私と私たち (2007.01.07.)

 

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#1

「おーい、起きなよ。もう7時過ぎてるし」
 やけに聞き覚えがあるようで違和感もある、そんな声がしたので目を開けると、私とまるで同じ顔の少女が私を覗き込んでいた。
「おー、起きた起きた。ぐーてんもるげん」
「おはよう・・・って、え・・・」

 寝起きで頭がぼんやりしていたけど、私はとりあえず激しく当惑した。


#2

 小学校四年の頃に私は引っ越して転校した。それには色々と面倒な背景があって、当時の私は精神的にかなり参っていたけど、和泉六花はそんな私と友達になってくれた。
 いや、友達だと思っていたのは私だけかもしれないけど、彼女は私のそばにいてくれた。年齢の割に落ち着いていて、余計なことは何も言わなかったけれど、その存在は当時の私にとって間違いなく支えになっていた。そう思う。
 そしてそれ以来、私はずっと彼女を見ていた。

 ・・・この話が私と同じ顔をした少女の出現に関係あるのかと言うと、あるらしいのだ。私にもちょっと信じられないけど。

 進級したり進学したりで、違うクラスになりもしたけれど、学校はずっと同じだった。ただ、六花はだんだん近寄りがたい雰囲気というか、周囲と距離を取る傾向を強めていたし、私も以前よりは安定していて、いつまでも彼女に迷惑をかけてもいられないと思ったから、だんだん疎遠になり、私はただ彼女を遠くから見ているだけになった。
 近くにいたいとか話をしたいとか、そういうことも当然思ったけど、でも見ているだけでも幸せだった。

 けれど、状況はまた変化した。

 転校した当時から、六花には桐山霧恵という同級生の友人がいた。というか、私が見た限りでは、恐らく当時の彼女と最も親しかったのが桐山霧恵だ。
 桐山さんは校区の都合で中学は別だったけれど、高校でまた一緒になった。私や六花と違って桐山さんは明るくて外向きな性格で人付き合いの範囲も広いけど、六花とは特に親しくて、クラスが違うのにほとんど休み時間のたびに六花のところに顔を出している。
 私は六花とは同じクラスなのでそれを見ていたけれど、六花はいつも通りに少し面倒臭そうな反応をしつつ、でも何だか楽しそうに見えた。・・・いや、少なくとも私が見ている範囲では、六花は桐山さんといるときだけは、うれしそうな顔をしている。

 六花には特別な人がいて、それは私ではない。
 それは、その、正直に言って、嫌だった。

 そして状況は、少なくとも私の主観においてはさらに変化する。
 同じクラスだった根岸佐和子という生徒が、一ヶ月ほど前に行方不明になった。いわゆる失踪だ。
 私は根岸さんとは特に親しかったわけでもないし、結局彼女は今に至るまで消息不明で、失踪に至る原因を思わせるような話も表には出ていなくて、だから彼女がどうして姿を消すことになったのか、その理由はわからない。
 けれど、今日まで普通にいた人が明日にはいなくなっている、そういうことはありうるのだ、ということを私はそれで思い知り、いや、思い出した。何しろ私自身、転校する前にいた場所にはあれ以来二度と戻っていないし、それに今あの街に戻ったとしても、あの時に私がいた「場所」はもう無い。

 そして、それはつまり、私がただ六花を遠くから見ているだけという今の状況も、いつ失われてもおかしくはない、ということだ。とりあえず学校を卒業するまでは今の関係を維持できる、というのも可能性の話ですらない。
 明日にも六花がいなくなっていたり、あるいは私がここを去ることになる、という可能性も、絶対に無いとは言えない。

 だから、私は六花との関係に、焦りのようなものを感じていた。何もしないうちに失われるくらいなら、失敗になるとしても積極的に行動するべきではないのか。
 そう思いつつも、けれど今の関係すらも壊してしまうのは怖くて、私は躊躇している。そもそも私には、六花との関係が進展する先とはどこなのか、私が何を望んでいるのかも、まだ明確化できてはいないけど。

 積極的になれなかったために傍観者にしかなれなかった過去を後悔し、積極的になれないためにいつ失われるかもしれない傍観者の立ち位置を維持することしかできない現在に焦り、私は六花に対してもっと積極的になりたいと、そう・・・。


#3

「思ったのだわね、あんたは。積極的になりたい、だとか」
 私の部屋の窓べりに腰かけた女性は、私を指さしてそう言い放った。日本人離れした、というよりは明確に東洋人ではなさそうな白い肌と銀色の髪に、しかも緑色の瞳という一見して人種不明な容貌をしている。
 というか問題なのは、とりあえず私はこの人に見覚えが全くもって皆無であり、けれどこの人は私の部屋にいる、ということだ。

 私はこれまた色々と面倒な背景の結果として、今は学校の寮で一人暮らしをしている。小さい寮だけど一応は個室制だ。もっとも寝床と最低限の衣類に教材一式を収めると容量は大体埋まる程度の広さだけど、それはそれとして、要するに私の部屋には普段は私一人しかいないか誰もいないかのどちらかだ。
 なのに今は三人もいる。それも一人は全然見覚えのない人で、もう一人は見覚え・・・はあるというか私とほとんど同じ顔だけれど、別に私には双子の姉妹がいたりはしないので、知らない人のはずだ。
 それに、部屋に知らない人がいるだけでも問題だけど、知らない人に寝起きを見られているのも十代の少女としては無視していい問題ではないと思う。というか寝起きどころか寝顔も見られたっぽい。これは非常にまずいような気がする。多分。

「つーか、現実逃避してんなら無駄よー? あんたが二人いるのは間違いなく現実なのだわ」
 銀髪の人は、にやにやと笑顔を浮かべつつそう言った。顔はちょっとキツい印象もあるけど端整なので、すましておけばいいのに勿体無い、と思う。
 紺色のパフスリーブのシャツとフレアスカートを着ていて、頭にも同じ色の小さい帽子を乗せ、袖から覗く腕は細くしまっていて、手にはオープンフィンガーの革手袋をして黒光りするステッキを膝の上に置き、黒い編み上げのブーツを履いた足をぶらぶらさせている。女性的なのか無骨なのかよくわからないスタイルだ。
 というか床に足をつけてはいないとはいえ、一応室内なので靴は脱いで欲しい。あとステッキもどうかと思う。
「・・・あの、あなたは誰なんですか」
「ん? 定番だけれど意外と使う機会がない台詞だし、せっかくだから言わせてもらうけどさ。他人に名前を聞くときにはまず自分が名乗るのだわね」
 彼女は白くて細長い人差し指を立てて、ワイパーみたいに振りながら言った。私よりは年上に見えるけれど、二十歳を過ぎているかどうかは断定しかねる、そういう年恰好だ。
「あ、・・・私は、榊卯月です」
 そう言うと彼女は満足したようだ。
「ふうん。韻を踏んでいるね。ところで四月は卯の花が咲くから卯月って説と、卯月に咲く花だから卯の花って説があってね、どっちが正しいかははっきりしていないってー話」
「はあ・・・」
 そんなトリビアみたいな話は割とどうでもいいのだけど。
「卵と鶏、どっちが先かってー・・・、ああ、名前名前。私は桐山錐人。経歴は非公開よ。乙女の秘密ってやつ」
「はあ・・・」
 名前と、あと自称・乙女ということはわかったけれど、とりあえず事態を解決するような情報では全然ないと思った。
「えーと、何の話だっけ。あー、そうそう、こないだ湯の花を貰ったんだけど、硫黄で風呂釜を傷める恐れが云々、とか書いてあるもんだから怖くて使えなくてさー。つーかアレどうやって使えばいいのよ。いまどき風呂釜のついてない湯船なんかどこの家にあるんだっつーの。俺はかあちゃんの奴隷じゃないっつーの。ヨロシク仮面ダッツ・ノウ!」
 ネタが半端に古いと思う。
「・・・お姉さん、湯の花じゃなくて卯の花だし、そもそもそれは本題じゃないっすよ」
 それまで黙っていた私と同じ顔の人が、いい加減退屈なのか口を挟んだ。
「あー、そっか。うん。あんたらが二人いるってー話か。だからそれはアレよ、あんたは積極的になりたいと思ったわけでしょ」
「ええ、まあ・・・」
「人間関係をアクティブにエンジョイしてブリリアントな青春の日々をヒアウィーゴーしたいとか思ったんざんしょ?」
 ・・・いや、とりあえずそんな頭の悪そうなカタカナで思ったりはしていない。
「だから、人間関係に積極的なあんたが発生したっつー、単純な話だわよ」
 錐人という人はしれっと言ってのけた。
「いやいやいや、それ単純な話じゃないし! 何なんですかその半端に失敗した伝言ゲームみたいな展開は! っていうか普通は思ったことがほいほい現実になったりしませんよ!」
 全力で突っ込んでみたけれど、錐人はマイペースを崩さない。
「えー、何か、言うじゃん。願うことが叶うこと、とかさー」
「そっすねー」
 私にそっくりな人が呑気に相槌を打つ。
「そんな、願い事がそんな簡単に叶ってたらとっくに世の中めちゃくちゃになってますってば! 大体私だって今までそれ以外に願い事とか無かったわけじゃないのにどうしてコレだけ当たりなんですか!」
「そんなの知らねーわよー」
 錐人は面倒臭そうに、窓べりで脚をぶらぶらさせている。
「まさか・・・理由とか知らないんですか?」
 恐る恐る聞いてみると、
「おう、いえーす」
 大当たりだった。
「ちょ、な、だったら何を訳知り顔で事態を解説、みたいな顔してんですか!? っていうか何しに来たんですかあなた! 空き巣ですか泥棒ですか不法侵入ですか!」
「別にそんな顔してないしー、中にあんたら居るから空き巣じゃないしー、そっちの子に窓の鍵開けてもらったから多分不法でもないと思うよー?」
「窓から入ってきたのかよ! 二階なのに! っていうかお前が開けたのか!」
「あー、だって、開けてって言われたし。お客様をもてなすのは家主の義務だよ」
「お前家主違うし!」
 ・・・状況はおおむね四面楚歌で、しかも五里霧中だ。
「あー、もう、いいじゃん。これがあんたの現実って話よ」
 錐人は強引に話をまとめにかかったようだ。
「原因なんかわからなくても同じ事よ。地震だって台風だって科学的に説明がつくってーだけで、それに出くわすかどうかは偶然なんだしさ。つーか、さっきのは割とてきとう言ったけどさ、実際原因っつーかきっかけはあんたの内面だと思うんだけど、まあどうでもいいか」
 どうでもよくない。心底よくない。てきとう言うのもよくない。
「ま、とにかく当分は二人で生活せざるをえないんだし、せいぜい仲良くなさいな。自分自身とねんごろになるなんてなかなかできる体験じゃないのだわよ?」
 そんな倒錯体験とか別にしたくないです。あと「ねんごろ」って死語じゃないのか。
「・・・あ、そだ、不便だし名前は別々にしといた方がいいんじゃないの。あんたが卯月だしそっちは葉月とかでどう?」
「んー、じゃ、私はそれでいいや」
 勝手に話を進めて二人で納得しないで欲しい。大体、名前ってそんな安易に決めていいものなのか。

 私は混乱して呆然としていたけど、錐人としてはもう話は済んだ、と判断したらしい。
「それじゃ、そういうことで。私もこれでけっこう多忙ざーますからね、ここらで失礼させてもらうよ。また暇になったら様子見に来るけど」
 錐人は窓べりに座ったまま、体をひねって脚を窓の外側に出した。
 ・・・そういえば、とりあえず葉月と命名された彼女の件も重大事だけど、それ以外に気になることがある。
「あの、錐人・・・さん」
「ん? 質問なら多分答えられないけど?」
 ・・・ずいぶんな発言だと思うけど、それは置いておく。
「桐山霧恵って子、知ってます?」
「ありゃ。あんた、霧恵のこと知ってんの」
 錐人ははじめて意外そうな顔をした。
「学校と学年が同じです。クラスは違うけど」
「ふーん。へー、そう来るかー。・・・ああ、霧恵は私の最愛の妹よ」
 やっぱり他人ではなかったのか。というか最愛て。
「念のために聞いておくけど、あんたが積極的になりたいっつー話さ、相手は霧恵じゃねーわよね?」
 錐人の眼が急に鋭くなったような気がした。
「ちっ違いますっ!」
 それは人違いだけど、でも相手が同性なのは当たっているので、私はそれなりに動揺した。
「ふーん? 本当なのかしらー? 声が上擦ってるような気がするのだわよ?」
「いやいやいや、無いですから。もう全然です。・・・というか、それがどうかするんですか?」
「ああ、私は霧恵を深く深く愛しているからねー、悪い虫がつくのはなるべくなら避けたいっつー話よ。具体的にはいきなり二人に増えるような娘は、ちょっと遠慮したいざーます」
 ・・・別にその気はないけど、悪い虫呼ばわりされていい気はしないとも思う。
「ま、そういうことじゃないんなら、霧恵ともほどほどによろしくしてやってよ。じゃ、まったねー」
 言うなり錐人は跳躍して、そのまま表の道路に着地すると歩いて去っていった。

「はあ・・・」
 私は六花のことがあるから桐山さんには、彼女自身が悪いわけではないにしても正直あまりいい感情を持っていなかったけれど、ああいう特殊な人が姉というのはそれなりに大変だろうな、と少し同情していると、
「そういうわけで、今日から榊葉月でっす。よろしくね、うーちゃん」
 葉月と命名された彼女が満面の笑みを浮かべてそう言い、私は他人に同情している場合ではないと思った。
 というか誰がうーちゃんか。


#4

 で、結論を先に言うと、同居人が一人増えた件については意外なほど問題にならなかった。とっさに「諸般の事情で家を出てきた従姉妹」という嘘をついたところ、周囲はみんなそれで納得してしまい、そのままうやむやに葉月は私の部屋に住み着いている。
 ・・・私が言うのも何だけれど、みんなはもっと、こういう異常な事態は疑って警戒するべきだと思う。

 顔は別人にしては不自然に似ているけれど言動はあまり似ていないし、とりあえず髪型を変えて別人だと言い切ってしまえば、それでけっこう通るものらしい。・・・まあ、「ある日いきなり同級生が二人に増殖した」などという可能性を普通に想定する人間がいたら、その方が余程どうかしていると思うけど。

 さすがに学生でもない人間が寮に住み着くのはどう考えても問題になるだろうから、とりあえず管理人、いわゆる寮監みたいな役職の大場さんには葉月の存在は隠しておくべきだろうと私は思った。
 ちなみに大場さんは、うちの学校で教師を勤めていたこともある彼女の祖母から管理人職を引き継いでいるけど、本人はうちの卒業生というだけでそれ以上の関係者ではない。そういう人が何故こういう役職にいるのかというと、元々うちの寮が土地も含めて大場さんの実家から提供された、という経緯もあるらしい。
 というか、うちの学校は生徒の自主性を尊重する校風を標榜しており、寮も門限と消灯時間が決まっているくらいで規則関係はルーズ、かつ雑務は生徒の自己負担が基本であり、つまり管理人には大して仕事は無い。けれど夕方から翌朝に生徒が登校するまでは基本的に外出が不可能でしかも年中ほぼ無休という、仕事は無いのに拘束時間だけは長いある意味劣悪な労働条件で、しかも身元は堅くないといけない。そういうわけで先代の引退に際しても引き継ぎの確保が難航し、最終的には大場さんが半ば押し付けられるような形で就任した、というのが実情のようだ。

 ・・・話がそれたけど大場さんの背景は置いておいて、とりあえず私は彼女には葉月の存在を隠しておくべきだろうと思ったわけだ。しかしその目論見は、私が学校に行っている間に葉月が外出し、出くわした大場さんに自分から自己紹介をしたことで、同居二日目にして崩れ去った。
 そして大場さんは、
「うんうん、何も言わなくていいから。食事くらい一人分増えたってどってことはないよ。色々と事情もあるんだろうけど、お姉さんはあなたたちの味方だからね」
 などと勝手に早合点と物分りのよさを発揮して、全く問題になることなく現在に至っている。もっとも料理は基本的に寮生の持ち回りで、大場さんは食費の管理を担当しているだけだけど、葉月に昼食を自腹でおごってくれたりしているらしい。
 ・・・いや、おかげで助かったとはいえ、少しは問題だと思おうよ、という気はする。やっぱり。
 ちなみに大場さんは「お姉さん」を自称するのは・・・ぎりぎりでアリかな、という感じの年齢だ。あと独身。

 さらに葉月は学校にも出入りするようになり、休み時間に顔を出したりして同級生や一部の教師にも面が通ってしまっている。さすがに授業中はどこかに行っているけれど。
 ・・・いや、だから、せめて教師は問題にするべきじゃないのか、と・・・。

 そういうわけで最初の一週間ほどは、私は葉月のことや、予想をはるかに越えて異常事態に呑気な順応力を見せる周囲の人間のことで手一杯で、少なくとも錐人が言うにはこの件の原因になったらしい和泉六花のことも、その間はあまり考えている余裕が無かった。

 ただ、どうも五月頃から一段と人を寄せ付けなくなった、というか沈んでいるようだった六花が、最近はけっこう落ち着いているようなので、少し安心してはいたけれど。


#5

 葉月は日中は退屈らしく、大場さんの台所を借りて弁当を作り、それを持ってきて私と昼食をとったりするようになっていた。
「うぃっす、こんにちはー」
 四時間目が終わるなり威勢良く教室に入ってくる葉月に対し、
「おう、昼休み終わったら帰れよー」
 などと数学の北島もすっかり慣れた反応をしつつ引き上げていく。
 そして私はそんな見慣れた風景は放置しておいて、六花が眼鏡のレンズを拭いたりしているのを眺めていたのだけど、
「じゃ、中庭にでも行きまっしょい」
 葉月はそんなことを言いながら、荷物を持っている方の腕を私の腕に絡めてホールドし、そのまま私を引っ張って六花の席まで移動し、もう片方の手で六花の手を握って歩き出した。
「え? ・・・え? えええ?」
「は? 何変な声出してんのよ、うーちゃんってば」
「いや、これ、どういう・・・」
「ああ、今日は三人でお昼ご飯っすわ」
 とんでもないことを言い出した。
「いやいやいや、そんな話聞いて・・・」
「和泉っちにも今朝話して約束してたし。・・・ああ、うーちゃんには言ってなかったっけ」
「聞いてない。全身全霊で聞いてません」
「ふうん、そっかー」
 そう言うと葉月は私の方に体を寄せて声をひそめた。
「じゃあ何かい、うーちゃんは憧れの六花たんと一緒に食事ができるという千載一遇のチャンスを蹴るっていうのかな」
「あ・・・いや、それは、」
「ん、別に私はいいんだけど。私はうーちゃんほど六花たんラヴでもないけどさ、割と好みではあるしねー。いらないんなら私が二人で食事して、ついでに口説いたり迫ったり押し倒したりしても・・・」
 葉月はわざとらしくにやにやと笑っていて、これは私を挑発して釣り上げるためのブラフだということは簡単に想像がついたけれど、とっさの状況に冷静でいられるほど私は場数を踏んではいない。
「ななななな何言ってんのよ葉月! 大体何なのよそのラヴとか・・・」
「好きじゃないの?」
「いや、それは、その・・・」
 好き・・・なのだろうか。いや、好きなんだろうけど、だとしたらどういう意味合いでの「好き」なのだろうか。それは、わからない・・・というより、はっきりさせるのが、怖い。
「ああもうじれったいなー。うーちゃんが奥手だから私が場をセッティングしてんじゃないの」
「・・・・・・あのさ、とりあえず座らない?」
 中庭に出ても私たちは二人で密談を続けていたので、放置されていた六花がいい加減痺れを切らしたようだった。
「あ、うん、そうだね。・・・っていうか六花さん怒ってない? 葉月が余計なことするからもう」
「うわ何それ。ひどいよ、うーちゃんが煮え切らないのが悪いんじゃないの」
 ・・・さっきの話、六花には聞こえていなかったのだろうか。聞こえていたら非常に困るけど。

 葉月が半ば強引に私をベンチの中央に座らせたので、私は両サイドを葉月と六花に挟まれるかたちになった。ちょっと体を動かすと肩や腕が六花に当たりそうな感じで、居心地がいいのか悪いのかは既に頭の中がぐるぐるしていて判断できない。
 葉月が作ってきた二人分の弁当はサンドイッチ各種とりんごだった。一方、六花の弁当も自宅から持参したもののようで、メニューはごはんと鶏のから揚げとゆで卵と炒めたピーマンと野菜の煮物だ。
 ・・・何か話をしたいとは思ったけれど、話題が思いつかないしきっかけもつかめないし、六花も自分から積極的に話をする方ではなく、結果として黙々と弁当を食べることになる。葉月は意外と料理が上手だけれど、今はサンドイッチの味にまで注意を回す余裕もない。
 六花はシンプルな眼鏡に、髪は無造作に肩の辺りまで伸ばしていて、外観については無頓着に見える。体は全体に細くて、例えば錐人の体は細いと言っても無駄な肉がついていないだけで、筋肉とか割と鍛えている感じに締まっているけど、六花はもっと華奢だ。
 黙々とサンドイッチを咀嚼しつつ六花を横目で見て、ああ細くてきれいだよなあ、うなじとか鎖骨とか見たいなあ、・・・などと考えている自分に気がついて本気でげんなりした。
 これでは変態だ。

「そのから揚げおいしそうじゃんか。サンドイッチと交換してくれんかのう」
 葉月がいきなり妙なイントネーションで六花に声をかけた。
「あ、いいけど、別に」
「そ。じゃ、貰うね」
 葉月作の弁当は中身がおおむねサンドイッチなので箸は持ってきていなかったけど、葉月はヒザに置いた弁当箱を安定させたまま器用に上半身をひねって手を伸ばし、六花の弁当箱から指でから揚げを1個つまみ出すと半分かじって、それから、
「うん、おいしいからうーちゃんも食べなよ」
 と言うなり、半分になったから揚げをつまんだ指ごと私の口に押し込んだ。
「ん、ふあ・・・」
 不意打ちを受けた私はとりあえず、口をもごもごさせてから揚げをどうにか飲み込む。味は・・・おいしい気がするけど、味わっている余裕はない。全然ない。
「ち、ちょっと、何するのよ! 恥ずかしい・・・」
 言いながら葉月を見るとさっき私の口に入れた指をなめていたので、私はかなり逆上した。
「ん、何? 何かおかしいことしたかな」
「おかしいよ! 指!」
「だってー、油ついちゃったし。ハンカチとか油で汚れんの嫌じゃんか」
 ちなみに葉月の衣類は私の私服と、大場さんが実家から調達してきた古着が主だ。
「だから、なめないでよ! いやらしい!」
「ほえ? 何がいやらしいの? ねえ」
 私は赤面して赤熱した。
「いや、その・・・だから、指が・・・」
「あ、そうそう、六花ちゃんもサンドイッチ食べなよ。今のから揚げの分。どれでも好きなの取っていいから」
「あ・・・じゃあ」
 葉月は一人でぐるぐるしている私をスルーして話を続け、状況に当惑していたらしい六花は私の前に上体を伸ばして葉月の弁当箱からツナサンドを取って食べた。
 六花の髪の匂いがした。
「おいし?」
「ん。・・・そういえば、これ、葉月さんが作ったの」
「そっすわー。自分で言うのも何だけど、料理は割と得意」
「へえ。うん、おいしいと思うよ」
「そ? うれしいね。うれしいこと言ってくれるね。どう、惚れた? 何なら毎日お弁当作ったり、むしろ毎日お味噌汁なんか作ったりしてもいいっすよー」
 ・・・何か、とんでもないことを言っていないか、この人。
「ちょ、は、葉月、何言ってるのよ!」
「うん? ああ、せっかくなので六花たんを口説いてみました」
 何がせっかくなのか。
「『たん』とか言うな!」
「あー、でも、うーちゃんはもっと上手いよ?」
 さらにぐるぐるしている私をさらっと無視して、葉月はそう言った。
 朝夕の料理当番は寮生の持ち回りで、だから寮に住んでいる葉月は私の料理も食べる機会がある。・・・上手いかどうかはともかく、色々と事情がある生活をしていたので家事に慣れているとは自負しているけど。
「・・・ん、寮生の子がそんなこと言ってた、そういえば」
 六花はぽつりとそう言い、それは何か発言するべきだろうと話題を探した結果なのだろうけど、私は馬鹿みたいにうれしくなった。
「え、えと、このから揚げとかは、誰が・・・」
「私じゃない。ゆかさんに作ってもらってる」
 そういえば六花の家族構成とか、私はよく知らない。とりあえず『ゆかさん』という人と同居しているらしいけど、それが親なのか姉なのか親戚なのか他の何かなのかはわからないし、二人なのか他にも誰かいるのかも知らない。
 でも、あまり普通の家族構成ではなさそうな気はするので、聞くのははばかられていた。
「私、料理とか、下手だから」
「・・・はあ」
 頭の中でもう一人の私が、何がはあだよアホかお前、そこはフォローして好感度稼ぐところだろ、と怒鳴っているけれど、もう完全にいっぱいいっぱいだった。

 で、その日の夜は自室で反省会の運びとなり、葉月がうーちゃんってば何やってんのよせっかくセッティングしてんだからもっとアグレッシブに行かないとどうしようもないじゃん、とか私に散々駄目出しをし、私も私で指を舐めるなとか大体お前どうして六花口説いてんだよ、などと反発して、まあ、にぎやかではあった。


#6

 そうこうしているうちに六月も後半に入り、学校では水泳の授業がはじまった。まだちょっと気温が低い気もするけど、グラウンドでランニングをするのは勘弁してほしい、という程度には蒸し暑いので、それよりはマシだと思う。
 水泳は合同授業が主で、週明けの今日は桐山さんのクラスと一緒だった。

 水泳の授業は個々の実力に応じて三段階にランク分けされていて、運動は得意ではないけどとりあえず泳ぐことはできる私は中級に配置されている。
 一方、六花と桐山さんは最下層、俗称カナヅチクラスに在籍していた。桐山さんは本気で泳げないらしいけど、六花は「持久力に自信がない」という理由で実力を下方修正して自己申告したらしい。

 泳ぎ終わってタイルの上をのそのそと歩いていると、休憩中らしい六花と桐山さんがプールサイドに並んで座っているのが見えた。何か喋っているようだけど、会話に入るきっかけもつかめないし立ち聞きするわけにもいかないので、そのまま通り過ぎる。
 ・・・やっぱり、例えば前に中庭で弁当を食べていたときより、今の六花は楽しそうに見える。それは嫌だと感じるし、そう感じる自分も嫌だった。

 あと、私の胸は標準か少し小さいくらいで、全体に細い六花は胸も明らかに標準を下回っているけれど、桐山さんはかなり大きい。学年でも上位に入ると思う。
 ・・・やっぱり、六花も大きい方がいいのだろうか。桐山さんは顔もかわいいし。・・・って、何を考えているんだ自分。
 でも私はやっぱり六花の細くて折れそうな体の方が・・・って、まるで変態というかむしろ変態そのものだ。

 というか、私は多分六花を、他の娘が男を見るような目で、あるいは男が女を見るような目で見てしまっている。それは、もう否定しても仕方ないのだろう。
 でも・・・同性を好きになるのは普通ではないし、六花にも気持ち悪いと思われるかもしれない。そういうことと、私は向き合おうとしていない。

 そんなことを考えているうちに気分は沈む一方で、ついでに泳いで体力的にも消耗したので、水泳の授業が終わる頃には私のテンションは相当に下がっていた。


#7

 教室でぐったりしていると、赤間夕子が声をかけてきた。
「おう、疲れとるな」
「疲れてるよ。だるい」
「全く、若いもんが情けない」
 こういう喋り方だけど夕子は私の同級生なので当然まだ十代だし、性別も名前通りで女だ。しかも口調に反して声は甲高い。身長は私と大差ないくらいで普通に高校生サイズだけど、声だけは小学生みたい、というかアニメの子供キャラみたいだ。
 髪は眉毛が露出したおかっぱにしていて、着物でも着れば座敷童子みたいな感じになるのではないかと私は勝手に想像している。
 夕子とは中学からの付き合いで、今のクラスでは一番親しい友達だ。ちょっと融通が利かなくて説教臭いところはあるけど、基本的にはまっすぐないい娘だと思う。ただ声がこれなので、本気で説教をされると頭が二重にくらくらしてちょっとした拷問ではある。
「夕子は疲れてないのかよー」
「ああ、私は見学だったからな」
「うわ、何それ。ずりー」
「ふん。大体、そのくらいは気の持ちようだ。心頭を滅却すれば火も自ら涼し、と言うだろうに」
「でも、その人ってそれ言いながら焼け死んだんじゃないの」
「『安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し』。快川紹喜はこの遺言を残して焼死したがな、しかし元をたどればこれは杜荀鶴の漢詩が出典だ」
 夕子はこの手のうんちくの手持ちが豊富だ。
「とじゅん・・・誰それ」
「ちなみに伊達政宗が師事した虎哉宗乙は快川の弟子にあたる」
「質問に答えてよー」
「ふん。どうせ本気で知りたいわけでもないのだろう」
「うん、そうだけど」
「・・・全く、お前はひどい奴だな」
 夕子は少し笑った。
「しかし、疲れているだけではないのだろ」
「・・・何の話かな」
「やれやれ、知らん仲でもないだろうに、今更腹の探り合いをすることもない。・・・和泉六花のことだな」
 断言された。しかも図星だ。
「いや、えーと、るるるー」
「誤魔化すな。どうせお前のことだ、あいつが桐山と一緒にいるのを指をくわえて遠目に見つつ、嫉妬したり嫉妬する自分に自己嫌悪したり、あと自分の変態さ加減に落ち込んだりしておったのだろ。青春だな」
 いちいち図星だから反論もできない。
「・・・あと、私に言えた義理でもないが、いまどきの若いもんが『るるるー』は無いと思うぞ。お前は尾藤イサオか」
 そう言うと、夕子は私の頭を指でつついた。
「・・・あしたのジョーは嫌い?」
「だから誤魔化すな。・・・私は和泉とはそう親しいわけではないし、和泉のことをそれほど深く知っているわけでもないがな。しかし、あいつは少なくとも、お前の意図を勝手に察して都合のいい配慮をしてくれるような器用なタマではないぞ。思っていることがあるならさっさと言えばいい」
「簡単に言うね・・・」
「難しく考えて埒があくことかよ。・・・ところで私はハイパーあんなが割と好きだな」
「・・・は?」
「いや、だから『るるる』の話だ。知らんか?」
 夕子は真顔だった。よくわからない。


#8

 寮の部屋に戻ると葉月は不在だったけど、窓べりに錐人が座っていた。相変わらず眼は緑色で、土足かつステッキ持ちだ。
「よっす。おひさー」
 ・・・って、今度はどうやって鍵を開けたんだ。
「ああ、鍵開けと縄抜けは乙女のたしなみってものよ。あんたも暇があったら練習するといい」
 そんなものをたしなんでいるのは奇術師か犯罪者くらいだろうと思う。
 というか、私の部屋の窓についているのは内側から施錠するタイプのシンプルでありふれた鍵なのだけれど、これを窓を割らずに外から解除なんて、どんな方法でそんなことができるのかはさっぱりわからない。
「・・・で、何か用ですか」
「ありゃ、つれないね。いやさ、結論を先に言うと、これといって用はないんだけど」
「ないのかよ」
「ん、まあ、進展はないけどさ。葉月っちもいつまでもぶらぶらしてるわけにもいかないだろうし、ツテを当たって学校に編入できないかと思うんだけどねー。準備とか根回しもあるし、二学期からかな、やっぱり。・・・あら、私の顔に何かついてる? それとも見とれていたのかしら。まさか卯月たんったら私のこと好きなのかしら」
 それはない。特に最後のは絶対にない。
「いえ、その、葉月のこと、他人なのに真面目に考えてるんだなって・・・意外でした」
「あー、卯月、ちょっとこっち来て」
 近寄ってみた。
「うりゃ」
 両手で耳を引っ張られた。痛い。
「あ痛いたたた、ちょ、やめ・・・」
「全く卯月ってば、私のことどう思っていたのよさ」
「いや、ふざけた不審者・・ひゃいっ?」
 手が耳から離れたと思ったら、今度は胸を触られた。というか揉まれた。
「ななな何するんですかっ」
「セクハラ」
 即答で断言された。

 で、私はいささか本音も混ざったジョークのせいで、その後十五分ほど錐人のおもちゃにされてしまって、いよいよ疲れたんだけど。


 

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