礼儀と知らぬのかよ」
 周囲の気配に注意を向けつつ、男は薄く笑う。
「ふん、まあいい。そう呼ばれるのはあまり好かんが、確かに俺は武者頑駄無だ」
 その返答と共に、男の周囲の草叢から僧兵の群れが現れる。頭であろう最初の一人を含めて、その数は丁度十二人。
「拙僧は怒武と申す。故あって、貴殿をこれより先に進ませるわけにはいかぬ」
 その声とともに十二人の僧兵は武器を構えた。
「怒武殿か、名は聞いたことがある。時穏国の僧であったな。俺は主命により至急帰参せねばならんのだが、あえてここより先に進むと言えば御主はどうする」
「退かぬと申されるなら、武をもって意を通すまで。微力故、我等総勢でお相手いたそう」
 僧兵の声が覚悟を帯びる。
 一方、武者と呼ばれた男は冷静さを崩す様子はない。
「しかし僧兵が国境まで足を伸ばし刃を抜くとはな。それはつまり、時穏国、殺駆頭殿が我等頑駄無軍団と事を構える意図だと、そう解釈してよいのだな?」
 しばしの無言。
「・・・これは闇軍団総大将、闇将軍様の命だ。今日この時より、闇軍団は総力をもって頑駄無軍団を打ち倒す。そのように決定された」
 苦渋を込めた声で怒武は答えた。

 黒魔神を名乗る将に率いられ、かつてこの天宮の地を掌握せんとして未曾有の戦乱をもたらした悪逆の武装集団、暗黒軍団。
 近年になって跳梁し、その再来とも呼ばれる者どもが闇軍団である。
 当時の頑駄無軍団は拠点たる時穏国を奪われた殺駆一族と同盟して暗黒軍団を迎え撃ち、激戦の果てに黒魔神を討つことには成功したが、頑駄無軍団の総大将もまた命を落とした。
 絶対的な統率者・黒魔神を失ったことで暗黒軍団は瓦解したが、頑駄無軍団も戦力の消耗に加え求心力をも失い、雌伏を余儀なくされた。結果、天宮は群雄が割拠する戦乱の地となっている。

 そして頑駄無軍団がようやく傷を癒しつつある今、暗黒軍団の残党や群雄の一部が何者かによって闇軍団として再編され、その中には頑駄無軍団のかつての盟友であり時穏国を治める殺駆一族も名を連ねているという。

「闇将軍か。聞かぬ名だが」
 呟くと武者は薙刀を構える。
「よかろう、ならば俺も押して通るまでだ。遠慮はいらん、十二人まとめて来るがいいさ」
「是非もない」
 僧兵はそれぞれ得意の得物を手に、四方から武者に襲い掛かった。


■第二幕

「全く、手が早いことだな」
 国境の川にかかる橋、その前に展開した殺駆一族の旗を掲げる兵士の群れを丘から見下ろし、馬上の武士は皮肉に笑う。
 七人の頑駄無が一人。馬術と弓術に長け兵法にも通ずる男、精太。

 複数の有力な軍団を統合した闇軍団に対し、いまだ復興の途上にある頑駄無軍団は戦力においてどうしても劣ってしまっている。それ故に七人の頑駄無を含む主だった面々を各地に派遣し、開戦ぎりぎりまで反・闇軍団の戦力を糾合する必要があったが、そのため開戦の先手を取られ帰参を妨害されることにもなった。

 敵兵の数はおよそ三十人。
 その大半は小柄な雑魚一族だった。一見して雑兵であるが、しかしこちらは単騎だ。時間さえかければ一人で打ち払うことも可能だろうし、策を弄すれば衝突を避けつつ対岸に渡ることもできるだろうが、しかし彼には可能な限り早く本拠に帰参しなければならない理由がある。
 今回の帰参は主命だった。
 頑駄無軍団を統べるのは、かつての暗黒軍団との戦いで倒れた先代の総大将の息子であり、先代から大将軍の称号を継承した男、だとされている。しかし彼はいまだその姿を見せていない。実質的には、今の頑駄無軍団は先代の実弟にして武者の実父、かつては“雷”と呼ばれ今は“将頑駄無”の称号と共に指揮権を委譲されている男が執っている。
 暗殺を避けるため、そしてかつての黒魔神が使い彼の父の命を奪ったような邪悪な妖術に対抗する術を身につけるため、大将軍は身を隠し修行を積んでいる、と精太は聞かされていた。そのことへの不満も聞こえないでもないが、精太自身は軍団の象徴たる大将軍が暗殺を避けることは必要だと判断していた。事実、先代の死が軍団に与えた影響はあまりにも大きい。
 そして、闇軍団に対抗するための本拠への集結とその後の戦力の展開の命令は、将頑駄無ではなく大将軍自身の名によって出されていた。これは雌伏が終わり反撃に転ずる時が来たことを示すものに他ならない。
 なればこそ、彼は一刻をも無駄にせず迅速に帰参せねばならなかった。

「力押しは本意ではないが、時間の浪費を避けるなら、やはり穴を押し開けて突っ切るのが上策か。・・・駆けるぞ、緒羅四恩」
 愛馬に一声かけると精太は丘から一直線に橋を目指し、敵兵が武器を構える前に矢を放つ。
 弓術の修練を積めば、矢を的中させる道筋は自然と見えるものだ。あとはそれに矢を乗せるだけで事足りる。しかし斜面を全速で駆け下りる馬上から、複数の動く標的を一息に射抜くなどというのは、尋常の技ではない。
 精太が弓を薙刀に持ち替えるまでに五人の兵士が倒されていた。外した矢は無い。
「我が名は精太。これより推して参る」
 言うなり橋を目指して緒羅四恩を駆けさせ、正面の敵をなぎ払った。
 精太の薙刀は言わば暴風、軌跡は舞うように軽いがその一撃は鋭い。突き出される槍は届く前に穂先を斬り飛ばし、刀で受けようとする兵は刀ごと断ち割る。
 全員が際立った武勇の持ち主である七人の頑駄無にあっては知恵者として通っているが、しかし武芸者としても劣るものではないし、また劣るべきではないと精太は常に努めている。特に武者頑駄無、何故か馬術だけは避けているがそれ以外のあらゆる武術において達人の域にあるあの男と名を並べる以上、常に限界までの研鑚を己に課すべきだと精太は信じていた。
 なれば雑兵の人垣など、薙刀一つで容易く断ち割ることもできる。

 浮き足立った敵兵を追い散らし、跳び越えて矢のように突き進み、精太は橋に踏み込んだ。
 しかしそこで殺気を感じ、とっさに首をひねると、銃弾が顔のすぐ横を切り裂いて飛び、兜をわずかに傷つける。さらに反対側の橋の欄干の影から人影が踊り出て石火矢を放つが、精太は一跳びしてそれも紙一重でかわした。

「かわしたか。流石は七人の頑駄無」
「ふ、しかしそれも今日で終わる」
「おうよ。我等の手でな」
 橋の上には三人の武士が姿を現していた。最初に銃を撃った、緑色の鎧を纏った屈強な体躯の男が、銃を大斧に持ち替えて正面に立つ。それに従って白い鎧に野太刀を担いだ長身の男が続く。そして背後では石火矢を使った、青い鎧を纏い他の二人よりやや年嵩の男が脇差を抜いていた。
 橋の手前に雑兵を展開したのは、橋の影に身を隠す自分たちから注意を逸らすためだったらしい。その策は不首尾に終わったものの、橋の上で三人に包囲されているという状況は不利には違いない。
「やれやれ、私の名も売れたものだな。雑兵を揃えたうえに三人がかりで、おまけに不意打ちとは手の込んだ話だ」
 精太は軽く笑うと、迷いもせずに正面に立った緑色の武士に向かって跳躍し、薙刀を打ち下ろした。
 咄嗟に大斧が振るわれ、かろうじて薙刀を受ける。
「おいこら貴様、名を問うくらいしたらどうだ。俺は今殺駆だ!」
 緑色の武士は薙刀を押し返しながら怒鳴った。
「知らんよ。有象無象の名など聞くだけ無駄だ」
 精太は薙刀を引くと、そのままの勢いで背後に迫る青い武士に向けて払う。青い武士は寸前でそれを見切り、一旦後ろに退いた。
「くそ、この殺駆三兄弟を相手に舐めた真似を」
「舐めてなどいないさ。正当に評価したまでのこと」
「ぐぬう、三兄弟が長兄、古殺駆をこけにしてくれるか!」
「おのれ、この新殺駆がそっ首落としてくれる!」
 三人目の白い武士の野太刀は重く鋭いが、惜しむらくは太刀筋が無造作に過ぎた。
「全く、どいつもこいつも問われもせずに名乗るな。お前等など有象無象で充分だ」
「減らず口を!」
 三兄弟を挑発しつつ、精太は対策を考える。
 手段を選ばない割に挑発に乗りやすいあたり頭の出来はおぼつかないが、この三人は武人としては水準以上のものを持っている。
 口ではああ言ったが、殺駆三兄弟といえば殺駆一族でも殺駆頭に次ぐ武人として、精太も聞き及んでいた。・・・暗黒軍団との戦いの際に若き日の殺駆頭を補佐した先代の三兄弟と比べればいくらか劣る、という評判も込みでだが。
 無論、七人の頑駄無に名を連ねる以上、精太とて一対一なら三人の誰にも劣るとは思っていない。しかし三人で連携されると、負けはしないにしてもそう容易く決着をつけられるものではないだろう。
 そして場所がよくない。狭い橋の上にいるおかげで残りの雑兵は手を出すことができないというのは好条件とも言えるが、しかし機敏さが身上の精太にとって脚を活かせない場所での戦いは不利だ。
「やはり、機を見て対岸まで駆けてしまうのが上策か。・・・しかし」

 あの男、武者ならば、この程度の苦境など一刀をもって容易く突破してみせるだろう。なれば自分も、ただ隙を伺って背を見せるなどという真似は出来ない。まして自分は一人ではなく、緒羅四恩も共にあるのだ。
 それにこれは己の武人としての腕、研鑚の成果を試す機会でもある。

 ここで三兄弟を倒すことは小事に過ぎず、帰参を優先すべきだと、そう精太の理性は告げる。しかし一瞬の逡巡の後、精太は己の衝動に身を委ねた。
「よかろう。あえて行く手を妨げるというのなら、そっ首三つ揃えて晒してやるも一興」
 精太は薙刀を正面に構える。
「な、何をぅ!」
「逸るな。その鼻っ柱、我等がへし折ってやればよい」
「おうよ!」
 取り囲むように間合いを詰める三兄弟に対し、精太は正面の新殺駆に対し緒羅四恩を突っ込ませ、同時に自らは飛び降りて背後の古殺駆に斬りつける。
 古殺駆は不意打ちに近いその一撃にかろうじて耐えたが、打ち込みに体勢を崩す。あと一手の追撃で討てると精太は確信するが、横から今殺駆が割って入る。
 薙刀を振り抜いて今殺駆をいなし、そのまま後ろに跳んで再び緒羅四恩に跨った。顔面に馬蹄の跡をつけた新殺駆がふらつきながら立ち上がるのを視界の端に捉える。
「お、おのれ、この新殺駆様の顔に傷を」
「存外似合っているのではないか」
 鼻で笑うが、内心で精太は三人の連携に舌を巻いていた。個々の実力はともかく呼吸は見事に揃っており、決定打を入れる隙は容易には見えない。

 長丁場を覚悟した精太は、先に胸中の疑念を投げかけておくことにした。
「・・・ところでな、有象無象」
「殺駆三兄弟だ!」
 即座に訂正されるが、精太はそれは無視して続けた。
「今回の沙汰、殺駆頭殿は承知しておられるのか? あの御仁のやりようではないと考えるが」
「・・・ふん、無論だ」
 若干の間を置いて、古殺駆が答える。
「そもそも今の国境線は先の戦乱の後になし崩しで画定されたものに過ぎん。領地の不当な占拠があれば、それを奪還するのも当然というものだ」
 言いがかりだと精太は思うが、戦端を開く口実などそんなもので足りるのだろうとも思う。
「交渉による返還を求めることもなく侵攻するか。それを貴様らは是とするのか?」
「我等の剣は殺駆一族のためにあり、我等の命は殺駆頭様のためにある。主命があれば我等はただそれに従うのみよ」
「その主命が間違いだったとしてもか?」
「ああ」
 今度は即答だった。二人の弟も無言で首肯している。
「なるほど、その忠道は正しいな」
 精太は息をついた。
「ならば私も私の忠義を通すまでだ」

 薙刀を構え、精太は打ち込むべき場所を見定める。
「腐っても三兄弟、簡単には抜かせてくれんか。・・・む?」
 かすかに風を切る音を耳にし、精太は空を見やる。彼方から飛来する影が見えた。
「ところで有象無象」
「殺駆三兄弟だと言っているだろうが!」
「大体ところでが多いんだよお前!」
 今回も精太は訂正を無視し、抗議も無視して続けた。
「一つ提案なのだがな、ここは危険だから一旦退いた方がいい」
「世迷い事を!」
「なら好きにするがいい」
 言うなり精太は緒羅四恩を対岸側に跳躍させ、
 次の瞬間には飛来した巨大な鷲の背から爆弾が投げ込まれ、三兄弟が立っていた一帯は轟音と共に粉砕されていた。

「あれま、あいつら泳げねえのかよ」
 大鷲の背に乗っていた男は、川に落ちた三兄弟を対岸から眺めている。大鷲と精太、緒羅四恩もその傍にいた。
 男の名は摩亜屈。精太と同じく七人の頑駄無に名を連ねる者で、相棒の大鷲との連携による空中戦を得意とし、また二刀流の達人でもあった。頑駄無軍団への加入は摩亜屈の方が早かったため、形の上では精太の義兄ということになる。
 やはり主命により大鷲に乗って帰参する途中、精太を見つけて助勢した、という話だった。
「いや、何だ、頑駄無軍団の忍者だか隠密だかがいるだろ? あれが矢文を寄越してな。寄り道してこの橋の様子を見てこいって言いやがるから来たんだが、大当たりだったぜ」
 摩亜屈はそう言って呑気に笑った。

 橋は爆弾で完全に分断されているので、追手の心配は当面無い。
「畜生、さんざんコケにしやがって、ぷは」
「せっかく練習したスイカ割り殺法を使う暇も与えんとはこの卑怯者め、げほ」
「覚えてやがれ、もが」
 雑魚一族に縄や木片を使って引き上げられつつ、三兄弟は口々に罵声を挙げていた。
 実際のところ先に不意打ちを仕掛けたのは三兄弟なので卑怯と言われる筋でもないが、摩亜屈はそれを知っていたわけではない。しかしこの男は卑怯と言うより、単に何も考えずにやりやすい手段を選んだだけなのだろうと精太は思った。
「いや、泳げない以前に、あの距離で爆発してよく生きてんよな」
 大した連中だ、と摩亜屈は笑う。
「しかしスイカ割りってのは何なんだ」
「・・・おい摩亜屈」
「ああ、礼はいらねえぜ。仲間ってのは助け合うのが当然だ」
「誰が礼など言うか。そもそもいきなり爆弾を投げ込んで吹き飛ばすのは助けるとは言わん。お前は私を爆殺する気か?」
「え? だってお前生きてんじゃん」
「気づくのが遅れていたら私も川の中だ」
 口調こそ落ち着いているが、精太は怒気を露わにしている。一方、摩亜屈は呑気に構えていた。
「お前ならそんなヘマはしないと思ったし、実際しなかったろ」
「それはそうだがな」
 精太は摩亜屈の大雑把な戦法は気に入らなかったが、自分の力量を認めてのことだと言われればあまり強く咎めもできない。
「つうかよ、あんなのに囲まれるなんざ、迂闊じゃねえのかよ。らしくもねえ」
「囲ませてやっただけだ」
「口の減らねえこった。全く、お前にゃお前にしかできないことがいくらでもあんだろうによ。何焦ってんだか」
 内心を見透かしたような物言いを精太は不快に感じたが、武者への対抗心が自分に無難な選択をさせなかったのは否定できない。
 それに摩亜屈なりの気遣いもあるのだろうと思い、反論はしないでおいた。

 七人の頑駄無は義兄弟ということになっているが、精太は他の頑駄無を仲間であり同志だとは思っていても兄弟という認識は薄いし、他の面々にしても実の兄弟である長兄・武者と次兄・農丸を除けばそうだろうと思っている。しかし摩亜屈だけは、精太たち義弟に対し兄であるということを重く認識している節があった。
(あれは、真悪参の目指す武は我等とは違っていた、というだけの話だ。摩亜屈の責任では無いだろうに)
 精太は自分と摩亜屈の間にいた義兄のことを、ふと思った。

 そんな精太の胸中には構わず、摩亜屈は呑気そうに橋を眺めている。
「それにしても、駄舞留精太の奴はすげえよな。試作品だっつってたけど、こんな小さな爆弾一つであれだけ見事に橋をぶち割れるとは思わなかったぜ」
 摩亜屈が爆弾を手の中で転がしながらそう言うのは、精太には聞き流せなかった。
「おいお前、まさか爆弾の威力も知らないで使ったのか?!」
「ああ。試す機会も無かったからよ。まあ強力だとは聞いていたし、危ないから迂闊に試し撃ちってわけにもいかねえだろ?」
「今の使い方が迂闊でなくて何が迂闊だというのだ。その口でよくも他人を迂闊などと言えたものだなこの馬鹿者」
 駄舞留精太もまた七人の頑駄無の一員であり、剣士としても並ではない力量を持つが、それ以上に火薬、大砲の扱いに長じた男だ。その気になれば橋を分断するどころか、橋全体を焼き払う爆弾でも作ることができるだろう。
 そしてもう少しこの爆弾の威力が大きければ、冗談ではなく自分も吹き飛ばされていたかもしれない。
「あっ手前、馬鹿って言った奴が馬鹿なんだぞ」
「ならお前は二回言ったから二倍の馬鹿か」
「うわ、ひでえこと言うなお前。性格の悪い」
「頭が悪いよりはましだ。・・・それより急ぐぞ。無駄にできる時間なぞ無いことは承知しているだろう」
「ああ、それはまあ、そうだ。なら、俺はこいつと飛んで行くから別行動だな」
 摩亜屈は大鷲の首を撫でる。
「もう囲まれんじゃねえぞ」
「お前こそ弓で撃ち落とされんようにせいぜい用心することだな。大鷲がいかに速く高く飛べるとはいえ、乗り手が馬鹿ではどうにもなるまい」
「また言うかよ。・・・ふん、その話は城に戻ってからでいい。じゃあな」
「ああ」
 そして二つの影が同じ方向を目指して突き進む。


■第三幕

 七人の頑駄無が一人、仁宇は、守護獣の飛龍を連れて山中を駆けていた。
 悪路ではあったが、長く山で修行をしていた仁宇と飛龍は山道には慣れている。山を迂回し、敵の待ち伏せがあるかもしれない街道を行くよりも、結果的には時間を短縮できると判断していた。
 しかし行く手に気配を感じ、仁宇はその判断が誤りだと悟る。その気配は強く、また彼には覚えがあるものだった。

 果たして山道の先を塞ぐ一団が見える。覆面と忍装束に身を包む、一見して忍者と知れる者どもだったが、その中に一つだけ異彩を放つ姿があった。
 山道を行くには身軽である方が好ましい。忍者は鎧など着ないし、仁宇も軽量な鎧を好んで使っている。
 しかしその男はこの山中にあって、赤い地を銀で飾った豪奢にして堅牢な鎧を纏って、槍ほどもある長大な野太刀を背負っていた。
「読みが当たったか。久しいな、仁宇」
「漣飛威・・・何故ここに」
「知っていればこそ、急ぎ駆けていたのだろう? 闇軍団の挙兵をな」
「ああ、しかしそれは貴方がここにいる理由にはならない。闇軍団が我等に仇為すとして、
貴方がその闇軍団に従う理由がどこにある? 闇軍団に正義など無いのは明らかだ」
 漣飛威は堂我一族の頭領だった。優れた忍者を輩出してきた一族にあって例外的に剣士、武将として突出した才覚を示し、また道を外すことを嫌う高潔な男だ。
 そして仁宇にとっては、かつての兄弟子でもある。
「堂我一族は殺駆一族、殺駆頭殿に大恩がある。それを返す機会を捨ててまで正義を口にしたところで、そのような言葉が力を持つものか」
 漣飛威は淡々と言い捨てる。
「・・・貴方は、一族を守るためにあえて闇軍団に従うつもりか?」
「憶測で語るな、青二才が。そもそも俺も貴様等も、この天宮の地に生きる戦人の目指すところは天下統一であろう? ならばそれをより早急に為すために天下布武を唱える闇軍団の道も、一つの道ではあるだろうよ。
 正義を為そうとする者に、それを実現するだけの力が伴っていなかったという事実が、この戦乱が終わらん理由だ。そのくらいのことは貴様にも見えていないわけはなかろう」
「非力なればこそ力を合わせる必要が・・・」
「力を合わせることすらできなかった結果が、この終わらない戦乱だと言っている! 叶えられもせぬ夢を語り民草を困窮させるのが貴様の言う正義なら、俺はあえて悪を為そう。たとえ死して地獄に落ちることになろうとも、今この地を平定できるならそれで構わん!」
 歴戦の武将、そして自分より先を行く武人の一喝を受け、仁宇は身がすくんだ。
 自分たちに天宮を平定する力が無かったからこそ、闇軍団のような者どもが跳梁する。それは否定できない。その非力さが、高潔な武人であり尊敬する兄弟子であった男をこうも追い込んだのだと思えば、絶望を感じもする。
 心が屈しそうになったが、しかし懸命に、視線だけは外さなかった。
「・・・本気なのか、貴方は」
「言葉などで人の本意は測れんさ。貴様も武を為す者なら、身につけた技で語るがいい。ならば俺もこの剣で語ってやろう。何、部下に手出しをさせるような無粋はせぬ」
 漣飛威は手斧を構えた。

「決闘か。あえて手を汚そうとする御仁のすることでもないだろうが」
 仁宇も自分を守るように身を寄せていた飛龍を下がらせると、背負っていた黒塗りの片穂槍を構え、さらに背にした十二の刃、仁宇の意を汲んで宙を舞う扇子龍を解き放つ。
「扇子龍を使うか。ならばこちらも手を抜いては無礼というものだな」
 漣飛威の背から六つの鋼弾、飛来撃が解放される。仁宇と同門での修行で体得した、扇子龍と対をなす武器だ。
「手を抜かないというのなら、その刀を使えばよいのでは?」
「抜かせ青二才。まだ早い」
 嘲笑するなり漣飛威は一気に踏み込む。全身に鎧を纏っていながらその動きは突風のようで、一瞬にして間合いに入っていた。
「速い?!」
 仁宇は扇子龍を飛ばし、さらに槍を突き込むが、体をひねって紙一重でそれをかわした漣飛威は肉迫して斧を叩き込む。
 扇子龍の一つが斧の前に割って入り一撃を防ぐが、扇子龍もそのまま弾き飛ばされ、漣飛威は斬撃の勢いのままに回し蹴りを放ち、仁宇を吹き飛ばす。
 仁宇は衝撃で呼吸が止まり意識を失いそうになったが、空中で体勢を立て直し、着地して距離を取った。
 その間にも攻撃に回った扇子龍が漣飛威を狙っていたが、飛来撃がその全てを阻む。

 扇子龍と飛来撃。共に宙を舞い、敵を撃つとともに術者を守る盾にもなる攻防一体の武器であるが、その性質には違いがある。
 軽快で鋭い扇子龍は変幻自在の華麗な攻撃を可能とするが、その一撃もまた軽い。一方、飛来撃は重厚で頑健だ。小回りが利かず、常に先の手を読まなければ有効に扱えないが、砲弾並みの破壊力を備えるうえに防御に回ればまさに鉄壁となる。
 そして漣飛威は六つの飛来撃を操っていたが、その全てを防御に専念させることで、扇子龍の攻撃を無効化していた。
 重いうえに数でも劣る飛来撃だが、漣飛威一人を守るだけなら六つでも充分過ぎる。そして軽い扇子龍では、鋼弾そのものの飛来撃をぶつかり合いで打ち破ることはできない。
 ならば飛来撃の隙を見極め、そこを扇子龍で突くしかないが、斧を手に自ら肉迫する漣飛威を前にしては十二の扇子龍の操作に集中することなど叶わない。飛来撃を攻撃に回させないために扇子龍で牽制するのが関の山だ。
 扇子龍を知らない、扇子龍と同種の武器を持たない相手に対しては絶対的な猛威を振るう十二連撃だったが、その技を知り尽くし防御手段をも持ち、さらに剣技では仁宇を上回る漣飛威に対しては相性が極めて悪かった。
「どうした? そのような技では俺には通じんぞ!」
「ちいっ!」
 四方から漣飛威を突く扇子龍は飛来撃に弾かれ、漣飛威の振るう斧は仁宇の槍と鎧を削っていった。

 漣飛威との相性の悪さは仁宇も最初から把握していたが、しかし勝機を見出すことは不可能ではないとも考えていた。
 扇子龍にしろ飛来撃にしろ、自在に操るにはかなりの集中力を要し、連続して使えば精神的な消耗も大きい。そもそも同時に十二もの扇子龍を操ることも、元来この技に天性の才能を持つ仁宇が長く修行を積むことではじめて可能となった技だ。並みの者では一つの扇子龍ですら長くは扱えない。
 そして漣飛威は剣士としては圧倒的だが、飛来撃を操る技には然程の天稟を持ってはいなかった。自ら接近戦を行うと同時に六つの飛来撃を操ることができるのも、偏にその強靭な精神力の賜物だ。だから押されていても精神的な消耗は漣飛威の方が激しく、一瞬でも長く猛攻を凌ぎ続ければ、より勝機に近づくことができる。仁宇はそう考えてこの決闘を受けた。

 しかし、漣飛威の斬撃の鋭さは仁宇の予想を越えていた。同門で修行をしていた頃に漣飛威の剣技は既に常人の及ばない域で完成していたと、そう仁宇は思っていたが、漣飛威はそこからさらに成長している。
 それに消耗を待てば勝機が見えるということは、逆に言えば精神力が尽きる前に押し切ってしまえば漣飛威の勝ちということでもある。そして、
 漣飛威はまだ本気を、その刀を見せてはいない。

「鋭い技だ。鋭いが、しかし軽いな」
 斧の一撃を押し込むと、漣飛威は一旦間合いを取った。あと一撃入れれば、防げたとしても仁宇の槍はへし折れるだろう。
「貴様と舞うのもなかなか楽しくはあったが、しかしもう飽きた。次の一撃で決めるとするか」
 漣飛威は背にした野太刀を手に取り、飛来撃に鞘を引かせてその身の丈ほどもある刃を抜き放った。
 得物は長い方が間合いが広く、重い方が威力も増す。だが、過剰に長く重い刀は扱いづらく、足枷にこそなれ有効な武器とは言い難い。
 しかし漣飛威は卓抜した膂力と技とで、この物干し竿と揶揄されるほどの長刀を見事に使いこなし、名を馳せていた。
「さて、俺は次の一撃に必殺を期すが、貴様も見栄など張らずに全力で来るがいい」
「私は見栄など張っていない」
「ふん、貴様と飛龍は一心同体なのだろう? ならば飛龍の力も貴様の力だ。遠慮なく使うがいい」
「くっ・・・」
 漣飛威の言葉には納得しかねる。しかし漣飛威が刀を抜く前に勝機を見出せなかった時点で、飛龍の力を借りずに勝てる見込みは皆無に近い。仁宇は既に肩で息をするほど消耗し、さらに槍もひどく傷ついている。
 そして仁宇には頑駄無軍団に帰参し闇軍団の暴挙を止めるという使命があり、何よりあえて悪を為すという漣飛威の決意を、己が力を示すことで覆さなければならない以上、ここで倒れるわけにはいかなかった。
「ならば見るがいい。飛龍、合体!」
 後方で伏せていた飛龍が飛び上がり、仁宇を背に乗せてさらに上昇する。
 そして雷光が一閃し、次の瞬間には仁宇と飛龍が心身ともに一体化した、まさに龍神と呼ぶべき偉容が漣飛威を睥睨していた。
 決闘をただ黙して見守っていた堂我一族の忍者も、その凄まじい威圧感にどよめきをもらす。しかし漣飛威は龍神を見上げると不敵に笑った。
「それでこそ俺の相手に相応だ。さあ、来い!」
 龍神はそれに答えるように咆哮すると、漣飛威を狙って雷を落とす。雷に打たれた岩は粉々に砕け木は真っ二つに裂けたが、それを漣飛威は全てかわし、更には扇子龍の攻撃を防ぐ必要がなくなった飛来撃を撃ち上げた。
 雷撃が当たらないのを見て取ると、龍神は漣飛威に向かって飛び掛った。飛来撃が渦を巻いて龍神に六連撃を叩き込むが、その全ては強靭な鱗に弾かれる。
 咆哮し一直線に迫る龍神を、しかし漣飛威は不敵に見据えていた。そして龍神が刀の間合いに入る、その瞬間に漣飛威は裂帛の気合を込めて刀を撃ち下ろす。
 龍神は咄嗟に身をひねり、刃は飛来撃に耐え切った鱗をも斬り裂いたが深手には至らない。龍神は勝利を確信し、刀を振り抜いて無防備になった漣飛威へと咆哮を上げつつその爪を振りかざしたが、
「まだだ!」
 爪が漣飛威の鎧を貫きその身に達しようとした瞬間、振り抜いたはずの刃が反転し、返しの二撃目が龍神の鱗を抜いて血肉を喰らっていた。

「実戦で使うのははじめてだったが、この『燕返し』もまんざら使えんでもないな。いや、『飛龍返し』とでも言うべきか?」
 合体を解いて地に膝をついた仁宇の前で、漣飛威は誰にというでもなく呟いた。龍神の爪を受けた鎧は大きく引き裂かれていたが、漣飛威自身を傷つけるには至っていない。
 一方、龍の鱗に勢いを削がれ致命傷には届かなかったものの、既に仁宇と飛龍は戦える状態ではなかった。
 飛来撃の六連撃を一点に叩き込み、さらに裂帛の斬撃から続けざまに返しの二撃目を放つ。只でさえ困難な連撃を、それも異常に長く重い刀で放つなど、完全に仁宇の予測の外だった。完敗と言うしかない。

 絶望の淵にある仁宇を前に、しかし漣飛威は内心、舌を巻いていた。
 仁宇の技も漣飛威の技も、共に相手の鎧には達している。しかし鋭利さを極めた仁宇の技では中の身体に達しなければ傷にならないが、重い漣飛威の技は当てるだけで内側にも衝撃が通る。その蓄積が差になっていた。
 加えて、長大で重い野太刀でさらに連撃を放つ燕返しは、まともな相手に対しては破壊力が過剰な技だ。野太刀の一撃でも勝負を決するに至らない敵、つまり強固な鱗に覆われた龍神を斬ることを念頭に、漣飛威はこの技を体得した。
 その必勝を期した技ですら致命傷には至らなかった。消耗する前に、最初から合体を使っていれば、あるいは龍神の爪は漣飛威の鎧だけでなく身体をも裂いていたかもしれない。
 いずれにせよ勝ったのは自分だ。そしてそれは偶然ではない。しかし勝負を分けた差は、仁宇の認識よりもわずかなものだろうと、漣飛威は思う。

「貴様の正義は俺の力に打ち勝つほどのものではなかったようだが・・・まあいい。命をつないだなら、せいぜい技を磨いて闇軍団に歯向かって見せろ」
 そう言うと漣飛威は飛来撃を使って刀を背に納め、仁宇に背を向けた。
「と、止めを刺さない、だと・・・? 貴方にかけられる、情けなど・・・」
「勘違いするな」
 漣飛威は振り返らずに言う。
「そこの岩陰で物騒な大砲を構えてこちらを狙っている酒樽のようなむさ苦しい男は、貴様の仲間なのだろう? ここで止めを刺そうとすれば、奴は貴様もろとも俺達を吹き飛ばす覚悟だろうよ。死に損ない一人と引き換えに、部隊一つと自分の命まで捨てたのでは計算が合わん」
 漣飛威は手で指示を出し、周囲に展開していた堂我一族の忍者は徐々に撤収していく。
「全く。決闘に水を差すなど、無粋な酒樽を友に持ったものだな、仁宇。もっとも、粋を解する酒樽など見たこともないが」
 岩陰に隠れる男に向けて嘲笑を放つと、漣飛威は山を降りていく。
「ではな、せいぜい野垂れ死にせぬように励むがいい」

 堂我一族の忍者が全員立ち去ると、岩陰に隠れていた男、七人の頑駄無が一人・駄舞留精太は仁宇に駆け寄って止血の処置をした。
「・・・済まぬ、駄舞留精太。助かった」
「ふん、構いはせんさ。しかし何じゃいあの無礼者は。この頑駄無軍団一の美丈夫の駄舞留精太様をつかまえて酒樽呼ばわりとは、眼が腐っておるんじゃあないのか。大体あの悪趣味な赤い鎧で他人をとやかく言えた義理か」
 毒づく駄舞留精太を見て、仁宇は弱々しく苦笑した。
 駄舞留精太は火薬と大砲の扱いに長けた技師であるだけでなく屈強な体躯を持つ武人でもあるが、その鍛えられた体は力士のそれに近く、酒樽という比喩もそう外れてはいない。
「しかし・・・おぬしの兄弟子だったか? それだけのことはあるのう」
 駄舞留精太が大砲を放てば、一撃でこの場にいた堂我の忍者の大半に被害が及びはしただろう。しかし漣飛威なら、駄舞留精太の存在に気づいていたならば砲撃よりも早く駄舞留精太に肉迫し、そのまま斬ることもできたはずだ。
 駄舞留精太は不意打ちをかけずにわざと漣飛威に気配を晒し、漣飛威はそれに乗ってあえて仁宇を見逃した。これはそういうことだった。

「新しく作った戦車が早速役に立つわい。これなら山道も苦にならんし、おぬしと飛龍くらい運べる馬力もある。・・・だがの、少し休んだ方がいいだろな、これは」
「いや、今は急がねば・・・」
「馬鹿言うない。その傷ではどのみち当分は戦えんぞ」
「私はそうだが、お前は帰参すればすぐにでも戦えるし、戦わねばならんだろう」
「まあ・・・そうだの。これからは忙しくなるわい」
 やれやれ、と駄舞留精太は顎を掻いた。
「だがのう、今からでは日没までに山を下りられんわ。夜営に適当な場所を探して、出発は明日の朝じゃな」
「しかし、それでは・・・」
「うるさい、怪我人は大人しくしておれ」
 そう言うと、駄舞留精太は自作の戦車から大砲を外し、残った台車に仁宇と飛龍を乗せた。
「・・・ところで、お前はどうしてこんな山中に?」
「ああ、そりゃ隠密の奴から連絡があっての」
「隠密?」
 頑駄無軍団に忍者がいるのは知っていたが、仁宇は会ったことはなかった。
「投げ文が来ただけで、わしも顔は見ておらんがな。あやつはあの赤い奴の待ち伏せに気がついたが、おぬしには連絡がつけられなんだらしい。そこでたまたま近くにいたわしに連絡が来たと、そういうことだ」
 予定通りなら今晩はもう一つ先の宿場で名物の鍋を食うはずだったんだが、これはこれで拾い物だったの、と駄舞留精太は笑った。


「・・・いつまで後をつけてくる気だ」
 山道を一人歩いていた漣飛威は、足を止めずにそう言った。
「何だ、気がついておったのか。それで知らぬ振りとはつれない奴だな」
 女の声がしたが、姿は見えない。
「俺はお前に用など無い」
 漣飛威は歩き続ける。
「薄情だな。これでも此度の戦では轡を並べる盟友であろう?」
 漣飛威の正面に、白い衣を纏った女が姿を見せた。
 悪沈一族の頭領、玖辺麗。
 かつての阻路門の乱においてくノ一五人衆の筆頭として名を馳せ、その後は悪沈一族を掌握した女傑である。
「盟友? 抜かせ、雌狐が」
「はん。私が狐なら璽悪は狸といったところか? 堂我一族の頭領殿も気苦労が多いことだな」
「全くだ」
 玖辺麗の嘲笑を漣飛威は苦々しげに返す。
「しかし敵となった弟弟子は見逃して再戦の機会を与えるか。全く清々しい武人ぶりよのう」
「・・・何が言いたい。わざわざ皮肉を言いに来たのでもあるまい」
 闇軍団の一員としては、漣飛威の行動が失態なのは明らかだった。闇将軍に次ぐ立場の殺駆頭はともかく、漣飛威、玖辺麗、璽悪の力関係は流動的であり、ここで相手の失態を押さえることは有利にはたらく。
「いや、ただの皮肉さ」
 しかし玖辺麗はそう言うと薄く笑った。
「それにいくらかは本心でもある。このような腐った道行きで貴様のそのありようは、愚かだが清々しい」
「ふん、勝手に歌っていろ」
 漣飛威はその場から立ち去ろうとしたが、玖辺麗はまだ続けた。
「しかしあの仁宇とかいう奴も案外使うではないか、貴様に血を流させるとはな」
「・・・何の話だ?」
 仁宇の攻撃は飛来撃や鎧に傷をつけはしたが、漣飛威の血肉を斬るに至ってはいない。
「うん? しかし貴様、背中を斬られているではないか」
「いや、これは、納刀を失敗してな」
 玖辺麗は不審な顔でしばらく沈黙し、それから吹き出した。
「な、何だ貴様、自分の刀で背中を斬ったのか! なら貴様はあれか、うっかり自分で背中を斬って血を流しながら真顔で『励むがいい』などと抜かしておったと、おう、これは傑作だ」
「これは長いから手では抜き差しが無理でな。だから飛来撃を使うしかないが、殴るための道具だから器用な真似は難しい」
 漣飛威は真顔で返した。


■第四幕

 山のような巨体。その歩みは遠目には緩慢に見えるが、巨躯ゆえの並外れた歩幅により、実際には駆けるほどの速さだった。
 七人の頑駄無が一人、斎胡である。
 背は雲を突くほどに高く、頑健な体に鎧を纏い、巨大な金棒を携えるその姿は地獄の獄卒さながらである。事実、頑駄無軍団に参加する以前には山賊として恐れられ、幾度か差し向けられた討伐軍をことごとく返り討ちにしたという。

 その斎胡が何故山賊から足を洗い、頑駄無軍団に加わったのかは知られていない。仁宇と戦って敗れ、恭順したとも言われているが、仁宇はその説を否定している。
 そしてそれ以降の斎胡は、軍団の本拠地である頑駄無城や他の拠点に身を置くことは少なく、相棒の巨牛・バイソンと共に専ら辺境を旅している。七人の頑駄無に名を連ねる他の面々も修行や任務のために城を空けることは少なくないが、斎胡はただ辺境を巡っているだけである。
 野宿が多いが、村落に滞留する場合は対価として開墾等の手伝いをする。人力では動かすのが困難な大きさの岩が埋もれていても、斎胡ならば容易に掘り起こして取り除くことができる。他にも土砂崩れで塞がった山道の復旧や水路の整備など、戦乱で放置されがちな辺境には争い以外にも彼の力の振るいどころはいくらでもあった。

 ただ、この日の斎胡は次の村を目指すでも城に帰参するでもなく、ある場所へと歩んでいた。

「おう、おう、来たか」
 森の中の沼地を見下ろす岩山の上で、巨忍軍団の頭領・璽悪は喉を鳴らした。その脇には配下の忍者・紅陰慢査が控える。
 眼下の沼地の中央には朽木でできた狭い足場があり、そこには子供が一人取り残されている。そして沼の手前には斎胡が立ち、璽悪を見据えていた。
 斎胡がバイソンを連れていないことに璽悪はわずかに不審を感じたが、周囲には部下を配置し監視している以上、伏兵として使われる恐れはない。
「呼び出しに応じてもらい足労であった。見てのとおり、子供には手を出しておらん」
 子供はかつて斎胡が滞在した集落の住人だった。帰参の命を受けた斎胡の帰路の上にあるその集落に彼が立ち寄ることを見越して、璽悪は手勢を使って子供を攫い、伝言を残し斎胡を呼び出していた。
「・・・用件を言え」
 斎胡の声が低く響く。
「先日にも使者を送ったがな、巨忍軍団に貴様が欲しい、斎胡」
「その話なら断ったはずだが」
「一度で諦めきれるものか。貴様程の人材はそうそういるものではない」
 事実、璽悪は斎胡を七人の頑駄無の中で最も高く評価していた。
 引き抜きを目論んだのは、元山賊という経歴や拠点外での単独行動が多いという傾向から交渉がしやすいという読みもあったが、我流で洗練や技巧からは遠い、膂力に物を言わせる斎胡の戦い方は璽悪の好みでもあった。
 というより、璽悪はおよそ武芸者という人種に嫌悪感を抱いている。
 彼にとって武術とは殺人のための技術に過ぎない。だから、生存し闘争に勝利するための手段とするならまだしも、それ自体を目的とする思想は理解の外であり、耐えがたいものだった。

「俺の元に来い、斎胡。俺ならば貴様の力を効率よく使い、頑駄無どもより手際よくこの戦乱を終結させられる」
 璽悪は自信に満ちた声でそう断言し、実際に彼自身はそれを確信していた
「・・・お前は気に食わん。下らん話のために子供を巻き込むな」
「人質を取ったことが気に入らないなら謝る、この通りだ」
 見下ろす岩山の上からとはいえ、璽悪は実に簡単に頭を下げた。
「まだ天下を押さえるには足りぬとはいえ、俺にも一軍団の長という立場がある。敵軍に身を置く者と直接会うには保険が必要だったと理解してくれ。貴様が拒んだとしても子供に危害は加えんし、あの集落にも手出しはしない。何なら誓書を書いてもいいぞ。
 それに帰順するなら禄高は言い値で構わん。城の一つや二つ、欲しいならくれてやろう」
 そう言い放つ璽悪を見て、紅陰慢査は嘆息した。
 璽悪は徹底した合理主義者であり、だからこそ闇将軍をも出し抜き群雄の誰もが未だ果たせずにいる天宮の統一を果たす可能性もあるのではないかと紅陰慢査は見込んでいた。そもそも腕は人並み以上に立つとはいえ、忍者でしかも女の自分を何の躊躇もなく登用し部将として使うのも彼のその性向ゆえだ。
 自身もくノ一である玖辺麗が率いる悪沈一族ならまだしも、仮に殺駆一族や頑駄無軍団に紅陰慢査が仕官したところで、実力に見合った地位を得られたとは思えない。
 また、璽悪にしてみれば信義や忠誠などを頼るのは博打でしかなく、戦力を安定して維持するには禄高や城を与えることが最善とし、事実彼は軍団を維持するために私財を切り崩すことさえいとわない。
 しかし、一時は衰退した頑駄無軍団にあえて身を置くような男が相手では、それも通じないだろう。
「要らぬ」
 斎胡の返答は簡潔だ。やはり紅陰慢査の危惧は外れなかった。
「ふむ。理屈がわからんのか。・・・紅陰慢査、俺の話は筋を外していたか?」
「いえ。人は理屈のみで動くものではない、ということにありましょう」
「わからん話だな」
 璽悪は首をひねりながら、斎胡に向き直る。
「貴様もあの連中のように正義と心中する気か? 俺は理念や信義など解さぬが、民草が安寧するにはそのような題目よりまず国が富まねば話にならんだろう。民草が餓えるのは正義や悪のためなどではない。全員が満腹するだけの生産力がこの国に無いからに過ぎん。戦なぞで田畑を荒らし農民を駆り立て、国力を消耗させるなど愚策もよいところだ。正義で人など救えるものか」
「正義など知らぬし、そのような題目も知らん。俺は俺が信じる者のために生きるだけだ。お前は信じられん」
「国が富めば皆の腹も膨れるのだがな。貴様も民草のために開墾だの井戸掘りだのしている暇があるなら、その手を俺に貸してくれれば、下らん争いもすぐに終わるだろうに」
 斎胡の辺境での行動内容を璽悪がある程度は把握していたらしいことを、斎胡はいくらか意外に思った。
「己の仕事を果たせば不安に怯えず明日も飯が食えると思えるなら、日々も充実するし生産力も上がる。それで大方は幸せなのではないか?」
「くどい。俺はお前が正しいとも間違っているとも言っていない。お前のためには生きられない、そう言っている」
 いささか辟易した様子で、斎胡は断定する。
「嫌われたものだな。理屈が合っていればそれでいいだろうに。所詮、武士なんぞはそんなものか?」
「武士でも男でもない私にはわかりかねますが、皆が理で事を捉えられるなら、このような世にはなっていないということでしょう」
 理屈や正しさより信義を優先する生き方というのもあるのだろうと紅陰慢査は思うが、しかし璽悪にそれを説いて理解を得られるとは思わなかった。
「・・・まあいいさ。理解はできんが、予想はしていた」
 その璽悪の態度に、斎胡は不審を感じる。
「存外、あきらめがいいことだな」
「はん。交渉という手段を見限っただけだ。貴様を引き入れるという目的は必ず果たす」
 そう言うと璽悪は片手を挙げた。即座に周囲の木々の陰から多数の兵士が現れ、斎胡に襲い掛かる。
「騙まし討ちか」
「貴様が膂力を使い、武芸者どもが武芸とやらを使うように、俺は頭と兵とを使うのよ。貴様が正面から容易く倒せる相手なら、そもそもここまで出向くものか」
 斎胡は眉をしかめると、金棒を両手で構えた。
「死にたくないなら下がっていろ」
 言い捨て、それでも向かってきた兵士数人を無造作に金棒で薙ぐ。
「おう、おう。これは・・・」
 璽悪には一瞬、攻撃を受けた兵士が掻き消えたように見えたが、実際には兵士は小石か何かのように軽々と吹き飛ばされ、一撃で視界の外まで飛ばされていた。
 あれほどの一撃、まともに当たれば飛ばされる以前に体を粉砕されるところだが、斎胡は金棒に兵士の胴を引っ掛け、持ち上げるようにして投げ飛ばしているのが、紅陰慢査には見て取れた。
「お前は俺を買っていたようだが、それにしては見くびったものだ」
「はん、まだ断ずるには早い」
 斎胡が包囲を崩しきる前に、さらに四方から埋伏の鉄砲兵が現れ、一斉に銃撃する。しかし全ての銃弾は斎胡が両肩から下げた盾によって弾かれていた。
「ずいぶんと丈夫な盾だな」
「いえ、あれは技にございましょう」
 自身も鎧に双盾を備え、また巨忍軍団の副将で大盾を自在に操る弾犬に稽古を受けたこともある紅陰慢査は、斎胡が盾の角度を調節して銃撃を跳弾させたことを悟っていた。
「一撃ならまだしも、あれだけの銃撃を正面から受け止め得る盾を作れば、斎胡であっても持て余すほどの重さと大きさになると存じます」
 しかし跳弾させるにしても、四方からの無数の銃弾全てを捌くのは並みのことではない。弾犬も似たような技を使うが、彼の場合使う盾は一つで、死角が生じるのは避けられない。
 斎胡はおそらく直感だけでそれをなしている。自分が相対したとしても勝てるような相手ではないと紅陰慢査は思った。
「おう、なるほど。大したものだ。そうでなくては罠を仕込んだ甲斐が無い」
 璽悪は喉を鳴らし、そして次の瞬間には凄まじい轟音が響く。
 斎胡を正面から狙って埋伏されていた攻城用の大筒が火を噴いたのだ。
 鉄砲隊の包囲射撃は大筒の照準のための足止めと、発射までの時間稼ぎ、そして射撃の轟音による隠蔽に過ぎなかったことを斎胡は発射の一瞬前に悟り、しかし一瞬あれば身をかわすには充分だったのだが、
 斎胡の背後、大筒の射線上にはまだ子供がいる以上、彼には砲弾を正面から受けるしかなかった。
「璽悪ォォォッ!」
 斎胡の怒号と共に砲弾は二つの盾を砕き、巨体を沼地へと吹き飛ばしていた。

「砲兵隊の仕事は終わりだ、早急に撤収にかかれ。・・・おう、その小僧にももう用は無い。兵をつけてさっさと村に戻しておけ。ああ、ついでに兵糧の予備をいくらか置いてくるようにな」
 璽悪にしてみれば天宮の全ては将来的には自身の領土であり、その人心が多少の食料でいくらかでも自分になびくのなら安いものだという考えがあった。
 璽悪は全ての軍事行動を確保できる兵糧の量から逆算していたし、不確定性を嫌う男でもあったので、巨忍軍団の保有する兵糧には充分な余裕もある。
「さて、こちらの仕事も手早く済ませてしまわんとな」
 岩山の上から斎胡を見下ろす。
 並みの者なら体が原型を留められない程の一撃を受けてもなお、斎胡は意識を失ってはいなかった。しかし流石に思うようには動けず、璽悪の配下によって拘束されていた。
「やはりこの程度では死なんか。期待通りだ。・・・はん、どうした。不満か?」
 璽悪は平然と言い放つ。
「子供に危害は加えんと言ったはずだ」
「加えていないだろう? あの状況で貴様が砲弾を避けるわけがないのだからな」
 斎胡が子供をかばうことを見越して子供を射線に乗せて大筒を撃つ。それは子供を人質にすることに他ならないが、璽悪自身は自分が約束を反故にしたとは思っていなかった。
 岩山から降りようとする璽悪に斎胡は怒気を込めた視線を向けたが、
 次の瞬間、璽悪は足を滑らせ、まっさかさまに転落していた。
「うおう。・・・おう、これはいかんな。動けん、助けてくれ」
 璽悪は頭から落下し、その烏帽子のように尖った兜が地面に突き刺さって、逆立ちのような格好になっている。
 これで平然としているとは、意外と丈夫な首をしているのだな、と斎胡は場違いなことを思った。

 数人の兵士によって刺さった頭を地面から引き抜かれた璽悪は、何度か首を捻ると平然と斎胡の前に立った。
「おう、済まんな。余計な時間を取らせた」
 斎胡を罠にはめたことには悪びれもしないが、相手を待たせたことは気にする。璽悪の中ではそれは特に矛盾することでもなかった。
「ところでもう一度問うが、俺の元に来る気はないか?」
「・・・大砲を撃ち込んでから言うことか」
「言うさ。これから戦が本格化するという時期に、俺が自ら出向いた上に金のかかる砲兵隊を駆り出したのも、俺が本気で貴様を引き入れたいからだと理解して欲しいのだがな」
 やはり璽悪と他の武人との間には埋めがたい溝があると紅陰慢査は感じるが、斎胡は璽悪を自分とも他の武人とも違う男として理解しつつあった。
 無論、理解はできても共感はしていないが。
「この状況で立てさせた誓約が、守られると思うか?」
 斎胡はいささかの呆れをにじませて問う。
「相手によるな。浅知恵の働く輩なら偽降もするだろうが、貴様はそのような真似はすまい」
「・・・ああ、しかし答えは変えん。俺はお前を好かんし、お前の言葉は俺には届かん」
「おう、そうか。残念だな」
 特に残念そうでもなく璽悪はそう言うと、懐から書状を取り出した。
「では、少し雑談に付き合ってもらおうか。俺は最初からこうしてもよかったのだがな、俺の策が貴様の武に拮抗しうることは示しておかねばな。うむ」
 璽悪は書状を開くと、斎胡の前に広げてみせた。
「・・・何だ? これは」
 書面には地図が付されており、この近辺の地形のように見える。
「闇将軍直々の軍令書だ。俺の巨忍軍団はこの線に沿って・・・」
 言いながら璽悪は地図を指す。
「国境まで戦力を展開、そのまま頑駄無軍団へ攻勢を仕掛けるよう指示されている。まあ、それだけなら別に構いはせんのだが、闇将軍は迅速な進軍と、かつ後顧の憂いを絶つために、経路上の城塞は全て落とし、集落は焼き払うよう指示されている」
「何だと?」
 巨忍軍団の進軍経路上には、斎胡と縁のある集落も複数あった。
「速度が重要なのは戦術的には正しいがな。鎮撫にかける時間は無いが背後で反乱を起こされても困る、となれば、焼き払ってしまえというのもある意味合理的ではある。拙速という奴だ」
「それで逆らいもしない集落を攻めるのか!」
「おう、話は最後まで聞け」
 斎胡の声が怒気をはらむが、璽悪は動じもしない。
「今のこの地は占領して統治しても、焼き払っても実入りは変わらん。貧しいからな。
 しかし土地は育つ。貴様が蒔いた種を、民が自ら育てるという発想が根付きつつある。後は待つだけでそれなりの実入りが見込める。それを刈り取ってしまうというのは理屈が通らん」
「・・・なら、どうする気だ」
「経路を変えればいい。後顧の憂いを絶つのが狙いなら、他に落としておくべき拠点はいくらでもある。要は本拠から前線まで迅速に線をつなぐことが要求されているのだからな。てきとうにそれらしい理由を付けて上申すれば済む」
 そう言うと、璽悪は斎胡を探るように見た。
「つまり、だ。この経路上の集落全ての命運が、俺の口八丁にかかっている。その事実を貴様に伝えるのが、俺がここまで出向いた目的、その本題だ」
「人質ということか」
「下らんな。そんなものでできるのは、せいぜい貴様の動きを数瞬止める程度のことだろうよ」
 璽悪は鼻で笑う。
「貧しい村など焼き払ったところで俺には何の得も無い。経路上で恨みを買えば兵站を妨害されかねんしな、むしろ損だ。
 しかし、俺が俺の利益のために経路を変えたとして、貴様はそれで今日のことを無かったものとして軍団に帰参し俺と戦えるのか?」
「恩を売る気か?」
「俺のやり方を貴様に見せただけのことよ。これで貴様が俺に恩を受けたと思うなら、その対価としてしばらく戦には出ずに、俺のやり方を見てみるのだな。
 俺は貴様に何も強要などしない。見ていれば俺のやり方が正しいのは自ずと知れることよ」
 璽悪は倣岸に言い放つ。
「・・・さて、用は済んだ。全軍撤収しろ」
 璽悪の指示で、兵は手早く装備をまとめ隊伍を組んで、引き上げていく。
 璽悪自身も、斎胡を残したままその場を離れた。

「・・・よろしいので? 斎胡をあのままにして」
 いつになく上機嫌に見える璽悪に、紅陰慢査は問う。
「うん? ああ、縄で拘束したままだったがな、奴ならしばらく休めばあの程度、自力で千切れるだろうよ」
「いえ、そうではなく・・・」
「奴は俺と同じ種類の人間ではないが、しかし武士でもあるまい。だから、あれでいい。少なくとも俺の敵になることはない」
 璽悪は確信を持ってそう答えた。
「なら、後の連中は俺の策で躍らせるまでよ。俺の頭に貴様のような優れた手駒まで揃えて、頭の古い武辺者や焼き払うことしか知らぬ愚か者に勝てぬ道理は無いさ」
「・・・ご期待には答えましょう、全力を持って」
 胸を張って歩き続ける璽悪に、紅陰慢査は続いた。

 璽悪とその兵士の姿が見えなくなってから、残された斎胡はゆるりと上体を起こした。
「うう・・・」
 大筒をまともに受けた胴鎧は歪み、腹肉も痛むが、骨や内臓を傷つけるほどの深手ではなかった。鎧と砕けた盾と筋肉とで、砲弾の威力は大きく削がれている。
 鎧と盾は修理なり新しく調達するなりしなければならない。そんなことを思った。
 しかしそれは大きな問題から目を逸らす逃避だ。
 頑駄無軍団、闇軍団、璽悪。誰が正しいのかは斎胡にはわからない。辺境に散らばる無数の集落、そこで暮らす人々は守りたいが、それが正しいことなのかもわからないし、しかし人を犠牲にする正義というのもわからない。
 斎胡はただ守りたいものを守り、信じられる男に従ってきた。璽悪は、あの男の道は、それからは外れていると感じる。
 しかし璽悪には借りがある。それを返さずに璽悪と敵対はできない。それに、目的がどうあれ結果として璽悪の行動が辺境の集落を救うのは事実だ。
「・・・俺は、選ばなければいけない」
 斎胡は声に出し、自分に言い聞かせた。

 数刻の後、その沼地を百士貴が数名の部下とともに訪れていた。頑駄無軍団の一員にして文武両道に長けた参謀格であり、金色の鎧を纏う伊達男である。
「全く、あの女もどういう了見で連絡を寄越したのか・・・」
 百士貴は呟く。
 帰参の命令が出てからも消息がつかめなかった斎胡が、この地で巨忍軍団の襲撃を受けることになった事実とその経緯について、百士貴は配下の忍者を経由して何者かから連絡を受けていた。
 既に巨忍軍団の部隊は撤収した後であり、斎胡自身の姿も無かったが、近くの集落を守るようにしていた彼の相棒であるバイソンと合流することはできた。また、現場には木の表面に符丁による伝言が刻まれていて、百士貴はここで起こった一部始終を知ることになった。
 その符丁は、悪沈一族の玖辺麗が、かつてくノ一五人衆の一員として活動していた頃に使っていたものだ。それは百士貴が最初に玖辺麗と出会った時期でもある。
 玖辺麗は百士貴に読ませるため、そして伝聞が自分の意によるものだと示すために、あえてこの古い符丁を使ったのだろう。
「璽悪への牽制が狙いか? ・・・まさか、旧知のよしみというわけでもあるまいし」
 口に出してから、百士貴は自分の考えの甘さに苦笑した。
「全く、自惚れが過ぎるな」
 軍団の再結集が済み次第、斎胡の探索に着手しなければならない。百士貴の思考はそちらに移り、玖辺麗のことは頭から追いやられた。


■第五幕

 十二人の僧兵が四方から武者に襲い掛かる。
「全く、囲めばそれでよいというほど簡単ではないだろうよ」
 武者は動じる風もなく、最初に接近した一人を薙刀で跳ね飛ばすと、そのまま囲みを抜けた。
「まずは一つ」
 三人の僧兵が追いすがり、反転し正対した武者の正面と左右を塞ぐように打ち込みを入れようとしたが、武者は腰を落として下段に薙刀を払い、刃先で右の僧兵を打ち倒すとそのままの勢いで石突を左の僧兵に叩き込む。
 残った一人の打ち込みを薙刀の柄で受けて押し返し、体勢を崩した僧兵を殴りつけて昏倒させた。
「これで四つ」
 しかしその間に迫った新手に左右から挟撃を受け、赤い鎧は金棒に打たれ刺又に突かれる。
「取ったか?!」
 だが地面に転がるのは、鎧兜と薙刀のみ。そして次の瞬間銃声が響き、二人の僧兵は得物を取り落として倒れ伏せた。
「な・・・空蝉だと?!」
「ようよう六つか。こう数が多いと、つたない手妻でも使わねば捌き切れんな」
 鎧を脱ぎ捨て銃を構えた武者は自嘲気味に呟く。さらに銃を放ち一人を倒したが、残る僧兵は果敢に間合いを詰め、武者は銃を投げ捨てて刀に手をかけた。
「お覚悟!」
「ふん、今更・・・」
 僧兵の得物が武者を捉えようとした刹那、幾条もの光が閃く。その光が消えたときには、さらに二人の僧兵が打ち倒されていた。
「覚悟などするものか」
 武者はただ、腰の刀に手をかけたまま立っている。
「居合か・・・しかしこれは、まさに神速ではないか」
 怒武にはかろうじて二条までの太刀筋が見えたが、倒れた僧兵の鎧の傷跡から判断すると少なくとも五度の斬撃が放たれている。
 そして街道に立つ者は、既に武者と怒武だけとなっていた。

「さて、決着は既についたと見るが」
「そう見受ける。見受けるが、しかし拙僧にも今更退けぬ意地がある」
「意地を通すために身を捨てるか。その意気は全く愉快ではないが、無碍にもできんな」
 武者は腰を落とし、刀に手をかけた。
「ならば御主の武をもって、その意地を貫くがいい」
「かたじけない」
 怒武は金棒を捨て、槍を構える。
 金棒でまともに打ち込んだところで、間合いに入ってから攻撃が届くまでの間にあの居合で斬られることは容易に予想できる。ならば刀の間合いの外から一撃を狙うより他に活路はない。
 怒武は多くの武器の扱いに長けているが、最も得手としているのは金棒だ。しかし、長さが刀と変わらず振りの速度で明らかに劣る金棒に執着しては、勝機を得られないと即座に判断した。
 相手が並みの兵士なら刀の斬撃もろともに金棒で打ち砕ける自信もあるが、この相手と自分とでは技の速度の桁が違う。
「いざ!」
 最初の突きを武者は容易くかわすが、間髪を入れず柄での打撃が繰り出される。その後も突きと打ち込みを織り交ぜた嵐のような連撃が放たれた。
 居合の構えを崩さない武者はその全てを脚捌きだけで避けるが、彼にしてもそれは容易なことではなかった。鎧を捨てた今、怒武の一撃をまともに喰らえば深手は避けられない。しかし鎧、薙刀、銃を同時に携行する彼は、旅装の帯刀には軽いものを選んでおり、仮に居合の構えを解いたところでその刀身には怒武の攻撃を受け切れる強度は無い。
 だが、苦境にあって武者の眼には、今までにはない光が宿っていた。
「金棒が得手と見たが、その上でこの槍捌きとはな。見事な研鑚だ」
「光栄仕る」
 武者は一旦後ろに跳躍し、間合いを取る。
「なれば、俺も相応の技をもって答えよう。・・・次で決着をつける、全力で参られよ!」
「承知!」
 武者の気迫が膨れ上がるのを肌で感じ、怒武は即座に死を悟った。
 しかし、一生の最期にこれほどの剣士に全力で挑み、およそ天宮でも最高に近い技を受けて倒れるなら、武人の端くれとしてそれ以上は望めないだろう。この一刹那、怒武は立場も意地も忘れ、ただ武人として至上の高揚の中にあった。
「おおう!」
 怒号と共に怒武は渾身の突きを放ち、次の刹那、先ほどは捉えることができなかった武者の居合の太刀筋を、
 その刃が槍の穂先を斬り飛ばし、さらに上段から怒武の鉢金を両断する様を、その眼で捉えていた。

 怒武は自身が死を迎えるものと思いその覚悟をしたが、しかしそれは訪れなかった。
 ただ、二つに割れた鉢金が地面に転がり、刀を納めた武者が先ほど脱いだ鎧を拾っているのが見える。
「何故、止めを刺されないのか」
 かすれた声で問いかけたが武者はそれに答えず、武器を拾い集めていた。
 武者は手裏剣のようなものを手にしている。怒武はその投具で僧兵が倒されるところを見てはいないが、剣士として最高峰の腕を持つうえに空蝉や射撃もこなす男だ。怒武が他に気を取られていたうちに事が済んでいたのだろう。
「拙僧に、生き恥を晒せと申すのか」
「・・・全く。度し難いな、全く。恥をかかずに生きられる人間などいるものか」
「そのような理屈を問うているのではない。本意ならぬ命を受け、それを果たすこともできず、さらに兵を死なせ・・・」
「うるさい黙れ」
 手は止めず視線も向けずに、武者は一喝した。
「本意でない命令など蹴ってしまえ。他者の生を背負うのが嫌なら最初から兵など率いるな。死にたければ自分で勝手に死ね。他人の手を煩わせるな」
 反論はできなかった。配下の僧兵を死地に追いやった責任は他の誰でもなく、怒武自身のものだ。
「しかし、拙僧は・・・」
「そう責め立ててやるな、意地の悪い」
 背後から声がしたが、怒武はその声の主の気配に気付かなかったこと、そしてその声が知っているものだったことに驚愕した。
「ざ、ざ・・・」
 振り返ると、深緑の鎧に身を包んだ壮年の武士が立っていた。
「ふん。そちらこそ、今頃になって姿をお見せになるとは、意地が悪くあらせられる」
 武者は動じた様子を見せず、しかし武器を拾う手は止めて声の主に正対する。
「相変わらずご健勝のようで。久しぶりにお目にかかります、殺駆頭殿」
「うむ、貴様も相変わらずだな」
 そこには時穏国の統治者にして殺駆一族頭領、殺駆頭がいた。
「ざ、殺駆頭様! せ、拙僧は、面目ござりま・・・」
「よい。闇将軍直々の命令であれば、逆らえもせんだろう」
「は・・・」
 怒武は平伏する。
「だがな、これは完敗には違いない。貴様にはこの失態を返上してもらわねばならんな」
「覚悟は、できております」
「うむ。ならば傷を癒し再戦に備えよ。次の戦では僧兵軍団には、儂の指揮で先鋒を申し付けよう」
 殺駆頭は怒武を直視して言った。
「し、しかし! 拙僧は、配下の兵を・・・」
「貴様も僧兵どもも負傷しただけであろう。もう戦に耐えられん体になった者もいるかもしれんが、誰も死んではおらん」
「な、何と」
 殺駆頭は武者に目を向け、喉を鳴らした。
「あ奴は貴様を殺さなかったように、他の僧兵どもにも止めは刺しておらん。・・・そうであろう?」
「さあ。敵を斬るときに、いちいちそのようなことは考えておりませんよ」
 武者は拾った鎧を身につけながら答えた。
「また腕を上げたようだな。奴も運の無い男だが、息子には恵まれたと見える」
「本人はそう思ってはいないようですがね」
 武者の父であり頑駄無軍団をまとめる武将・将頑駄無は、かつての暗黒軍団との戦いにおいて殺駆頭とは轡を並べており、個人的にも互いに認め合う仲だった。
「とにかく、俺は主命により帰参せねばなりませぬ故。ここを通さぬと仰せであれば、殺駆頭殿が相手であっても武をもって為すのみです」
「ほう、儂に勝てる気か」
「できるできないで判ずることでもありますまい」
 武者は恐れも気負いも見せず、ただ淡々と言う。
「全くだ。・・・今日のところは挨拶としておこう。いずれ雌雄を決せねばならんのだ、急ぐこともない」
 そう言うと殺駆頭は背を向けた。武者はその脇を通り過ぎる。
「おう、そうだった」
 ふと思い出したように殺駆頭は言った。
「そなたの弟にもよろしく言っておいてくれ」
「それは、いずれ本人に直接言っていただきましょう。俺はあいつの所在など知りませんよ」
「ほう。ならばそれもよかろうさ」
 殺駆頭は薄く笑い、武者はその場から去った。


 怒武と戦った場から離れて森の中に入り、武者は歩きながら視線は正面に向けたまま、
「おい、いつまでついて来る気だ」
 そう問いかけた。
 返事は無い。
「姿を見せる気が無いなら余計な手を出すな。俺があの場で討たれるとでも思ったか」
 十二人の僧兵のうち三人は手裏剣で倒されていたが、武者はそんなものを使ってはいない。僧兵が同士討ちをする理由も無いのだから、つまりあの場に少なくとももう一人いた、ということになる。
 気配を消すだけならば、鍛錬を積んだ武人にはできないことではない。しかし気取られないままに敵を倒すとなれば、いかに不意打ちとはいえ並大抵のことではない。
 以前より冴えを増した技に、武者は不穏なものすら感じていた。
「お前がどういう任務を負っているのかは知らんし知りたくもないが、下らんことをするな。全く、親父の奴もいらぬ知恵ばかり回すものだ」
 やはり返事は無いが、武者は構わずに続けた。
「ふん。お前が好きでやっていることなら、勝手にするがいいさ、農丸」
 七人の頑駄無が一人であり、武者の実弟でもある男。気配を消してついて来る影を、武者は確信を持ってその名で呼んだ。
 そして農丸であれば、手段はどうあれ間違ったことはしないとも、また武者は確信している。
「・・・しかし、だ。
 俺は昨日、宿場で握り飯を五個買ったんだぞ。それが野宿を決めて武具の手入れをして、それから飯を食おうとしたら三個しか無かった。これはどういうことだ」
 武者の声がにわかに怒気をはらんだが、返事は無い。
「周りに人などおらんし狐狸にたぶらかされたわけでもなし。つまり手前が食ったということだろうが馬鹿野郎」
 武者が怒鳴ると、木の上から石を包んだ紙が投げ落とされた。それを拾って広げると、即座に書いたとは思えないほどの達筆で、
『兄上の脚が早すぎて弁当を買う暇が無かったから拝借した』
 とだけ書いてあった。
「ふざけるな手前。忍術使いならそれらしく、腹が減ったら丸薬でもかじっていろ」
 そう言うとまた石を包んだ紙が落ちてくる。
『兄上も拙者のぼた餅を勝手に食べたではないか』
「くそっ手前、あれは黙って戸棚に入れておくから誰のかわからんかったのだろうが! だいたいありゃ子供の頃の話だろうに、いつまで根に持っていやがる!」
 返事は無く、いつしか気配も完全に消えていたが、武者はしばらく怒鳴り続けた。

 

 あとがき
 うん、まあ、足りない部分には勝手なものを詰め込んだうえに元ネタとの整合性を捨てている部分も多々あって、その、申し訳ない。
 足したり引いたりしていじくり回しているうちに悪い意味で煮詰まってしまってお蔵入りしていた物件ですが、今回他に弾が無いので軽く手直しして出してしまうことにした次第です。っていうか最初に書き始めたのは3年以上前ですよ。
 とりあえず投げっ放しと百合以外のものを書いてみようと思った記憶はありますが、それがどうしてこうなったのかは忘却の彼方です。

 せっかくなのでなるべく自分の中の中二的なものを出すようにつとめてみました。特に武者の言動。
 あと璽悪は書いているうちにどんどん楽な方に流れてご覧の有様です。悪役はもっと堂々と悪い方がいいような気もしますが。
 それと初期シリーズはギャグもいるよね、ということで。

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