私と私たち(承前の承前)

 


#20

「・・・こっちの子を止めれば、済む話じゃないんですか?」
 六花は錐人に問う。
「あんた、同じことを二回言わせる気? だからさ、こんな辻斬りの一人や二人、この私にかかればどうにでもなんのよ。でも、辻斬りが十人とか百人とかになれば、ただ始末するだけならそれでも可能だけど、あんたや霧恵を守りながら、って条件付きだと保証しかねるね」
 錐人はまだ街灯の上にいる。
「そして、そこの榊卯月がいる限り、こういう面倒なガキが際限なく発生する可能性はなくならない。いや、ありていに言って、あんたが卯月を受け入れない限りは、この問題は解決しないってー話。・・・でもさ、あんた、卯月より霧恵が好きなんじゃないの? 卯月を放置しておけば霧恵の危険も消えないし、それとも卯月と霧恵を両方守るために泣く泣く卯月とくっついたりとかしようとか、偽善臭ぇこと考えてます?」
 六花は錐人を睨んだ。
「・・・また、私に、自分のために他人を踏み台にして生き残れって、そう言うんですか」
「おう、いえーす。わかってんじゃん」
 錐人は笑う。
「卯月のこと、あなただって知らない仲でもないんじゃないですか?」
「やれやれね。私の目的はまず霧恵を守ることで、次は霧恵の世界を守ること。それ以外はあくまでもついでのことで、本題にはなり得ない。だから、霧恵やあんたの安全のために卯月が邪魔なら、そりゃ残念だけど、残念なだけよ。迷うほどの話ではないのだわね」
 錐人は言い切り、六花は黙り込んだ。

「おい。つまらないぞ。いつまで待たせる気だ」
 意外なことに錐人と六花の話が済むまで黙って待っていたらしい水月が、いい加減待ちくたびれたように言った。
「さっさと降りてこい。それとも空中戦でもするか。私はそれでもいい。それも楽しそうだ。くふくふ」
「・・・ああ、あんたはそっちの二人の首が目当てなんでしょ? もういいから先に斬っちゃいなよ」
 錐人はさらっと言ってのける。
「そうか。お前と遊ぶ方が楽しそうだけど。でも邪魔をしないならそれはそれで好都合だ。お楽しみは後に取っておく。まずは始末を。最初はそっちのウスノロでゴミ虫な雌豚からだ。同じ顔は、二つも三つも必要ない。くけけけけけけけ」
 言うなり水月は刀を構えて地面を蹴り、私の方に突っ込んで来たけど、

「でも、そういうの、私はもう嫌だから」
 地面に刺さっていた錐人のステッキを引き抜いて、六花が私の前に割って入り、そのステッキで水月の刀を受けた。


#21

「っ・・・」
 一瞬、まさか六花は水月や錐人のような、普通ではない人なのかと思ったけど、やっぱり普通の人だったようで一撃で弾き飛ばされて地面に転がっていた。
「くけけけ。非力。非力だなお前。貧弱だぞ」
 水月は倒れた六花をいくらか残念そうな顔で見やり、刀をぶん、と振った。
 六花のところへ行こうと思ったけど、気がついたら私はその場にへたり込んでいた。腰が抜けている。
「全く、何やってんのかな、りっちゃんってば」
 街灯の上から錐人が呆れたように言った。
「あのさー、今のを受けられたのって、その私のステッキのおかげなわけよ? これが只の棒だったら今頃あんたの体ごと真っ二つなのだわ」
「だから・・・死にたくないなら選べ、ですか」
 六花は上体を起こし、錐人を見据えた。
「嫌ですよ、そんなのは」
「汚れるのが嫌だから死にますってーの? だせー自意識なのだわね。大体さ、この選択はあんたが生きるか死ぬかであって、どっちみち卯月が助かる目はねーのよ?」
「・・・卯月は言ってくれたから、根岸さんのときとは違う。まだ手遅れじゃない。だから」
「も一回言うけどさ、あんた、卯月より霧恵が好きなんでしょ? その霧恵を残して無駄に犬死にしようってーのかしら?」
「私は」
 六花はステッキを拾い、それを支えに立ち上がった。
「私は・・・私のことを好きだって言ってくれた人のことを・・・」
 六花は水月に対峙したけど、
「全く。これは私がお前とお前を斬る時間だというのに。私を放置して勝手にぐだぐだと喋るな。退屈だぞ。不愉快だ」
 水月はひとしきり愚痴ると一気に踏み込み、六花を蹴り飛ばしていた。
「ふん。死にたくない奴を殺すのはそれなりに面白い。殺せる奴と殺し合うのは楽しい。でも死にたがりを殺しても不愉快なだけだぞ。気持ち悪い」
 六花は倒れていた。手足がびくびくと動いているのでまだ死んではいないようだけれど、意識があるのかどうかはわからない。

 死ぬのは嫌だし、私も一応は被害者なんだから錐人の言い分は勝手だとも思う。
 けど、私や水月のせいで六花が死ぬのは違うと思った。
 だから私はまだ半分くらいしびれている脚で何とか立ち上がって、錐人を見上げて、言った。
「私を殺してください」

 錐人はいぶかしげな視線を送った。
「ふん? どういうことかしら?」
「私が死ねば、六花さんを助けてくれるんですよね。なら、そうしてください」
「死にたいっての?」
「死にたくはないです。当たり前ですよ。でも、六花さんが死ぬよりは、六花さんにそんなのを選ばせるよりは、その方がマシです」
 錐人は眉を寄せて、倒れている六花を見やった。
「私としちゃあ、六花にそれを選ばせるってのが目的なのだけどねー。つーか、あんたの意見なんか聞く義務も責任も私にはねーと思うのですけど?」
 それは・・・そうなのだろう。
 錐人から見れば私はつい最近知り合ったばかりの他人で、しかも妹とその友人を危険に晒している原因だ。さらに厄介なことに、それは一時の気の迷いとはいえ、私自身が願ったことでもある。
 私には錐人に救いを求めることも、何かを願う権利も自由もない。
「でも、私がこの状況の原因なら、私が生き延びられないのは決まっているなら、せめて六花さんに傷を残したくはないです。六花さんは悪くないはずですから」
「さあ、それはどうなのかしらね」
 錐人は眼を細めて、人差し指を上下に振った。
「あんたが死ぬことに意味があるとするなら、あのバカチンにはむしろ血が止まらないくらい深い傷をざっくりと刻んでやらないといけないのだわ」
「・・・それ、どういう・・・」

「ああもういい加減にしろ!」
 水月はさらに不愉快そうに叫び、爪先で倒れている六花をげしげしと蹴った。
「何なんだお前ら! どいつもこいつも死にたがりで! 心配しなくてもこんな薄汚い馬鹿野郎なぞ殺すものか! こちらから願い下げだ!」
 言いつつ六花を蹴り飛ばし、六花は地面をごろごろと転がった。
 そして水月は刀の先を私に向ける。
「しかしお前は生かしておけない。榊水月は私だ。私はここにいる。だからお前は、榊卯月は必要ない。お前がいてはいけない」
 水月は私に殺意を向ける。
 ・・・でも、それは私のものだ。水月自身が望んだことではない。
 私の思いが水月を生み出した。なら、水月が悪いとしたら、それは私が悪いからだ。
 死ぬのは怖い。生きていたい。でも私のせいで六花は死にかけていて、水月は苦しんでいる。私が死ぬのと引き換えに二人も救えるなら・・・ベストではないにしても、割と上出来だろう。そう思った。
「うん。いいよ。あなたをそんなにしたのは私だから、それであなたが自由になれるなら、それで構わない」
「ああそうだ。私がこうなったのはお前のせいで、しかし私がお前を憎いのさえお前のせいだ。・・・くそっ、もういい。知ったことか。とにかくお前を殺すから死ね」
 そう言って水月は私の方に突っ込んで、でも刀は構えたまま脚でみぞおちに蹴りを入れてきて、体が浮いた。
 呼吸が止まる。
 私は吹き飛ばされて地面を転がっているようだったけど、痛すぎて何がどうなっているのかもわからない。
 気持ちは覚悟でどうにかなっても、痛いのはどうしようもないか。
 体が止まって、空が見えた。水月が浮かんでいる。刀を構えて落ちてくる。
 やっぱり痛いのは嫌だし、どうせやるなら蹴ったりしないでさっさと刀でばっさりやってくれた方がまだマシだな、と思っていると、

「じゃ、そろそろ真打の出番ってーところざーますわね」
 そんな声が聞こえて、意識が途切れた。


#22

 頭に何かがごつんとぶつかった衝撃があって、意識が戻った。
 眼を開けると空が見える。まだ夜だ。市街地なので星はほとんど無いけど、一応晴れているらしく月は見えた。・・・とすると、私は地面に倒れたままなのか。
 蹴られたお腹が痛くて、あと左腕が痛いというか熱くて体を動かせなかったけど、とりあえず私はまだ生きているらしい。そういえば映画か何かで、「痛みを感じているならまだ死んではいない」とかいう台詞があったような気がする。あと「血が出るなら殺せる」って・・・それは関係ないか。
 と、また頭に衝撃があった。
「あ痛」
「おー、起きた起きた。けっこう血も出てたし、まさか死んだんじゃねーかと思ったのだわよ。あれで本当に死なせてたら私が悪者みたいじゃんか」
 錐人が私の顔を覗き込んでいる。というかこいつ、私の頭を爪先で蹴ったらしい。ひどい。
「充分に悪者だと思いますよ・・・」
「うっせー。私は自ら助くる者だけを助けるのだわ。つーか喋れんなら一応は大丈夫ね」
 首を回してみると、左腕が血まみれになっていて、シャツの袖は千切れていて腕に何か布が巻きつけてあった。覚えていないけど、あの刀で斬られたらしい。
 いや、あんなものがまともに当たったら腕が腕の形を残しているとは思えないので、せいぜいかすり傷、なのだろう。これでも充分に痛いけど。
「あの、六花さんは」
「ああ、あの天然タラシで死にたがりの大馬鹿娘なら蹴られただけで斬られちゃいないからね。出血も無いし、見た感じだと内臓も特にまずいことにはなってなさそうだし、一番軽傷なのだわ。つーか私の方が深手。どうよ」
 そう言って錐人は私の前に両手を突き出した。着物の袖は両方ともボロボロになっていて、あちこちに血がにじんでいる。露出した肌には青あざも見えた。
「あとは、あっちの辻斬りもバカチンよりは深手ね」
 どうにか首を起こして錐人の指した方を見ると、何やら遠目にもえらくズタボロになった水月がひっくり返っているのが見えた。いや、服は最初からボロボロだったけど。
「もうあいつってば何? ケダモノ? バーサーカー? ナチュラルボーンなバトルマニアなの? 最初は打撲くらいで穏便に済ませるつもりだったんだけどさー、いつまで経っても止まりゃしないからさ、面倒臭くなって本気でボディ狙ってアバラ外してやったのにそれでも全然止まりもしねーでガチで本気でフルスペックで暴れやがんのよ? 下手したらアバラで内臓やっちゃってデッドエンドよ? 結局上手いこと隙を狙って関節技で落としたんだけどさー、あいつってば頭蓋骨の中はアドレナリンしか入ってないのかしら。お姉さんもう信じらんなーい」
「・・・えーと、ひょっとして、死んでません?」
「ひでーわね、人殺し扱いかよー。私を何だと思ってんのよさ」
「・・・悪者」
「てい」
 また頭を蹴られた。痛い。
「あのねえ、あいつはそれなりに化け物じみてるけど、そんな化け物じみた手合いを無意識に発生させちまうあんたに比べたら、まだ普通の人間に近いのだわよ。そうね、あいつがジャイアンならあんたはドラえもんってとこ」
「はあ・・・」
 水月があんななのも私のせい、というのは認めるにしても、でもジャイアンは刀を振り回してドラえもんを追いかけたりはしないと思う。
「で、私は相手が化け物ならともかく、人間なら容赦する人なのね。それなりに」
 何故か少し自慢げだ。というか肋骨を外すのは「それなり」の範疇なのだろうか。
「さて、あんたも怪我人だしね。致命傷じゃないにしろ治療は必要なのだわ。つーか医者よ医者。車呼んでやっから、ちょいと待ってなさいな。あと一応警察で話聞かれると思うけど、・・・まあ、すぐ済むのだわ、多分」
 錐人はにやにやと笑った。
「・・・というか、錐人さんはもう、私をどうこうしたりは・・・」
「ああ、死にたいんならいつでも、首をこう、きゅっと締めてあげるけどね。だからさー、私は悪者じゃないっつー話よ」
 傷が痛いし、蹴られて喜ぶ趣味もないので、もう反論はしないでおいた。


#23

 結局、私は夜に公園を散歩していたら暴漢に襲われて腕を切りつけられた、ということになった。表向きには。・・・まあ、水月は客観的に見ても性別が漢でないことを除けば充分すぎるくらい暴漢なので、そう間違ってもいない。
 一応、病院で処置を受けてから警察に行って事情聴取というものも経験したけど、担当の刑事の人は初手から、
「話は桐山錐人に聞いているからそのつもりでいい。君は暴漢に襲われて怪我をしただけであの場所には二人しかいなかったし、凶器は当然ナイフか包丁に決まっているから刃渡りが一メートルもあるようなふざけた日本刀ではない。だから君がそんな馬鹿げた証言をしても私は聞かなかったことにするし、そもそも私は君の証言なんか取らないで勝手に調書を作るからそのつもりで頼む。大体、そんなものを正直に上に報告したらある意味人生終わりだぞ。なあ!?」
 と、やけに早口で、後半は少し逆上気味に言い放ち、それから、
「その、何だ、君も平穏無事に生きていきたいなら錐人みたいな人間とは関わらないで済むように気をつけた方がいい。いや、気をつけてどうにかなるとも思えないが」
 同情と諦観の入り混じった表情で付け足して、後で缶ジュースをおごってくれた。

 そして、寝不足でぼんやりした頭で寮に戻ってくると、何故か寮で待機していた夕子に、
「全くお前は何を考えている。お前は何か、私に心配させるのが趣味か。他人の胃に穴でも開けたいのか。大体お前は日頃から注意力が散漫で・・・」
 などと、甲高い声で散々に文句と説教をたまわった。もっとも、学校を休んで夜中まで外出して次の日は放心状態でさらにもう一回夜に外出して明け方にようやく帰ってきたと思ったら腕を斬られて病院と警察のお世話になっていたという次第なので、まあ、仕方ないとは思う。
 というか、とりあえず生きて寮まで戻れて、また夕子に心配してもらえるのは、うれしかった。けれどそれが顔に出たらしく、
「散々人を心配させておいて何をにやけているんだお前は、反省しろ反省」
 と、頭を小突かれた。

 数日後に、六花に呼び出されて話をした。
「好きって言われたのは本当にうれしかった。でも、卯月が私に卯月だけを選んでほしいと思っているのなら、それに応えるのは嘘をつくことになるから、できないよ。ごめん」
 そう言って六花は頭を下げた。
「ううん、そんな、六花さんが謝ることじゃないよ」
「いや、それに、そんな怪我をさせたのも私のせいだし・・・」
 それこそ水月か、でなければ水月が出てくる原因になった私なり水月をあえて放置した錐人なりのせいだと思うけど、六花はやけに責任を感じているようだ。
「あの、聞いても、いいかな」
「・・・質問によるけど」
 深呼吸する。
「六花さんは、やっぱり桐山さんのことが好きなの?」
 六花は困った顔をした。
「ん・・・好きっていうか、好きなんだろうけど、私は自分が霧恵に何を求めているのか、まだよくわからない。霧恵が私に何を求めているのかも、まだよくわからないし。でも、そばにいたいとは思う」
「そっか」
 大体の答えは出た。もういい。
「・・・ところでさ、私も謝ることがあるの」
「何?」
 ちょっと怖いけど、でも黙っておくのも卑怯だと思った。
「私、六花さんが桐山さんと保健室で話してるの、立ち聞きしちゃって・・・。その、ごめんなさい」
「あー・・・」
 六花は意外そうな、でも何か腑に落ちたといった顔をした。
「・・・うん、いいよ。保健室の近くにいたってことは、私が体調崩したの心配してくれたってこと、だよね。それに窓閉めてなかったから、外に聞こえても仕方ない。卯月は悪くないよ、多分」
「・・・ありがと」
 でも、あんまり他人に優しすぎるのは、やっぱりどうかと思った。
 言うことは言ったし聞くことも聞いたから、私は六花に背を向けた。
「あ、ちょっと待って」
 後ろから呼び止められる。
「前に、霧恵がプール行くとか言ってたけどさ。日程決まったら、声かけてもいいかな」
「・・・そんなことしたら、一日中付きまとって桐山さんと二人きりになんかさせないけど?」
「や、そんなの全然、気に・・・」
「冗談だってば」
 そのまま振り返らずに帰った。

 ・・・これで大体終わったけど、葉月と水月は別に消えたりはしなかった。葉月は錐人がツテを見つけて二学期から学校に通うことになったけど、それはうちの学校ではなく、だから寮を出て別の街に行った。
 学費はとりあえず錐人から借りる、という形になったらしい。
「ま、別に外国に行くわけじゃないしさ。つーか電車で日帰りできるし。またちょくちょく会えるよ。とりあえず落ち着いたら夏休みが終わる前にでも顔出すしさー」
 元々身一つで現れただけに大して私物を持っていない葉月は、寮を出るときも身軽だった。
「うん、まあ、そうだけど。・・・でも、部屋がまた一人になるのは、ちょっと寂しいかも」
「ふーん。じゃ、夕子ちゃんにでも来てもらえば?」
「な、お前何を言い出すか」
 わざわざ見送りに顔を出していた夕子が、何故か狼狽する。
「つーかさ、うーちゃんってば色々あったっぽいから、アフターケアは夕子ちゃんに一任するのです。任されなさい」
「命令かよ」
「そ。命令。・・・でも、私だけ仲間外れってのも、何かくやしいよねー」
 何やら考え込むような顔をしてから、葉月はいきなり私の肩をつかんで、
「じゃ、一つ貰っておくよ」
 言うなり唇を私の唇に押し付け、さらに返す刀で夕子の唇まで奪った。
「・・・え? ええ? えええ?」
「どうせ二人とも初めてでしょ? 一人で出て行くのはくやしいから両方私がもらっちゃったよ。・・・ああ、それとも女の子同士ならカウントしなくてもいいのかな」
 葉月は至って平静にそう言って笑う。
「こら、お、お前何をするか! それに何だその言い草は、どうせ初めてとか・・・」
「じゃ、経験あるの?」
「そ、そんなこと言えるわけがあるか! この馬鹿者!」
「ふふん、夕子ちゃんってばういういしー。・・・あ、ていうか今の、うーちゃんと夕子ちゃんも間接キスじゃん」
「・・・ああもう、今すぐ手打ちにしてやるからそこに直れ!」
「やだよう。ま、せいぜい仲良くねー。あでゅー」
 そんなこんなで、葉月は最後までにぎやかに出ていった。

 ・・・柔らかくてちょっと気持ちよかったような気がしないでもないのが、その、何か、残念だ。

 そして水月は、とりあえず錐人が自分で引き取ることにしたらしい。
「あいつギプスでガチガチに固めてもまだ油断してっと暴れやがんのよ。とにもう。あんなの学校に入れたら危なっかしくて仕方ないし、それに普通に学校出て就職して、ってのが向いてるタマでもねーでしょうしね。ま、あんたを死なせかけたお詫びってわけでもねーけど、当分は私が首に縄かけてしつけてみるのだわ。ちょうど助手とか欲しかったところだし」
 助手・・・できるのか、アレに。
「てーことで、あいつが落ち着くまではこの辺には顔出さないと思うし、あんたがこれ以上増えない限りは、もう会うこともないかもね。・・・つーか、また水月みてーなの出したら、今度こそ容赦しないで始末つけんのだわよ?」
「いや、そんなこと言われても・・・」
「それもあんたの心次第ってー話よ。ま、せいぜい精進しなさいな」
 そう言って錐人は笑う。
「・・・あの、聞いてもいいですか?」
「例によって質問の内容によるのだわね」
「根岸さんがいなくなったの、あなたや六花さんに関係あるんですか?」
 六花には聞けなかったことをこの人に聞くのは卑怯だと思うけど、わからないままにして間違った想像をしてしまうのも嫌だった。
「あー、それねー。あのバカチン、余計なこと口走ってくれちゃったりなんかするもんだから」
 錐人は肩をすくめた。
「ま、手短に言うと、答えはノーなのだわ。つーか私は根岸って娘と直接会ったこともないし。・・・そうね、根岸って娘が被害者だとするなら、六花も同じような被害者なわけよ。ただ、六花の場合は未遂だったってー話。そっちには私も一枚噛んでる」
「じゃあ、根岸さんは、どう・・・」
「あーそれ以上詮索しないー。勘繰るの禁止―。つーか、どうしても知りたいんなら六花に聞きなよー。あいつ根岸って名前出すだけで死にそうな顔するから、あんたがSならオススメなのだわよ」
「・・・遠慮します」
 恐らく、五月に根岸さんと六花は、私や水月よりもっと人間から外れた何かと関わった、ということだろう。そして、錐人が根岸さんと会ったことがないというのが事実なら、それはつまり、そういうこと・・・なのか。
 でも、私が「ただの暴漢に襲われた」ように、根岸さんも「失踪した」ままなのだろう。それは・・・私にはどうすることもできないけど。
「でもさー、あのバカチンのツリスケがどうして根岸って娘のことに責任感じてるっぽいのかは、正直言って私にゃ全然わかんねーのだわ。つーかあいつ私に隠し事してやがんのよ、多分」
 錐人は手をぱたぱたと振った。
 ・・・六花は誰かを犠牲にした、誰かを踏み台にして生き残った、そう自分で言っていた。錐人の発言を前提にするなら、それは根岸さんのことではないはずだけれど、なら一体・・・。
 ・・・いや、それこそ本人に確認する覚悟もないのなら、詮索するべきことではないのだろう。
「ったく、隠し事なんて生意気なのだわ。あいつ子供っぽいってーかセクハラ苦手みたいだし、一度ねっちりと言葉責めでもして教育してやろうかしらー」
 ・・・怖い。妙な笑顔だし。
「ま、万有引力のことはリンゴに任せればいいし、讃岐うどんのことは加ト吉にでも任せておけばいいってー話よ」
 意味がわからないことを言って一人で笑ってから、錐人は
「ところでさー、質問に答えたからこっちも一つ訊きたいんだけどさ。あんたあのバカチンのこと好きだったみたいだけど、今はどうなの」
 そう、訊いてきた。
「はあ。・・・いや、好き、でしたけど」
 言うだけ言って答えも聞いてすっきりしたというか諦めがついたというか、そう、「憑き物が落ちた」というのが近いかも知れない。だから、
「何か、その・・・もういいかなって」
 そう言うと錐人はけたけたと笑った。
「あー、うん、うんうん」
 何やら妙に納得しているようだけれど、どうもよくわからない。
「ま、月並みだけどこれは割と本気で思うんだけど、世の中にはいい人っつーか、男でも女でもあいつよりはマシなのがいくらでもいるからさ、引きずらないのはいいことなのだわ。それに、あんたの場合は下手に思い詰めると実害が出るしね」
「・・・すいません」
「だーからー、簡単に謝んじゃねーのだわよ。まあいいけどさ。じゃ、そういうことで」
 そう言うと錐人はどこかに行ってしまった。

 ・・・うん、まあ、悪い人ではないと思う。いい人だと言い切るには疑問があるけど。

 で、もう七月だ。
 期末試験もあるけど、それが終わったら海かプールにでも行こうと思う。腕の怪我も、その頃には落ち着いているだろうし。六花と桐山さんについて行くのはどうかと思うけど。
 都合がつくようなら葉月と、あと夕子を誘って3人でもいいかもしれない。
 ・・・六花がそこで幸せになれるなら、私もどこか別の所でそうなればいい。告白だって二回目なら一回目より上手くできるはずだ、多分。



蛇足編

 期末試験も終わって短縮授業に入った頃に、学校の帰り道で錐人に出くわし、公園で話をした。錐人はあの水月とかいう刀使いを連れていたので、正直かなり落ち着かない。何しろ一度は殺されかけた相手だ。
 水月は以前に見たときはズタズタの制服の下にボディスーツという妙な格好をしていたけれど、今日はスパッツにサイズが二まわりは大きいTシャツを着て、両腕は手首をベルトで固定されていて、首には革の首輪をつけられている。
 ・・・錐人だけでも充分に不審人物なのに、こんなのを連れていたら通報されない方がおかしい気がするのだけれど、相変わらずこの一帯の通行人は錐人を無視しているように見える。
 私の物言いたげな視線に気がついたのか、
「ああ、こいつはね。色々あって私が引き取ってしつけてんのだわ。なかなかのじゃじゃ馬だけど私にかかれば大人しいもんよ」
 錐人はそう言って水月の頭をぺちぺちと叩いた。
「うるさいぞお前。人に首輪をつけるなこの変態。変態だな。くけけ。というか首周りがうっとうしい。不愉快だぞ。いずれ殺して死なせてやるから覚悟しろ。くけけけうぎゃ」
 錐人は水月のみぞおちに膝を入れていた。・・・これはしつけというより猛獣の調教か。
「あの、ところで、その首輪は何か意味が」
 手首のベルトはともかく、首にこんなものをつけても意味はなさそうな気がする。別に縄や鎖もついていないし。
「ああ、私の趣味」
 錐人はきっぱりと答えた。・・・聞かなければよかったと思った。

「ところでアレよ、りっちゃんってば卯月に返事はしたの?」
「しましたよ、一応・・・」
「ふーん。お互い、もてる女は大変ねー」
 色々と突っ込みどころが目につくけれど、面倒臭いので無視した。
「・・・で、今日は何の用なんですか?」
「そりゃもちろん、先月の件だわよ」
「別にいいですよ。どうせ、例えばそもそもどうして卯月が分身だか増殖だかしたのか、とか聞いても、理由はわからないとか言うんでしょ?」
「うわ、大当たり」
 錐人はわざとらしく顔の横で両手を開いた。
「・・・暑いし、もう帰ります」
「ああ、ちょっと待ってよん」
 強引に腕を引っ張られた。
「・・・じゃあ、その人と、あともう一人いたらしいですけど、その二人は何のために出てきたんですか」
「まあ、結局はこいつも葉月も、卯月の願望充足のために生み出されたようなもんだけどさー。葉月はさ、卯月の周囲の人間関係を進展させる、ってのが役割・・・じゃないかと思うのだわよ。卯月には面倒臭いからてきとう言ったけどさ。水月は、これは簡単ね。卯月とあんたと霧恵の関係を、三人まとめてぶっ殺すことで決着しようってー話。いずれにせよ、目的は卯月を含む人間関係ねー」
 ちなみに水月はさっきの一撃でのびている。地面の照り返しでいい感じに加熱されているので、このまま放置しておくと熱射病にでもなるのではないか、と思わないでもないけど、あの日の夜の暴れっぷりからしてそんなにヤワな体力はしていないだろう、とも思う。
「それにしてもさ、卯月とあんたはともかく、どうしてここに霧恵が出てくんのかね。卯月にはその辺質問すんのもどうかと思ったから、うやむやなんだけど。そりゃ、あんたを見てればりっちゃんが身の程知らずにも霧恵ラブーなのは気がついておかしくないけどさ、理由としてはちょっと弱くねーです? 私の見立てだと、卯月ってばそんな逆恨みするほどアレな娘だとも思えねーのだけど。とりあえずどう考えてもあんたよりは性格歪んでないし」
「否定はしませんけど、そういうことを本人に言いますかね」
 ・・・あの日の保健室でのやりとりまでは、さすがに錐人は知らないわけか。というか、そこまで知られていたら怖いけど。
 霧恵はあの日、私の背中に手を回して抱きしめてくれたけれど、それはそれだけのことだ。霧恵は私の頭をなでるような子供っぽい一次的接触はよくする方なので、あのときの「好き」だって友愛以上の意味はない可能性も充分ある。
 けれど、どんな意味にしろ霧恵が私を大切に思ってくれているならそれで充分だし、・・・それに霧恵が私に好きだと言ってくれた、なんてことをこのシスコン女に教えたらどんな目に遭うかわかったものではない。だから黙っておく。

「あと、あなたは卯月をどうするつもりだったんですか? 結局卯月も、そっちの子まで無事で済ませたわけですし」
「くけけけけ。この馬鹿。馬鹿じゃないのかお前。どこが無事だ。肋骨折られたら充分重傷だ。下手すれば死ぬぞ。実際痛くて死ぬほど痛かった。痛かったからこれはいずれ仕返しをげふっ」
 いつの間にか起き上がっていた水月を、今度はステッキでぶん殴って錐人は黙らせた。
「こいつってば回復も早いからねー。次やるときは頭の骨でも割らねーと効果ねーかも」
 いや、それは普通に死ぬと思う。
「んー、だからさ、私としては前回も今回も、選択権はりっちゃんに預けてみたってー話なんだけどさ」
「普通に迷惑な話ですね」
 心底そう思う。
「言うね。でも元はといえばあんたが色々と難儀なのにばっか好かれんのが悪いんじゃん。この天然タラシのツリスケやーい」
「私のせいかよ! っていうかツリスケ言うな!」
「んー、まあ、冗談は置いておいて」
 だから、いちいち冗談を挟むのはやめて欲しい。
「つーか、卯月はさ、本人に自覚がないだけで、どっちかってーとあんたよりは前の灰色とか、あっち側に近いわけじゃん。実際、少なくともこの水月はあの子の精神状態の影響で出てきたっぽいし、それにその精神状態にはあんたの言動が関わっている。だからさ、水月だけ止めたって、あんたが卯月を受け入れないなら、またこれと同じことが繰り返されるか、それ以上に面倒なことが起こる可能性だって充分あったのだわよ。そういうわけで、私は卯月を犠牲にするのが一番の上策って踏んだのね」
 割とえげつないことを、錐人はあっさりと言う。
「でも卯月が案外何とかなりそうだったしねー。あの娘が精神的に安定すれば大体の問題は解決するし、それはそれでアリかなって思ったからとりあえずこっちのケダモノをぶちのめして場を収めてみた。以上」
「ずいぶん場当たり的ですね・・・」
「何よー、だったらあんたは私が卯月を殺せばよかったってーの? ひでー。それにそれならあの時そう言えばよかったんじゃねーの。大体りっちゃんってばヘタレにも程があんのよ。あんたが水月に勝てる目なんか全然ねーのに突撃かましちゃってさー。ありゃ自己犠牲どころか只の現実逃避なのだわ」
 実際、その通りだとは思うけれど。
「でも、じゃあ私はどうすればよかったんですか。あなたが卯月を殺すって・・・」
「あーもう本っ当にバカチンね。あんたにはどうしようもない事態ならさ、一人で何とかしようなんて思わないでさっさと他人を頼ればいいってー話よ」
 そう言うと錐人は私の頭をぺしぺしと叩いた。
「・・・へ?」
「だーかーらー、あんたがあの時私にさ、卯月を助けてって、そうお願いすりゃよかったってー話よ。あんたにできないことでも私にゃ楽勝なんだから、そういう場合は素直に頭を下げるのが一番なのだわ」
「・・・え、いや、だって、さっきも卯月を犠牲にするのが上策とかって」
「えい」
 今度はデコピンをされた。痛い。
「あのねえ、性格曲がってるくせに他人の言葉を素直に額面通りに解釈してくれてんじゃねーわよこのスカタン。理屈としちゃ上策だからってその通りに動くかってーの」
 矛盾したことを真顔で断言された。
「一人で生きていくなら他人がどうなろうと無視して切り捨てるべきだし、一人は嫌なら他人に依存することも必要なのだわよ。りっちゃんはどっちつかずだから困るのだわね」
「はあ・・・」
 無茶苦茶なことを言われているような気もするけれど、多分、私よりは錐人の方が人として正しいのだろう。
「・・・それはそれとして、じゃあどうして水月も助けたんですか?」
「それはまあ、アレよ。こいつは卯月の願望を充足させるために出てきたっぽいわけでしょ。だからこのナチュラルボーンキラーな性格も目的が先にあって作られたわけだしー、何しろこの私が大変に尽力したから結果的には誰も殺してないしね。そういうわけで博愛主義者な私としてはさっさと始末つけんのもどうかと思ったってー話よ」
 言われてみれば実際そうなのかもしれないけど、だからといって自分で面倒を見ようというのは、何だかんだ言って自分も過剰に親切なのではないか。葉月という娘の行き先についても世話をしているらしいし、博愛主義者を自称するだけのことはあるのかも。・・・などと感心しかけたけど、
「あとさー、こんなベルセルクでデストロイでリーサルウェポンな鉄砲玉、みすみす自分のものにしない手はないじゃんか。まあ猛獣並みに凶暴だから手なずけんのに手間はかかりそうだけど、これだけの手駒が使えるようになれば今後は楽ができそうざーます。おほほ」
「私利私欲かよ!」
 ・・・いい話を一撃で台無しにするあたり、錐人はやっぱり錐人なのだろう。
「それにね、この子も基本的に素材は悪くないからねー。磨けば光るんじゃないかってーか、りっちゃんってばいつまで経っても私に体を許してくれないしー」
「欲望まみれかよ。しかもまたセクハラかよ!」
「くふくふ。刃を磨けば切れ味が増すだけだ。そしてそれはお前の身を斬る刃。くけけけけ。下らん欲に呆けている暇があったらせいぜい用心しぎゃふう」
 今度は肘打ちが頭頂に入った。
「全く、この子ってば乱暴なんだから。教育を間違えたのかしら。そうなのかしら」
 とりあえず間違える以前に教育していないと思う。・・・今回の件の一番の被害者はやっぱりこの水月なのかもしれないと、少し思った。

「・・・で、他に質問は?」
「もういいですよ・・・」
「そ。ならいいけど。ま、他人に関わろうってんなら、やったことには最後まで責任取る覚悟が必要ってーことは覚えておくのだわ。じゃ、まったねー」
 そう言うと錐人は、地面に転がって痙攣していた水月を肩に担いで去っていった。

「責任、ね・・・」
 ・・・暑い。
 とりあえず霧恵とプールに行くのは楽しみなので、当分はそれを支えにしようと思った。



あとがき

 例によってここまでの本文を読んでいただいているものと仮定して書きますが、お忙しい中こんな長いものを読んでいただいてありがとうございます。一応「灰色の瞳の奥」の続編ですが、さらに1万字くらい増えてしまいました。

 元々は今回もりっちゃん視点の話で、それで一旦は最後まで書いたのですが、何か暗いし狂っているしで自分でもどうよ? と思ったので、脇役で壊れ系だった卯月を修正して主役に据えて話の展開もそれに合わせて変更した結果がこれです。書き直したらほとんど違う話になったうえに文字数もさらに膨れましたが。
 元々は日月冬夏とゆかさんの出番もあったのですが、視点人物を変えたら出すのが難しくなったので今回は欠席。
 その没にした分は前のをアップした直後に書いたのですが、寝かせたり書き直したりそれをさらに寝かせたりしているうちに年が明けてしまいました。

 あと「水月」は「みなづき」と読んでもいいらしいので「水無月」よりこっちの表記の方が三人並べたときに字面が揃っていいなあ、と思っていたのですが、やっぱり「みなづき」と読ませたいなら「水無月」の方がいいだろうし、「みづき」の方が他の二人と語感も揃うし、ということで読みは「みづき」で。

 そういうわけでご意見ご感想などありましたら、メールかweb拍手のメッセージ欄から随時受け付けております。


 

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