黒い聖母にまつわる三つの話とひとつの余禄 (2010.01.02.)

「や。何してんの?」
「読書ですが何か」
「そっけないね」
「じゃあ詳細に説明しますと、晴れた日の午後のひと時を堪能すべく出窓で読書にいそしんでいたら先輩に声をかけられて中断を余儀なくされた、と、そういう状況に私は置かれているわけですが何か」
「なるほどなるほど、状況は十二分に把握したわ。ところで『中断を余儀なくされた』という辺りの表現から察するに、はるちゃんは私に声をかけられるのが迷惑で私とは関わりたくないから近寄んなあっち行け、と、そういうこと?」
「そこまでは言っていません」
「オーケーオーケー。じゃ、お邪魔するから少し脇に寄ってね」
「な、ちょ、何なんですか」
「二人で座るには多少狭い出窓に収まって晴れた日の午後のひと時を堪能しつつ、ついでにはるちゃんの体の感触も堪能してみたりしたいという、人として非常にプリミティブでピュアな欲求を満たそうとしているんだけど、何か?」
「個人的な欲求を一般化しないでくださいよ・・・」
「私と同じ背景、私と同じ状況にあるならって前提ならさ、他の人もはるちゃんをスルーするなんて蛮勇はなかなか振るえないと思うよ」
「というか、感触を楽しみたいなら私なんかより自分の体でも触っていればいいじゃないですか」
「いくら何でもそれじゃ変態じゃないの。それに感触自体が目的じゃないしね。あいにくと私には水風船を揉んで楽しむような趣味は無いのよ」
「はあ・・・。で、何か用ですか」
「だからその欲求を満たす用事を今現在進行中なわけだけど、読書を中断させちゃったわけだから、代わりの座興に話題くらいは提供するよ。ねえ、黒い聖母の話って知ってる?」
「鶴岡の聖母のことですか?」
「うんにゃ」
「じゃあポーランドのヤスナ・グラの・・・」
「屋砂倉って誰さ」
「人名じゃないです。だったら芥川の『黒衣聖母』とか、それか絡新婦の・・・」
「全部違うね。っていうかどうして蜘蛛が出てくんのよ」
「そういう小説です」
「ふうん。まあいいけど。私のネタはうちの学校のさ、七不思議的なものね」
「うちに七不思議なんかあったんですか」
「いや、だから的なものよ。知らないけどたぶん七つも無いと思う。ただ、黒い聖母の話があんのよ、三つ」

 

 まずひとつ目、一番古い話だけど、講堂に聖母像があるじゃない。礼拝堂にあるのより小さいの。あれの話ね。
 なんかさ、昔は聖書研究部だとかいうお堅い部活があったとかでさ。・・・え、今もあんの。ふうん。
 まあその堅い部でさ、部員のハンカチが無くなっただか何だか、そういう教師なり警察なりに持ち込む程ではなさそうな窃盗があったらしいって話。
 それで当時の部長がね、
「暗闇の中で聖母像に手を触れれば、その者の心にやましいものがある場合にだけ鐘の音が鳴り響くといいます。誰も名乗り出ないのであればそれを試してみてはどうでしょう」
 とか言い出して、講堂の聖母像を持ち出して部室を暗くしてさ、まあどうやったのか知らないけど演劇部なり写真部なりで暗幕でも借りたんでしょうよ。・・・え、うち写真部無いの? じゃあ演劇部なんでしょ多分。
 それで全員ひとりずつ触ってってさ、まあ鐘なんか鳴りゃしないわね。で、部長がさ、
「やはり私たちの中にはそのような不心得者はいなかったようですね。しかしこのような問題を起こさないためにも、自身を律していくことが大切です」
 とか、てきとうなことを言って手打ちにしたんだけど、後日無くなったハンカチか何かが匿名で持ち主のところに戻ったのでした。めでたしめでたし。

 

「・・・めでたいんですか? それは」
「さあ? 少なくとも特に面白い話じゃないね。ま、部長ってのが犯人の当たりをつけていて、表向きは手打ちにした後で個人的に締め上げたって話なんじゃないの?」
「そうなんですか」
「いや、憶測で出まかせだけど」
「というか、特に不思議でも何でもない話ですね」
「うん、これは残り二つの話の前振りだからさ、そういう説話じみた話があったってことだけ把握しておけば充分」

 

 その聖母像の事件から何年か後の話ね。いや、何年かってのは具体的に数年後とかじゃなくてさ、はっきりしていないけどとりあえず最初の事件の関係者は卒業した後で、その話があまり有名ではないにしろ伝わっていた、そういう前提ね。
 また似たような窃盗があってさ、今度の部長も同じようなお膳立てに持っていったわけ。ただ、鐘が鳴るって件については神罰だの呪いだのの胡散臭い話を嘘か本当かわからない具体例でおどろおどろしく語っておいたらしいね。
 で、全員が像を触ってから部屋を明るくしたら、みんな手が真っ黒なのよ。でも1人だけ手が汚れていない子がいた。
 部長が仕込みのときについでに聖母像に木炭だか何だかを塗りたくってさ、やましい自覚がある奴は触らないだろっていう、そういう仕掛けね。
 そして部長はその生徒の汚れていない手をとって、
「これは残念なことですが、しかし貴方は罪が罪であることを知っていればこそ罰を恐れたのです。そして私もまた聖母像を汚すという罪を犯しました。さあ、二人で悔い改め神に祈りましょう」
 とか何とか言って場を収めた、っていう話。

 

「・・・やっぱり不思議じゃないというか、あやしい話ですね。実際あったことなんですか?
「さあね。ソースがどこであれ、伝聞情報は伝聞であるというだけで既に疑わしいものよ。しかし自分自身の眼や耳、記憶だって当てになるものじゃないわ」
「いや、そういう話ではなくてですね。その部長って人が、暗い部屋に黒く塗った聖母像があるという状況を、他の部員に黒く塗ったことを知られずにセッティングするって、地味に難しそうですよ」
「ふうん。私はさ、窃盗犯が普通に像を触っていたら部長がどうする気だったのか、ってのが気になった」
「ああ、そういえばそうですね」
「はるちゃんは他人を疑うということを、よく知らないね。それは素敵なことだけどいずれ裏切られることになるかもしれない。何なら私がずっとそばにいてはるちゃんを守ってもいいんだけど」
「できもしないことを軽々しく言わないでください」
「不可能でもなければ軽い気持ちでもないんだけどさ、まあ、それについての議論はまた今度ね。あと一つ話が残ってる」

 

 二回目の事件からまた何年か後の話ね。
 今度は何の部活だったかとかは知らないけどさ、また最初のと同じ窃盗的な話があった。そして前の事件のことを知っていた生徒が、部長か何か、それなりに場の主導権を握れる位置にいたわけ。
 で、その子も同じお膳立てをして犯人確保、と目論んだわけだけど、終わって部屋を明るくしたら触った手も像も全然汚れていなくて、ただ像の仕掛けを用意した生徒が全身真っ黒になってたんだって。

 

「ようやく七不思議っぽい話になりましたね。・・・まさかその人自身が犯人だったとか?」
「だとしたら、自分が犯人だって知っている以上、二回目と同じ仕掛けをするわけはないね。なら、それは自分をも容疑者圏外に置こうとした犯人への天罰ってことになるのかな。そうでないなら、像を黒く汚そうとしたことへの罰か」
「そっちだとしたら、ちょっと理不尽ですよね。以前同じ話があったのに」
「さあね。三つの話はどれも、信用できる記録が残っているわけでもなし、事実とは限らない。二回目の話が嘘だとしたら、そんな与太話を信じて像を黒塗りにすんな馬鹿野郎って話なんじゃない」
「野郎じゃないですよ。女子校なんですし」
「細かい突っ込み、どうもね。揚げ足取りは趣味じゃないけど、はるちゃんになら何だって取らせてあげるよ」
「取りませんよ」
「あと二回目の話が事実だったら・・・うん、他人のネタをパクってんじゃねえよって天罰?」
「えー・・・。いくら何でもあんまりです」
「そもそも天罰なんて旧約聖書の頃から理不尽なものって相場が決まってんのよ。だいたいダンテに言わせれば、異教徒はたとえキリストが生まれる前に死んでいたとしても異教徒であるというだけで地獄行きだってのよ?」
「地獄じゃなくて辺獄ですよ。それにしてもひどい話ですけど」
「でもさ、ダンテなんざ只の詩人であってキリストでも神様でもねーでございますから、鵜呑みにする話でもねーだわよ。手前っちが政争で蹴り落とされた相手を作品の中で地獄に落としてるような手合いざーますもの。まあベアトリーチェが私にとってのはるちゃんみたいな子だったんなら、そこはわからないでもないけどね」
「・・・はあ。・・・あの、先輩」
「何よん」
「私は、その、ベアトリーチェではないです」
「そりゃそうよ。はるちゃんははるちゃん以外の何者でもないし、私も別にダンテになりたくはないもの」
「そういうことではなくて、私なんかにかかずらうのは、先輩のためにもならないと思います」
「うん?」
「私、たぶん卑怯です。先輩がそれでも退かないのをわかってて、先輩を拒絶して・・・」
「・・・別に私は、『ためになる』ことのために生きているわけじゃないよ。それに貴方が自分をどう思おうが自由だけど、その自己認識を他者に共有させるのはどんなものかと思うわ」
「・・・っ」
「ああ、待って待って。伝聞の話はこれで終わりだけどさ、最後に体験談が一つある」

 

 去年の話だけどさ、寮でこっそり夜更かししてたときにその話になって、像に触って鐘の音が鳴るかどうか試してみようってことになったのよ。別に誰も盗んだり盗まれたりなんかしてないんだけど、薄暗い部屋で寮監を警戒しながらお菓子食べたりしてたしさ、普段しないことをしてテンションがおかしくなってたんじゃない?
 で、寮も後者も鍵かかってて講堂には行けないし、寮の玄関に置いてある聖母の小さい宗教画で代用しようってことになって、この時点でもういよいよ無茶苦茶だけど。
 それで夜だから電気消せば暗くなるけどさ、まだ誰も触らないうちに変な声がしたから電気つけてみたら、私の隣に座ってた子とそのまた隣の子が熱烈でディープなキスをしている真っ最中でしたとさ。めでたしめでたし。

 

「・・・いや、ちょっと、だから何がめでたいんですか」
「おめでたい話じゃない?」
「わかりませんよ。というか本当に体験談なんですか?」
「ところで私としては夜影に乗じてなんてのは趣味じゃないから正攻法で行くけど、ちゅーしていい?」
「駄目です。だいたい何が『ところで』なんですか。というか、この際はっきりさせたいんですが、先輩は私のことが、その、す、好きなんですか?」
「ほほう、今日のはるちゃんはアグレッシブだね。お姉さんはちょっと嬉しい。でも私はこう見えるようにロマンチストな乙女だから、その言葉は一回しか使わないって、決めてるんだ。今はまだ早い」
「見えませんし、わかりませんよ・・・」
「うん、まあ、それはそれとしてさ、ちゅーが駄目なら抱きしめてもいいかな。スウィートでホットでフォーリンラヴな抱擁をですね」
「・・・駄目です」
「なるほど、それが、はるちゃんは卑怯という自己認識なわけだ。つまり私は断られても退かないことを期待されてるわけね。なら遠慮なく真っ向勝負でしっかりがっつり行かせてもらおうか」
「いや、そういう・・・うわっ」

 

あとがき
 最初に書いておきますが、作中での引用事例、特にダンテについてはいい加減な調べ方しかしていないので疑っておいてください。
 数年前に書いた原稿から語りの部分だけプロットを流用して合間の会話は作り直して年末に2日ほどでガッと書いた物件です。その原稿が手元に無かったので文章そのものは全部書き直し。
 またもや地の文が無いですが、情報量を意図的に制御したかったのが半分と、あと単純に時間が無いから書かなくて済むなら別にいいか的な雑な判断です。

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