私と私たち(承前)



9

 夕食のメインは鶏肉と茹でて輪切りにしたジャガイモのバター焼きだった。
 今日の当番で一番発言力がある上級生の水元さんは「やっぱ若いうちはハイカロリーでジャンクで下品なものを食べとかないと駄目だよねー」などという割と一般的ではない持論の実践として、大量のバターでかりかりに炒めた材料を塩コショウでちょっとくどいくらいに味付けしていた。
 ところで料理の当番は班分けされているけど、水元さんの仕切る班の他に「乙女は食欲より味覚より美容が第一にして全て」という主張を掲げる班が一つあり、両者はゆるやかな対立関係にあるようだけれど、大多数の寮生は「おかげでメニューに幅が出て都合がいい」くらいにしか思っていない。あと、美容派が水元班に反発しているのは、水元さんが何かというとポテトフライだの背脂ラーメンだのカツカレーだのをもりもり食べているくせに全然太っていない、ということも理由として大きいのではないかと私は思っている。

 私はそれなりにカロリーとかも気になるお年頃というアレだけど、夜中に空腹で眠れずに隠し持っていた菓子類を食べて飢えをしのぐ羽目になったときの後悔や罪悪感もなかなかに重いので、一応育ち盛りなんだから、と言い訳しつつ今日のメニューもしっかり頂いておいた。精神的に疲れてはいたけど、体も疲れているせいで空腹だったし。
 ちなみに葉月は「カロリー? 何それ、あの鍋とかに入れるぶっとい春雨みたいなやつ?」などというノリで全く気にしていないようだ。というか「ロ」しか合ってない。

 その夜、布団の中で昔の自分や六花のことを思い出したりした。


#10

 翌朝、食堂で朝食を済ませた。今日のメニューはごはんとカボチャの味噌汁、他にお好みで納豆と卵が付く。基本的に朝食は簡素かつ軽めで、運動系の部活をやっているか、もしくは単に大食いな寮生は、各自で何か買っておいてメニューを増量することになっている。
 ところで生のカボチャはけっこう固くて、切るのが面倒だしうっかり力を入れたはずみに怪我しそうで怖いから私などはなるべくなら扱いたくない食材だけど、寮生には「固いとかそういうことはいいの! カボチャとか好きだから! あとサツマイモも!」という娘が何人かいるため、そこそこのペースでメニューに出てくる。

 それから自室に戻り、少しぼんやりとする。私は部活もしていないし起床はそう遅い方でもないし顔や髪のセッティングに気合を入れる方でもないので、当番でない日の朝は時間に割と余裕がある。
「ね、六花たんのことはどうするよ。こないだの弁当作戦は不発っぽかったしさ、ここらで気合入れて映画に誘うとかする?」
 学校に行っていない・・・というか学校には来ているけど授業を受けてはいない葉月は私よりさらに時間に余裕があり、基本的に暇なせいか活動的だ。
 あと、弁当作戦からこっち本人に対しても「たん」付けなのが内心ちょっと引っかからないでもない。
「それか、季節的にはそろそろ海とかプールも射程内か。ま、何にしろ話は私が通してもいいしさ。がーんと行っちゃいなよ」
「ん、そうだけど・・・やっぱり、動かないと始まらない、か」
「あら、うーちゃんってば珍しく前向きな発言」
「そう?」
「いや、うーちゃんって普通のことには普通に積極的だけどさー、基本的に奥手っつーかムッツリじゃん」
 きっぱり言い放たれたので、とりあえず枕を投げつけた。
「ぐえ」
 変な声を出して葉月はひっくり返った。
「・・・あー、うん、やっぱり私、六花さんのこと、好きよね?」
「人が枕をぶつけられていい感じにリアクションしてるのに無視すんなっつーか、そんなこと質問されてもわかんねーっす。ぶー」
「どのみち今だって見てるだけだし、黙って見てるだけよりは、言っちゃった方が、いいか」
 声に出して言ってみると、少しふんぎりがついた気がする。
「ガン無視かよっつーか、言っちゃえ言っちゃえー。歌にもあるじゃん、夏の恋はまやかしって。・・・あ、幻だっけ?」
「・・・どっちでもいいけどさ、この状況でそれを引用するのはどういう意図なのかな」
「えーと、突っ込み待ち」
 デコピンを入れてみた。
「ぎゃあ」


#11

 とりあえず休み時間、六花の席まで行ってみた。六花は休み時間には文庫本を読んでいることが多く、そのときもそうだった。
「・・・」
 用件を切り出すことはおろか、会話の糸口さえ全然さっぱり見えない。今朝の決心は何だったのか。
「・・・何か、用?」
 そばに突っ立って何を言うでもなくあうあうしている同級生をさすがに不審に思ったのか、六花が声をかけてきた。
「あ、いや、うん。えーと、最近暑いね」
「・・・そうだね。まあ、7月も近いし」
 六花はちょっといぶかしげで、どうも私には「何を言っているんだこいつは」などと思われているように感じてしまう。というか自分でもそう思う。
「え、えーと、六花さんは、夏は海とかプールとか行く人?」
「ん、どうかな。去年は一回行ったけど、もう水着のサイズ合わないかもしれないし・・・。学校指定ので外のプールとか行くのって、やっぱり変かな」
「いや・・・それは、その・・・」
 それは普通に変だと思ったけど、とりあえず黙っておいた。
「やっぱり胸の名札か。あれがなければ、まだ何とかなりそうな気がするんだけど・・・」
 それは全然何とかならないと思ったけど、やっぱり黙っておいた。
「えっ何? りっちゃんってプールとか行くの? っていうかむしろプール行こうよプール! 海もいいけど塩水はべとつくしちょっと遠いし!」
 いつの間にか六花を挟んで私の反対側に、桐山さんが来ていた。
「いや、だから、どうかなって。未定」
「ふーん。私は新しい水着買おっかと思ってるんだけど。サイズ合わないんなら一緒に行こうよ! 次の土日とか!」
「ん、まあ、別に予定はないけど・・・」
 と、桐山さんが唐突に私の眼を直視した。
「ああ、卯月ちゃんもプール行くのっていうか水着あるの? 一緒に行く?」
 全く屈託無くそんなことを言ってくるので、私はすっかりひるんでしまった。
「いや、その、去年の着れるかもしれないし、あー・・・」
「ふうん。じゃ、来るんなら金曜までに私かりっちゃんに連絡よろしくねー」
「・・・いや、次の土日に買いに行くってのは、もう決定事項なわけ・・・?」
 六花がぼそっと言ったけど、困っているようでうれしそうにも見える顔だった。


#12

 席に戻ると夕子が背中をひくひくさせているのが見えたけれど、次の授業が終わるなり彼女は私のところまで来て、
「お前は本当に笑える奴だな」
 などと言われた。
「何よ、それ」
「話を切り出すのに『えーと、最近暑いね』って、あれは新手のギャグか?」
「うるさい。っていうか立ち聞きしてたのかよう」
「仕方なかろ、聞こうとせんでも聞こえるのだ」
 実際、夕子の席は六花と間に二人挟んだくらいの距離だから、座っていても普通に聞こえていそうだ。
「しかもようやく振った話題を完全に桐山に持って行かれよってからに。自分から状況を悪化させてどうする」
「しょうがないじゃないのよう・・・」
 夕子はため息をついた。
「全く。・・・しかしな。お前が目的を達するには、桐山は越えるべき壁だぞ。それを何だ、あれではまるで鎧袖一触ではないか」
「意味わかんないよ、日本語で言って」
「日本語だ」
 鼻で笑われた。
「まあ、お前が日本語に不自由なのはいいとして、それにしてもどういう心境の変化だ。結果だけ見ればやらない方がまだマシだったにしても、自分から仕掛けるなどとはな」
「いちいち引っかかる言い方ね・・・。っていうか、思っていることはさっさと言えとか、夕子が言ったんじゃないの」
「それなら以前からもう何十回と言っているだろうよ。・・・まあ、さっさと白黒はっきりさせるなら、その方が好都合だが」
「都合?」
「ん、まあ、な」
 夕子は自分のあごをさすった。
「・・・何にしろ、とにかく私はお前に協力する。できることがあれば言ってくれていい」
「ありがと。・・・ま、自分で何とかするしかない話だけど・・・」
「ああ、できることが無いとわかっているから、こんなことも言えるのだがな」
 夕子は軽く笑った。
「うわ、何それ」
「何、たちの悪い冗談だ」
「悪いのかよ!」


#13

 特に用事もなかったので放課後はさっさと寮に戻ったけれど、葉月は外出しているようだったし、暇だったので散歩に出た。ちょっと蒸し暑いけど、この先は梅雨で雨が降ってその先は真夏でいずれにせよ散歩どころではなくなるし、今のうちだろう。
 近所の公園の前を通ると、中のベンチに見慣れた人影があった。二人。
 一人は六花で、毎日見ているのだから見間違うはずはない。制服なので帰り道なのだろう。そしてもう一人は錐人に見える。というか銀髪でステッキを持ち歩くような無駄に目立つ人間が近所に二人以上出没する可能性は低いと思う。むしろ一人でも可能性はかなり低いと思う。
 この組み合わせは意外だと思ったけど、錐人が桐山さんの姉なら、桐山さん経由で面識があってもおかしくない。そう思いつつ、私も両方に面識があるのだからそのまま公園に入って声をかけてもよかったのだけれど、何となく立ち止まって身を隠すように様子を見ていた。
 けれど、様子を見るといってもこの距離だと声は聞こえないし、座って話をしているだけなので見ていても状況はさっぱりわからない。全く何をやっているんだ私は、と思っていたら、話が済んだらしく錐人は立ち去り、六花はそのままベンチに座っていた。
 少し迷ったけど、今通りかかったふりをして声をかけてみることにした。
「あ、六花さん、今帰り?」
「ん、まあ」
「えーと、私はその、寮に戻ってから、散歩」
「そう。・・・」
「・・・」
 で、見事に会話が途切れてしまった。

 そして私が何とか話題を見つけようと考えた挙句に「馬鹿の考え休むに似たり」などという言葉を思い浮かべたりしていると、
「とりあえず、座ったら?」
 そう言って六花が自分の隣を示したので、私は自分が馬鹿みたいに突っ立っていたことに今更気がつきつつ、とりあえず座っておいた。
「・・・そ、そういえば、六花さんはどんな水着買うかとか、考えてる?」
「ああ・・・いや、そういうの、よくわからないし。っていうか、霧恵が一緒だと、大体霧恵が選ぶのがいつものパターン」
「ふうん、そうなの」
 ちくりとした痛みを感じて、そう感じる自分がまた嫌になる。
「・・・あの、さ。卯月は・・・」
「な、何?」
 名前を呼ばれただけで頭がふらふらする。
「その・・・例えば、だけど。自分が幸せになろうとすると他人が犠牲になる、とか・・・そういう場合って、どうする」
 かなり予想外の話題だった。そもそも質問の意図がわからない。
 六花は少し困ったような顔で、とりあえず冗談の類ではなさそうだけど。
「あー、えっと・・・」
「悪い、変なこと聞いて」
「いやいやいや、いいって、うん」
 言いながら慌てて考えをまとめてみる。
「・・・その、犠牲っていうのがどういうのかにもよるけど、犠牲にしなくても自分は現状維持って感じなら、ちょっと、できないかな」
「そう。・・・卯月は、優しいね」
 六花の声には特に非難や揶揄のような調子はなかったけど、何だか気まずい。
「臆病なだけだよ。他人を犠牲にしないと自分が死ぬとかならどうするかはわからないし、犠牲が小さいなら、やっちゃうかも・・・」
 実際、結果的に他人を犠牲にしてしまう、ということはよくあると思うし、今の私だって自分でも気がついていない何かの犠牲の上にいる・・・ような気もする。けれど、そういうあいまいな話ではなく、「自分のために他人を犠牲にするかどうか」を自覚的に能動的に選択するような機会は、そもそも滅多に無いのではないかと思う。
 けれど、
「・・・私は、あるの。他人を犠牲にしたことが」
 六花はそう、小さい声だったけどはっきりと言った。
「え・・・」
「あ、ごめん。変な話して。忘れて・・・って言っても無理だろうけど、あんまり気にしないで。・・・じゃ、また明日」
 そう言うと六花は立ち上がろうとしたので、私は何故か、
「ま、待って!」
 弾かれるように口が勝手に動いて六花を呼び止めていた。そして口はまだ止まらずに、
「六花さんが前に何をしたかとか、それで誰が犠牲になったとか、私は知らないけど、六花さんのこと、ちゃんと知っているわけじゃないけど! でも、私は六花さんに何回も助けてもらったって思ってるし、その、私、六花さんがどんな人でも、六花さんのこと、好きだから!」
 ・・・あーあ、言っちまったよ、と、頭の片隅の冷静な私が呟いたような気がした。
「・・・へ?」
 不意打ちだったようで六花も呆然としていて、私はいよいよ逆上し、
「あ、うわ、な、何言ってんだろ私・・・あ、その、ごめんなさい!」
 そんなことを言い捨てて走って逃げた。ああもう最悪だ、絶対変な奴だと思われたよ失敗だ失敗した、などと頭の中がぐるぐるしている。


#14

 私は寮の自室に戻ると布団にもぐってぼろぼろと泣いていて、心配したらしい同級生の娘が葉月と、あと委員会か何かで学校に残っていたらしい夕子まで呼んできてくれて、そして私は二人の、というか主に夕子の質問や誘導で、どうにかさっきの件を説明した。
 そして根気よく話を引き出した夕子は、話が全部終わると、
「・・・あのな、それのどこが失敗なんだ」
 そう言って私のほっぺたを両手でつまんで、むにゅっと引っ張った。
「あう、いひゃいよう」
「全く、何事かと思えば。要はとっさに変な度胸がわいて無謀にも勢いで告白したはいいが、返事を聞く覚悟もなくてとりあえず逃げてきた、というだけではないか」
「だけって、そんな」
「お前な、こういう場合、失敗というのは断られることだろうに。返事も聞かんうちに失敗も成功もあるものかよ」
「・・・あ、そうかも」
 夕子は心の底から呆れたような顔をした。
「やれやれ。・・・しかし、告白したときもこの調子で訳がわからんことになっていたのなら、それは失敗していてもおかしくはないだろうよ」
「そ、そんなこと言わないでよう・・・」
「ああもう泣くな馬鹿。いや、こんな馬鹿を心配した私が馬鹿だったか・・・」
 すがりつく私を払い除けながら、夕子はがっかりしたような感じで呟く。
「ふうん、夕子ちゃんは優しいんだね」
 一部始終を傍観していた葉月が唐突に発言した。
「は? それはないだろ」
「あれ、照れてる? 夕子ちゃんってばサムライみたいなこと言う割にういういしー」
「な、お前、いい加減にしろこの馬鹿姉妹!」
「姉妹じゃなくて従姉妹だよ」
「じゃあ馬鹿従姉妹か」
「ばかいとこ・・・うわ、何か心の底から馬鹿っぽい語感だね。ちょっとへこんだよ」
「勝手にしろ。ああもう、私は只でさえ帰りが遅くなって腹が減っているんだぞ。こんな馬鹿共に付き合っている暇なぞ・・・」
「えーと、なら、とりあえずうーちゃんを食べてはどうでしょうか」
 一瞬だけ空気が固まった。
「・・・もう我慢ならん、ええい、そこに直れ! そっ首叩き落としてくれる!」
「うわ、本当にサムライみたいっていうか痛いって、いや、ちょっと、関節極めるのは洒落にならうぎゃああ」
 そんな感じで夕子はしばらく暴れてから帰って行き、全身の関節を妙な方向に曲げたり伸ばしたりされた葉月はぐったりと弛緩していて、私はさっきよりだいぶ気分が楽になっていた。
 ・・・夕子も、それに多分葉月も、私を心配してくれたのだろうと思う。それは申し訳なくもあるけど、うれしかった。


#15

 ・・・けど、次の日、学校に行くのが怖くなった。
 それを見越したかのように、わざわざ夕子が寮に顔を出してくれた。
「おう、榊。遠回りは性に合わんので単刀で行くがな、お前学校休む気か」
「・・・ん、えーと、何て言うか・・・るるるー」
「・・・二回も使えるネタか? それは」
「どうだろ」
「・・・私は今お前に軽く殺意を覚えたのだがな、このやり場のない衝動をどうしたらいいと思う」
 夕子が人殺しの眼をして言った。
「・・・少年犯罪は刑は軽いけど、身内にも迷惑がかかるからやっぱり避けた方が・・・」
「こういうときだけ素で返すな馬鹿。・・・あのな、これはお前が撒いた種で、お前が望んだことでもある。それをやるだけやって土壇場で逃げて、どうする気だ」
 全くもって正論だと思う。
「・・・でも、さ。怖いよ。大体、六花さんって同じクラスよ? 教室入ったら中にいるわけよ? もう逃げ場とか無いんだし。怖いって、これは」
「まあ、それはそうだろうが・・・」
「だから、一日だけ。それで何とか覚悟してみる・・・つもりだから」
「全く。たかが一日で何が変わるというものでもあるまいが・・・しかし、たかが一日授業をサボったところでそう問題があるわけでもなし、か。・・・わかった、好きにしろ」
 もっと反対されるかと思っていたけど、夕子は意外と簡単に折れた。
「ん、・・・ありがと」
「ふん、礼など言われる筋もない。欠席の言い訳は自分で何とかしろ。それにノートも私は貸さんからな、他を当たれ」
「うー、いけずぅ」
「あと、今日はいいとして明日は休むなよ。わかったな」
 そう言うと夕子は足早に出て行き、私はそれを見送ってから部屋に戻ると、寮生で上級生の巻島さんが階段のところに座っていた。ジャンク食推進派の水元さんと仲がいいけど、欲望まっしぐら突進型の水元さんと違ってクールで落ち着いた、大人っぽい人だ。とりあえず私があと一年や二年歳を取ったくらいでこうなれるとは思えない。
「赤間さんっていい娘よね、本当」
 巻島さんは玄関の方を見やりつつ、妙にしみじみと言う。夕子は学校帰りに私の部屋に寄ることも割とよくあるので、学年が違っても寮の中ではそれなりに顔が知られていた。
「あ、はい、そう思います」
「というか、要領悪いわね。苦労人ね、あの娘」
「はあ・・・」
「惜しいわ、うん。あれじゃ報われないもの」
 そんなことを言いながら、巻島さんはカバンを持って出て行った。
 よくわからない。


#16

 そして私は学校には行かなかったけど、うかつに出歩くわけにも行かないので、寮から出ないでただぼんやりとしていた。欠席を病気ということにして口裏を合わせてもらう必要もあったので、大場さんには事情を半分くらいぼかして説明して、ついでに大場さんの部屋で葉月と三人で昼食を食べて、久しぶりにいいともを見たりして、何かこう、無駄に時間を浪費しているなあ、などと思っていた。
 けれど昼食の後で学校に遊びに行っていた葉月が戻ってきて、六花が授業中に体調を崩して保健室で寝ているらしい、という話を持って来た。
 ・・・私が行って特に何がどうなるというものでもないし、授業を全部欠席しておいて放課後に学校にいるところを見られるのは後々まずそうな気もするけど、じっとしていられなかった。だから私はとりあえず制服に着替えて学校に出かけた。


#17

 保健室に行ってみたら六花はもういなかった、というのでは無意味なので、とりあえず保健室の外側の窓から様子をうかがおうと、校舎の裏に回ってみた。窓は開いていて、そういえば私は保健室には身体検査くらいでしか入ったことはないけど、冷房とかはないのだろうか、などと割とどうでもいいことを考える。
 壁際を歩いて保健室の前に行き、窓を覗くと、ちょうど窓際のベッドに六花が寝ていた・・・けど、そのそばに桐山さんが座っていたので、私は慌てて窓の下に座り込んだ。
 これでは保健室に入るのも気が進まないし、さっさと帰ろう・・・と思ったけど、頭の上の窓から声が聞こえて、私は何となくそれを立ち聞きしてしまった。座っていたけど。

「・・・今度はちゃんと保健室で休んでたんだねー。えらいね、りっちゃん。やっぱり人間は学習して成長しないとねっ」
「『今度は』?」
「ほら、先月も何か死にそうな顔してたのに無理しちゃって、結局学校休んだじゃない。心配したんだから!」
 根岸さんがいなくなった次の週くらいに、六花は二日ほど学校を休んでいた。私は結局気を揉むだけで何もできなかったけど、このまま六花もいなくなったら、と思うと少し怖かった。
「ああ、・・・ごめん」
「謝らなくていいよっ。辛いのはりっちゃんなんだし」
 桐山さんは慌てた声でそう言う。
「・・・そういえば、霧恵はいつからここにいたの」
「うん、放課後だけだよ。何か、りっちゃんが死人みたいな顔で保健室に行ったっていうから、帰りに寄ってみたんだけど、りっちゃんは寝てて変な汗かいてるし先生いないしさー。だから様子を見ておこうかと思ったら、ちょっとうとうとしちゃったりなんかして」
 桐山さんは笑っている。
「・・・その、ありがと」
「いやいや、礼には及ばんのですたい」
 ・・・桐山さんは別に九州出身とかではなかったはずだけど。
「で、もう大丈夫? 何か、うなされてたみたいだけどっていうか、あれは明らかにうなされてたよ」
「うん、多分、もう平気。・・・ありがと、霧恵」
「だから礼には及ばないのっすよ」
「そうじゃなくて、今まで、色々とさ。霧恵が私のこと、友達だって言ってくれて、すごくうれしかったから。・・・私、駄目だけど、だから、霧恵には助けてもらってて、何も返せないけど、でも」
 六花の声は上擦っている。
 ・・・こんなの、聞きたくない。今すぐここから立ち去るべきだ。そう思ったけど、足が動かない。
「りっちゃんは回りくどいっていうか、理屈っぽいと思うよ? こういうときに言うことは大体決まってるって」
 衣擦れの音がした。あと、ベッドの骨組が軽くきしむ。
「りっちゃん、私のこと、好き?」
 やめて。
「・・・うん。私は、霧恵が、好きです」
 嫌。
「私もだよ」
 嫌だ。
「私はりっちゃんが好きだからさ。頑張ってるりっちゃんも好きだけど、頑張ってなくても好き。だからさ、私といるときは無理しなくてもいいっていうか、無理しないで。お願い。・・・あ、でも、手が休んでるよね。こういうときは、私の背中とか頭とかに手を回してさ、ぎゅってしてくれた方がいいよ。人肌って、いいしさ。それは無理してでもやっていただきたい」
 桐山さんは照れたような声でそう言い、また少し物音がして、私は目の前が真っ暗になった。

 桐山さんがいなければよかったと思った。そうすればこんなことにはならなかった。
 六花がいなければよかったと思った。そうすればこんな思いはしなかった。
 ・・・そして、そんなことを思う私は、弱くて悪くて駄目で最低だから、いなければいいと思った。


#18

 気がついたら夜になっていた。
 ふらふらと歩いていたらしく、周りは見覚えのない場所だ。暗いからわからないだけかもしれないけど。
 ・・・もう、このままどこか遠くに行ってそのままいなくなってしまいたい。そう思っていると、

 目の前でぎらぎらした光が閃き、
「・・・え?」
 私の前髪が少し、切れて飛んでいた。

「くけけけけ」
 変な笑い声だ。
 私の前に、私が立っている。
 いや、私は私だから、これは葉月か。
 ・・・違う。顔はほとんど同じだけど、表情、眼が違う。じゃあ三人目か。
 よく見るとその私は異様に長い、刀のような刃物を担いでいた。軽く一メートル以上はありそうな刀身は街灯の光を反射してぎらぎらと光っている。前に遠足で行った民俗資料館か何かに日本刀が展示されていて、それは工芸品っぽくてけっこう綺麗だと思ったけど、こっちは見るからに禍々しくて人殺しの道具にしか見えない。
 ・・・ちょっと待てよ。じゃあ、さっきのぎらぎらした光はこの刃物で、前髪が飛んだのは斬られたせい・・・?
「え? ええ? ちょっ・・・」
「くけけけけ。やっと状況を理解したかこのウスノロの雌豚。弱くて悪くて駄目で最低な榊卯月は生きていてもどうしようもない人間未満のゴミ虫だから。この私、榊卯月・・・いや。ウスノロと同じ名前はぞっとしない。けど名前なんか記号だしな。じゃあ榊水月でいいや。面倒臭い。水月。いい名前だ。気に入りました。くふくふ。・・・ああ、話がそれた。そうだ。この私、自分で名付けて榊水月が、榊卯月を殺しにきてやったぞ。どうだうれしいだろ喜べ。くけけけけ」
「いや、そんなの、うれしいわけ・・・」
 反論しようとしたけど、水月と名乗った少女が担いだ刀を無造作に振り下ろしたので、私はとりあえず地面を蹴って横に跳んだら、アスファルトの路面の私が立っていた場所に刀がざっくりとめり込んでいた。
 ・・・これは、当たったら、死ぬね。問答無用で真っ二つだ。
「何だ、避けるなよ。くふくふ。死ぬしかないゴミ虫のくせに死にたくないのか。しかしお前の希望は現在受け付けておりませんのだ。だから次は仕留めるからじっとしていろ。くけけけけ。これは見てのとおりよく斬れるから、多分痛みを感じる前に即死できる。首吊りなんかよりずっと快適だからオススメだ。下手に動いて腕とか脚だけ切れると痛くて死ぬほど痛いから逃げない方がいいぞ。くけけ」
 私は仕留められるのは嫌だったので、彼女に背を向けて走って逃げた。
「逃げるのか。くふくふ。しかし榊水月はお前を殺す。むしろお前を殺すのが榊水月。だから私の足はお前より速い。遅いと逃げられて殺せないからな。くけけけけ」
 すぐ後ろでそんな声がする。私は全力疾走なのに背後の声は全然遠くならないし、息も全く乱れていない。化け物かこいつ。
 ・・・というか、一メートル以上ある刀を軽々と振り回して人に斬りかかったり追い回したりするというのは、暴漢とか殺人犯というよりも普通に化け物か妖怪の類だと思う。都市伝説みたいだ。
「くけけけけ。逃げるか。逃げ切れるつもりか。まあいい。急ぐ必要もないしな。息が続くまで逃げればいい。つかず離れずで追いかけてやる。人生最後のマラソンだぞ。せいぜい楽しめ。くけけ」
 全然楽しくないけど、反論しようにも声を出す余裕も無く、それ以前に脚の余裕が完全に無くなって、足がもつれて私はひっくり返った。
 筋肉がぱんぱんに張っている。乳酸溜まってそうだな、これは明日筋肉痛になるかも、などと一瞬思ったけど、この調子だと明日を迎えられる可能性はかなり低い。
「何だもう終わりか。つまらない。いや別にマラソンは好きではないしな。好都合か。好都合だな。くふくふ」
 水月はぶつぶつ言いながら片手で刀をバトンか何かのようにくるくると回し、そのたびに周囲の街路樹やガードレールがさくさくと斬られていた。・・・いや、紙や豆腐じゃないんだからそんなに簡単に斬らないでほしい。それに斬られるガードレールにも金属としてのプライドとかそういうものは無いのか。などと無駄に現実逃避をしてみたけど、どちらかといえば目の前の光景の方が現実感に乏しいと思う。
「さて。お別れの時間となりました。具体的にはお前の首と体がお別れする時間な。いまどき首をはねられて死ぬなんてなかなかできない経験だぞ。どうだうれしいか。くけけけけ」
 ぜいぜいと息をつきながら、うれしいわけないだろ馬鹿、と心の中で悪態をついてみた。
「そういうわけで、そういうわけだ。雌豚ゴミ虫の首、ゴチになります。殺すから死ね」
 そう言って水月は刀を振り上げたけど、

「調子乗んなよクソガキ」
 いきなり声がして、水月は横に五メートルくらい吹っ飛んでいた。

「全く、いまどき手打ちだの闇討ちだの、流行んねーってー話だわよ。首刈り族かっつーの」
 さっきまで水月がいた場所に錐人が立っている。相変わらず銀髪に緑の眼でステッキを持っているけど、現実感の乏しい状況には馴染んで見えた。
「くけけけけ。今のはいい蹴りだったぞ。効いた。気に入りました」
 吹っ飛んだ水月も起き上がっている。暗いし急だったのでよく見えなかったけど、どうも錐人は水月に飛び蹴りを入れたらしい。
「あーもう、効いたんならそのまま寝てれば?」
「それは駄目だ。そこのウスノロを斬るのが私。くけけけけ。ところでその私の邪魔をするお前は何者だ」
「使う機会の限られる台詞はなるべく使っておく主義だからさ。つまりアレね、あんたに名乗る名前は無いのだわ」
「くふくふ。態度でかいなお前。でもお前と遊ぶのは面白そうだ。しかしどのみち他にも二人ほど斬らないといけないから今日急いでも仕方ない。お前の相手は後回しだ。くけけ。そういうわけで一旦退いて仕切りなおすので今日のところはさよならだ。また来るから首を洗って白装束でも着て待っていろ。遺書と遺言状も書いておくと後々面倒がないからおすすめだぞ。くふくふ」
 そう言うと水月は真上に跳躍し、そのまま近くの電柱や建物の屋根を足場に跳んで行って、すぐに見えなくなった。・・・どういう脚力だ。

 ・・・よくわからないけど、とりあえず私は錐人に助けられた、らしい。
「あの、ありがとうございます」
「ん? ・・・礼を言うのはまだ早いね。つーか、状況、把握してる?」
「・・・あの人は、葉月みたいな・・・」
「そ、あれもあんたよ。三人目」
 錐人は大げさに肩をすくめた。
「つーかさ、あんた、死にたいとか自分が存在しなければいいとか、本気で思っちまったわけ?」
「ええ、まあ・・・」
「それでアレかあ。難儀な話だわね。・・・しかも他に二人斬るとか何とか」
「その・・・すいません」
「簡単に謝んじゃねーのだわよ。・・・ま、アレは形がはっきりしているから対策も単純だし、問題はむしろ・・・」
 錐人は考え込むような顔で、何やらぶつぶつ言っている。
「・・・ああ、そうそう。あんたはとりあえずさっさと帰りなさい。今日はもうないだろうし、明日中にはケリがつく。どんな形かはともかく、ね」
 そう言うと錐人もさっさとどこかに行ってしまったので、私も当てずっぽうに方向の見当をつけて寮に戻った。


#19

 次の日は普通に登校した。保健室の件はやっぱり辛いけど、榊水月の件が無茶苦茶過ぎて頭が飽和していたので、精神状態は落ち着いていた・・・というよりは放心、思考停止に近い。
 だからぼんやりと教室で座っていたけど、昼休みに六花が来て、話があるので今日の夜に近所の公園に来てくれと言われた。前に六花と錐人が話をしているのを見かけた、あの公園だ。
 何の話なのか、それももう考えたくなかったので、生返事をして午後もぼんやりしていた。葉月や夕子が何か言っていたような気もするけど覚えていない。

 そして夜、公園に行くと、六花は先に来ていた。
「卯月。あのさ・・・」
 六花が何か言いかけたけど、
「くけけけけ」
 頭の上から笑い声がした。・・・水月だ。非常識なことに街灯のてっぺんに立っている。
 というかこいつ、わざわざ街灯の上で待ち構えていたのだろうか。
 水月はうちの制服によく似た服を着ていて、でもそれは全身ズタズタに破れていた。そんなに穴だらけだと中が見えて物騒ではないか、と場違いな心配をしたけど、よく見ると服の下にはぴったりしたボディスーツみたいなものを着込んでいるらしい。・・・理不尽に非常識なようで、意外と細かいところで節度があるのだな、などと、これまた場違いなことを思う。
 そして肩には、例の刀を剥き身で担いでいた。相変わらず禍々しい。

「くふくふ。片方ははじめまして。もう片方はまた会ったな。まさか三人のうち二人まで同時に斬れるとは都合のいい話だ。特別に二人まとめて首と胴体がお別れの時間で大変お得だぞ。得をするのは私だけどな。くけけ。どうせなら三人まとめて済めばさらにお得だけど急ぐ必要はないから残り一人は後回しだ。くけけけけ」
 ・・・そうだ。考えたくなかったけど、私が「いなくなればいい」と思ったのは私自身だけではなく、六花と桐山さんも、だ。
 水月はそんな私の内心を見透かしたように嫌な笑顔を浮かべ、
「そういうことだ。だから今から首と体が泣き別れタイムを開始するぞ。その細っこい首をばっさりやるのは想像しただけでもなかなか素敵だけど想像はもう済ませたので次は実施だ。くふくふ。ではゴチになります」
 そう言うなり刀を振りかざして街頭から跳躍した。禍々しい刃を持った禍々しい影が空を舞い、着地すると一旦バックステップをかけ、それからこっちに突進する。

 ・・・思ったことが勝手に現実化するのは私の責任ではないと思うけど、少なくとも六花と桐山さんが水月のせいで危険な目にあうとしたら、それは私の汚い思いが原因だ。
 私のせいだ。

「そ、あんたのせいだわね」
 声とともに、私と六花の眼前の地面に、水月をさえぎるように黒光りするステッキが突き刺さり、水月はそれを避けて後ろに跳んだ。
 声の主は・・・こんなステッキを持ち歩いているのは、桐山錐人だった。どういうわけか錐人も街灯の上にいて、座って足をぶらぶらさせている。
 ・・・流行っているのか? 街灯に乗るの。
 しかも何故か白い着物を着ている。革手袋はそのままで足回りもブーツなので、とりあえず変だけれど、でも似合っているような気もする。
「くけけ。またお前か。お前が私と遊んでくれるのならそれは首を二つ斬るよりももっと楽しそうだ。ぞくぞくする。それに自分で言っておいて何だが、まさか本当に白装束で来るとは思わなかったぞ。というかお前に言ったわけではなかったんだが。まあいいか。どうせ斬るのに変わりはない。くふくふ」
「全く、こっちはあんたにゃ用はねーのですけど。つーかこれは勝負服だっつーの。白服が死装束なら医者だの看護士はみんな腹でも切るってのかよ。・・・あ、医者は他人の腹なら普通に切るか。って関係ねえっつーのそんな話は」
 自分で自分に突っ込みを入れてから、錐人は六花を見た。
「さて。六花、あんたにはさっきも説明したように、このふざけた辻斬り娘にあんたが襲われるのは、そっちの榊卯月が原因なわけよ。そこで私は先月と同じようにあんたに選択を求めるのだけど、その原因、消す?」
 そう、錐人は酷薄に言った。

 錐人は、事態の解決のために私を犠牲にすることを、六花に提案した。


 

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