灰色の瞳の奥(承前の承前)

 


#12

 結局、錐人は私に「お守り」と称する、淡い緑色の天然石の簡素な首飾りを渡すと、さっさと帰ってしまった。
「あんたがアレに会いに行っちゃうのは、要はあんたの潜在的な願望を利用した暗示みたいなもんよ。魔法だのテレパシーだのの胡散臭いギミックなんざ、あるわけねーでしょ、当然。だからそれを持って、後は死にたくないとでも強く願うのね。アレに会いたいって願望を否定すんのよ。・・・あいにくと私はまだアレの居場所をつかんでねーんだけど、あんたがあと一晩持ちこたえられれば、明日までには探してケリをつけてあげるよ。それはもう、ばっちり請け負うっつー話ね」
 錐人はそう言い残した。
 体が透明になる時点で科学的には相当に「胡散臭い」状況だと思うのだが、私が強制ではなく『彼女』に会いたいと思ってしまっていたのは否定できない。だから私はお守りを握り締めて布団の中で丸くなり、とにかく錐人の言うとおりに一晩我慢しようとしたのだが、
 意識が飛んで、
 戻ったときには路地裏の空き地に立っていた。

 時間はわからないけれど、とりあえずまだ夜は明けていない。
 散乱した透明なかけら、錐人が言うには『彼女』に取り込まれた者の末路であり、私がそうなりつつある人間の残骸が、月の光を反射している。
 それは、怖いものだけど、綺麗だった。

 かけらに混ざって衣服のようなものも落ちている。最初に『彼女』を見たときにあった、うちの学校の制服。
 ・・・そういえば、私が最初に『彼女』を見たのは、根岸佐和子が失踪した日だった。・・・このかけらの中に、佐和子がいるのだろうか。

 ここから逃げなければ取り返しがつかなくなる、そんな恐怖が私を支配しようとしていたけれど、『彼女』の灰色がかった瞳が私の視線を捉えると、
 『彼女』とひとつになりたい、そう思ってしまった。

 しかし、それは、『彼女』ではなく、


#13

 私は地面にあお向けに横たわっていた。周囲をビルに囲まれた、月の浮かぶ夜空が見える。
 あのかけらの散乱した地面に直接横になっているのに、痛みはない。それ以前に感覚がひどく鈍い。
 手足がほとんど動かないので首を曲げて頭を起こし、どうにか自分の体の状態を眼で確認しようとしたら、

 私の体はほとんど透明になっていた。

 着ていたはずのパジャマは脱がされていて、ただ錐人のお守りだけは首に残っている。そして下半身と左腕はもう色もなく完全に透明なガラスのようになっていて、それは自分の体につながってはいるけれど、自分の一部だとは思えなかった。眼鏡も外されていたし、そもそも夜中の路地裏なので月明かりはあっても周囲は暗いのだけれど、その自分の異様な姿はいやにはっきりと見えた。
 そして『彼女』は残った右腕を抱きかかえ、肌も髪も眼も色素が薄いのにそこだけやけに赤い舌を出して、私の右手の指をぺろぺろと舐めていた。舐められるたびに私の色は薄くなり、透明に近づいている。
 色と一緒に私の中身も抜けていくようで、なら私の中身は『彼女』に入っていくのだろうか、と、ぼんやりと思った。

 と、私の意識が戻ったのに気づいたのか、『彼女』が私を見た。その瞳に捉えられると、今までにも感じたように、一緒にいたいとかひとつになりたいとか、そんな思いが浮かぶ。けれどそれはもう誰が思っているのか、誰と一緒にいたいのか、それすらもあいまいだった。
 ただ、恐怖は無かった。このまま透明になってしまえば幸せなのかもしれない、と思った。

 そして右腕もすっかり透明になって『彼女』の舌が私の胸元まで伸び、心臓が透明になったら私は死ぬのかな、などと溶け崩れたような意識で思っていたときに、
 桐山錐人は路地裏に現れた。


#14

 錐人は相変わらず例のステッキを持っていて、それを握る手にはオープンフィンガーの革手袋をしていたけれど、このときは白い着物に白い羽織を纏っていた。まるで死装束だけれど、顔を見ただけでも死ぬ気なんか全然ないのはわかる。
 その眼はただ、獲物を眼前に捉えた確信に満ちて、緑色に光っていた。

 『彼女』は錐人に何か危険を感じたようで、びくん、と体を起こすと、私から外した視線を錐人に向けた。しかし錐人はその視線を正面から受けて、
「あー、生憎と生憎だけどね、あんたの言葉は、私にゃ届かねーのよ」
 こともなげに言った。そして、
「あと、私が用があんのは、そっちの寝そべって呑気によがってるガキが先でね。手前っちの相手は後でしてあげっから、ちょっとばかし待ってなさいな。・・・あー、もてる女は忙しいっつー話よね、もう」
 そう言うと、ずかずかと歩み寄って、横たわった私の顔を見下ろす。
「や、りっちゃん。舐められて透明んなって気持ちよかった? ザマぁねーですわね全く。一晩くらい耐えてみせろっつーのよこの屈折娘」
 錐人は笑っているのか怒っているのかよくわからない調子でそう言う。私は何か言おうとしたけれど、胴体が半分以上透明になっているせいか、声が出せなかった。
「・・・ま、耐えられるようなら最初からこうなっちゃあいないんだから、そいつは無理ってもんか。・・・で、私はもう一度あんたに質問するんだけど、もう一回あんたに選ばせるっつーわけだけど、あんた、このまま透明になりたい?」
 錐人は私に再び選択を示した。

「このままそいつの中に溶けちまうってのも、あんたみたいなのには、それはそれで幸せかもしらねーだわよ。それに、あんたがいなくなれば霧恵はそのときは悲しむかもしんないけどさ、いずれ人間関係なんて、最終的には生き別れか死に別れの2種類しか結末はないわけだし、仕方ないっちゃあない話ね。むしろ将来的には、その方が霧恵のためかもしんないし」
 錐人は軽い調子でそう言うけれど、その視線は鋭く、冷たい。
「ただ、あんたが、こっち側の人間を全部捨ててそいつと心中するつもり、じゃあないってんなら、よ。それなら、私にはこの灰色を叩き潰して打ち砕いて完膚無きまでに滅ぼして、あんたをこっち側に引き戻すこともできる。この灰色を私の手の届く範囲に捉えている以上、今ならがっつり100%の成功を保証できるわよん。だから、もう1回選ばせてあげる。あいにくと私は親切過ぎて死ぬほど親切だからさ、自分で選ばないまま流されて終わるような、楽ちんで腑抜けた真似なんかさせねーっつー話よ」
 錐人は笑ったようだった。
「・・・ま、そういうこと。さっさと今すぐ選びなさい。そいつと、そいつ以外の人間とを、ね」

 『彼女』以外の人間。
 霧恵や冬夏さんは私がいなくなったらどうするのだろうか。
 ・・・どうということも、ないのかもしれない。あるいは霧恵ならそのときは泣いてくれるかもしれないけれど、しかし霧恵にとって私が特に必要な存在かといえば、それは違うだろう。冬夏さんだって、無断で失踪するなとは言っていたけれど、別に私が必要なわけではないはずだ。
 私はそんな存在ではありえない。
 なら、『彼女』に溶け込んでしまう方が、いいのかもしれない。少なくとも『彼女』は私を求めている。
 ゆかさんは・・・あの人は私を育ててくれた。一緒にいてくれた。理由も事情も知らないけれど、私のことを好いてくれていると、自惚れてもいいのかもしれない。
 けれど、私なんか、いない方がゆかさんのためなのかもしれない。私にはとても受けただけのものを返すことなんか、一生かかってもできそうにない。だから・・・。

 ・・・違う。
 私は周囲にとって邪魔なだけかもしれない。私にはどうあがいても受けたものを返すことはできないのかもしれない。私は誰にも愛されていないのかもしれない。
 けれど、私はあの人たちが、好きだ。
 冬夏さんの煙に巻くような話を聞きたいし、霧恵と定食屋に行って猫を眺めながら煮魚を食べたりもしたい。ゆかさんと一緒に、そう、ゆかさんが拒まない限りは、一緒に暮らしたい。そしていつかは、多少なりとも何かを返せる、与えられると信じてみたい。
 そう思った。

 ・・・錐人は私に選べと言った。
 私がこちら側に留まることを選ぶなら、錐人は私と『彼女』との間を引き裂き、此岸と彼岸との間を引き裂き、その言葉どおりに『彼女』を「叩き潰して打ち砕いて完膚無きまでに滅ぼして」排除するのだろう。
 私が『彼女』を選ぶなら、私は『彼女』に溶けて消えてしまうのだろうけれど、私が『彼女』以外の人間を求めるのなら、『彼女』を犠牲にすることになる。『彼女』は人間では、此岸のモノではないのだろうけれど、『彼女』は私を自分に取り込んでこの世から無くしてしまおうとしたのだろうけれど、しかし私が生きることは『彼女』を殺すことだ。

 ・・・けれど、それでも、私は私の周りの人たちと一緒にいたい。

 そう、言った。そして、それは声になったのかどうかもあやしいけれど、錐人には通じたようで、
「そうかい。オーケー。なら、こいつは私が始末する」
 そう言うと錐人は『彼女』を射るように見据え、私も『彼女』に視線を向けた。
 と、視界が急激にぼやけて、


#15

 どこかわからない場所。
 私の周りには路地裏も透明なかけらも錐人の姿もなく、私の前には、白い肌と銀色の髪と灰色がかった瞳の『彼女』はいなくて、代わりに根岸佐和子らしい姿が浮かんでいた。

「・・・根岸、さん・・・?」
「『私』は彼女ではないけれど、根岸佐和子と呼ばれる存在は、『私』の中にいるわ。正確には、彼女を構成するあらゆる情報は、『私』と共にある」
 それは声なのかどうかもわからないけれど、その佐和子の姿をしたものの意思は、私に伝わってきた。
「どういうこと?」
「あなたには『私』そのものを認識することはできないから、私の中にあるあなたが知っているかたちを借りているの」
「じゃあ、さっきのは・・・」
「あれは、あの姿も、あなたの心を写した鏡像にすぎないわ」
「あなたは何なの?」
「あなたとは違うものよ。人間ではないもの。だから人間を知ろうとして、その情報を取り込もうとした。そしてそれは、人間の概念で言うなら、あなたたちの生を奪うことになってしまったようね。それは、『私』にはない概念だけど。・・・けれど、『私』は人間の心を見て、それをもっと求めてしまった」
「・・・何を言っているのかわからない」
「あなたが根岸佐和子として認識していた存在は孤独を感じていたわ。満たされない寂しさを感じ、それを他者との交流で埋められると思い、そして埋めることを願っていた。だから実際にそれをすれば、彼女が求めていた他者とひとつになれば、『私』の中に取り込まれた根岸佐和子が満たされるのかどうか、試してみたくなった」
「それが私なの?」
「そう。あなたの使う言葉で言うなら、根岸佐和子はあなたが好きで、あなたを求めていたのよ」


#16

 視界が路地裏に戻る。
 『彼女』は、私の心を写した鏡像だというその姿は、既にあいまいな輪郭しか見えなくなっていた。それが立ち上がり、そして『彼女』の正面には、錐人がいた。
「・・・そういうわけで、私の大切な妹の、あまり大切でもない知人のお願いだから。 悪いけどさ、消えちゃって」
 錐人は羽織を投げ捨てると、ステッキを肩に構え、渾身の力で『彼女』に投げつけた。

 その瞬間、私は何かを言おうとしたけれど、
 それよりも早く、ステッキは『彼女』の胸のあたりに突き刺さり打ち抜いて、『彼女』はガラスか陶器のように、粉々になっていた。


#17

 錐人に救出された時点で私の体は頭と胸以外ほとんど透明になっていたのだけれど、錐人は特に動じることもなく、
「ま、こりゃ麻痺みたいなもんだから。とりあえずもうアレはいなくなったし、1日寝てりゃ動けるくらいには回復するよ、多分」
 そう呑気に言い、実際2日後には、よく見れば少し透明感が残っているようでもあったけれど、体の機能は1人で歩ける程度に回復していた。
 ちなみにその間私は霧恵の家に泊まっているということにして、ゆかさんに対してはごまかしていたけれど、実際には錐人が物置として借りているというマンションに彼女と2人で泊り込んでいた。錐人はそのせいで霧恵と離れて1人で私を看病しないといけない、とぼやいていた。
 透明が抜けきらないうちに霧恵に体を見られるのはまずい、ということはわかるけれど、でも錐人は単に私が霧恵と同じ場所で寝泊りすることを避けたかっただけなのではないか、と疑わないでもない。・・・などと思っていたら、
「何考えてんのかしんないけどさー、私はあんたが霧恵に手を出す、なんて心配はしてねーわよ? つーか、あんたにそんな甲斐性あるわけねーし」
 そう言われた。・・・別に、私は霧恵をそういう目で見てはいないのだが、甲斐性が無いというのは、それは、そうかもしれない。
「あー、むしろ私が今のうちにあんたに手を出すっつーのはアリかもしんないけど、ネクロフィリアの趣味もねーですから、体が動かない相手は、ねえ?」
 ・・・何でこう、この人は変態臭いことばかり言うかなあ、と思ったけれど、その時はまだ声が上手く出せなかったので黙っておいた。

 そして2日ほど休んでから学校に出ると、隣の席の春日翠が相変わらず机に突っ伏したまま、
「おひさ。・・・どうよ、続けて学校サボった気分は」
「一応、サボりじゃないんだけど・・・」
「じゃ、やっぱり桐山が言ったとおりに病気で体調崩したわけだ。全く。・・・あいつさ、傍目にこっちが心配になるくらいキョドってたよ」
「きょど?」
 翠は面倒臭そうにため息をついた。
「挙動不審。こんなことなら縄かけて引きずってでも病院に連行するべきだったとか、そんなこと言ってた。・・・袖擦り合うも他生の縁ってくらいだから、おせっかいで言わせてもらうとさ、桐山には詫び入れといた方がいいよ。仮にお前が悪いんじゃなくて不可抗力だったとしても、だ。お前みたいなろくでなしのせいであんないい子がおたおたすんのは、見てて心苦しい」
「ろくでなしって・・・」
 ずいぶんな言い様だけど、大筋では翠の意見は正しいと思う。
「あとさ、何だっけ。あの大女。棺だっけ?」
 ひつぎ・・・ああ、日月冬夏。冬夏さんのことか。
「あいつも教室見に来てたから、どういう奴かは知らんけどてきとうにフォローしときな。・・・それにしても何よ、お前ってろくでなしのくせにモテモテじゃん」
 それは・・・どうなのだろうか。私にはわからない。


#18

 それから数日後、たまたま帰宅途中に近所で錐人と出くわし、そのまま近くの公園まで誘われてベンチで話をした。今度は着物ではないけれど、ステッキはまた持っているし、瞳は緑色だ。
「・・・何なんです? 話って」
 錐人はおおげさにため息をつくと、
「あのね、私も別に、あんたなんかと油売ってる暇があったらさっさと帰って霧恵と話でもしたいのよ? 勘違いすんなよな、わたしゃあんたには、体にしか興味ないんだかんね」
 いつまでそのセクハラネタを引っ張るつもりなのかこの人は。
「つーかさ、こないだの件はもう大体終わったから、一応の当事者でもあるあんたに、できる範囲でネタばらしをしてやろうっつー話。あー親切だよね私ってば。もう死ぬほど親切」
 これ以上錐人に恩を着せられるのは気が進まないけど、あの件についてはわからないことばかりだ。だから説明は聞いておきたかった。
「でさ、あの灰色だけど、あれがどこから来て何が目的なのかは実際わかんねーのよ」
 わからないのかよ。
「いきなりですね・・・」
「っさいね。だけどさ、アレの習性っつーか性質は全く不明でもないのね。アレは視線で暗示をかけることができて、見られた相手の願望をそのまま投影する、らしいのよコレが。要するに、例えばあんたが『寂しいよう、誰かと一緒にいたいよう。しくしく』とか思っていたら、アレと視線を合わせれば、アレが『あんたと一緒にいたい』と思っているように感じちゃう、つー話ね」
 例えが図星っぽいのが気に入らないけれど、やっぱり『彼女』の「言葉」、「思い」は、私のそれの裏返しでしかなかった、ということらしい。
「要は鏡よ、鏡。この世の中で一番美しいのはそりゃ霧恵に決まってんだろっつー話でそんなもん言うまでもないけどさ、ま、とにかく鏡だから、見た目も・・・傾向としちゃ全体に色素が薄く見えるようだけどさ、自分が思っている相手とそっくりになるらしーわよ。あいにくと私には、のっぺらぼうにしか見えなかったけど。だから灰色っつってるけど、実際見てみてもアレが灰色なのかどうかは私にゃわからんかったのよ。何しろ眼がどこにあんのかも見えなかったしー」
 そういうことなら、普段の発言からして錐人には『彼女』が霧恵に見えるのではないかと思ったけれど、この女はそれほど単純ではないようだ。
「あんたにはアレが特定の誰かには見えなかったみてーだけど、そりゃあんた、気が多いせいよ? やーいこのムッツリスケベー」
 いちいち引っかかる言い方だが、言われてみれば『彼女』はどこかで見たような、誰かに似ているような気がしたけれど、全体の印象はあいまいだった。
「だから誰にでも暗示が通用するわけじゃねーのよ。・・・つーか、逆に言うならアレに引っかかる奴ってさ、大体は欲求不満のさびしんぼなのよー」
 錐人はそう言うと、にやにやと笑った。
「妹の友達をいじめて喜ぶなんて、ずいぶんと変態くさい趣味ですね・・・」
「知人だっつの。・・・まあ、そういうこと。質問は?」

 根岸佐和子のことを、ふと考えた。
「・・・あの、いちいち私に選ばせましたけど、もし、私があなたに助けを求めなかったら、あなたはどうする気だったんですか?」
「どうもこうもねーわよ。あんたが食われる一部始終を後学のために見学させていただいて、その後でアレを始末して終わり」
 錐人はあっさりと言ってのけた。
「さ、最初から殺す気だったのかよ!」
「たりめーっしょ。アレが、暗示のききにくい相手は食わねー、っつー保証なんかねーんだから。放っといたら霧恵に危険が及びかねないでしょ? だから、この近辺に出るああいう類は、基本的にゃ全部潰すのが私の流儀よ。言ったじゃん、落ちそうな石橋を叩き潰しておくのは姉の仕事だって」
「ああ、もう、全く・・・」
「・・・だから、あんたのせいでアレが死んだとか気に病むこたあ、ねーのよ。やったのは私なんだしー」
 視線を外して、錐人はそう付け加えた。
「いちいち見透かすようなこと、言わないでください」
「あ、図星? 本っ当に単純っつーか、わかりやすい屈折してんのね。もう感心するよ」
「・・・やっぱり趣味悪いですよ」
「ま、いーじゃんか。お互い様だし」
 そう言って笑ってから、錐人は少し眉を寄せて、
「・・・つーか、あんたってさ、あの手の人間じゃねー相手に目をつけられやすい体質なのよ。自覚しちゃいねーんだろうけどさ。そうやって平然と生き延びている以上は自覚があるんだろって、最初は思ってたんだけど」
 自分がどういう人間か自覚、って・・・まさか、そういう話なのか。
「だからあんたが霧恵のそばにいんのは、どうにも気がかりだったんだけどさ、今度の件で考え直したよ」
 錐人は私をじっと見つめる。
「あんたが囮になりゃ、霧恵はむしろ安全かもしらんってさ」
「わたしゃ囮かよ!」
 最悪だこいつ。
「や、実際のところはね、あの日もアレの居場所を特定するのが面倒だったし、悠長に足を使う余裕も無かったから、実はあんたの方に網をかけといたのよ。蜂の巣を探すなら蜂を探して後を追っかけた方が早いっつう話? 頭いいよね私。逆転の発想! まさにコペ転!」
「あんたもう帰れ!」
「いいじゃんかよー、上手く行ったんだし。怒んなよー。つーかあんた、あれなの? いまどきの切れやすい若者って奴? ひょっとしてかばんにバタフライナイフとか入れてたりする? 一つ忠告するとさ、あんなうっすい刃のへちょいナイフじゃ職質には引っかかっても人なんか簡単には殺せないよ? やる気ならむしろ先の尖った雨傘とかの方がまだ役に立つやね」
「ナイフなんか持ってませんし人を刺したりしません!」
「いや、雨傘ってあれで凶器としちゃ使えるのよ? こう、頭をめった突きにしてさ、上手い具合に眼に刺さったらそのまま突き込んで奥にある脳味噌を・・・」
「や、やめてください! 想像しちゃったじゃないですか!」
 気持ち悪い・・・。
「あによー、怒んなくてもいいじゃんかよー」
「いい加減にしてください、もう。・・・じゃあ、あのお守りは」
 あれは実はまだ持っていて、首にかけてはいないけれど、今日もかばんに入れてある。
「ああ、あれな。ありゃ正真正銘、掛け値なしに本物のお守り。・・・つまり、科学的には只の石ころだけど」
「石ころって!」
「いいじゃんかよー。イワシの頭も信心から、とか最近のガキは知らねーのかしら。これもゆとり教育の弊害ってことなのかしら。そうなのかしら」
 知っているけど、そういう問題だろうか。
「元々は私のなんだから、一応大切にしてよねー。根拠はねーけどさー、トルマリンとかマイナスイオンとかよりは、効き目もあるんじゃねーかと思うのよねー。うん、多分ね。きっと」
「はあ。・・・じゃあ、そのステッキは何なんですか?」
 着物まで着てきたくらいだから、てっきりそれも仕込み杖か何かかと思っていたのだけれど。
「何って、まあ、鈍器よ。量販店じゃねーけど」
「そうですか」
「スルーかよー、つれない奴ね。・・・ま、わたしゃ超能力者でも魔法使いでもないから、得物は何でもいいっちゃあいいのよ。だからこれも、そこそこ丈夫だし気に入ってるから使ってるってだけで、別にバットでも雨傘でも日本刀でも拳銃でも構わないんだけどさ。ほら、日本って拳銃とか長い刃物とか持ってると逮捕されんじゃん」
「されますね、そりゃ」
 というか、錐人の言動ならそんなもの持ち歩かなくても逮捕されかねないと思う。
「・・・っていうか、超能力とか魔法とかじゃなくても、あれをバラバラにしたりとか、できるものなんですか?」
「だから実際したじゃんか、見たっしょ? ・・・まあ、何つーかね。普通に鉛筆を削るなら削り機使った方が早いし、それ以前にシャーペンで用は足りるけどさ、絵を描く場合には鉛筆をナイフで削った方が具合がいいっつーか・・・違うか。まあ、とにかく、使うのが私で、相手が普通の人間じゃなくああいう手合いなら、ドスとかハジキよりこの杖の方が頼りになるってーことよ」
 ・・・わかったようなわからないような。

「あと、網を張っていた割には、来るのが遅かったように思うんですけど」
「ああ、あれね。一応、相手の手の内は見極めておきたかったし。何しろ得体の知れない相手だからさー、いきなり殺人光線とか撃ってくるかもしんないじゃん?」
 殺人光線って・・・ずいぶんと懐かしいというか、古臭い響きだ。
「それにもしアレが2人以上いたら色々面倒だし、不意打たれたら私でも、いや、あんなのが何人いようと私が負けるなんてことあるわけねーっつー話だけど、もしそうなると、あんたまで面倒見きれるかどうかは何とも、ね。だからしばらくは様子を見させてもらったわけ。悪かったね」
「それは、・・・まあ、嫌ですけど、仕方ない・・・」
「あと、後学のためにあんたが食われかけてるとこも少しは見ておこうかと思ったんだけどさー、つい見入っちゃってぎりぎりまで粘っちゃったのよさ」
「・・・は?」
 見入ったって、何にだ。何にですか。
「や、あんたって普段は何かっつーとツンケンしてんのに、裸に剥かれて舐められてぐったりして、眼なんかとろんとしちまってるからさー。私ったら、不覚にもちょいと劣情を催しましたとさ。いやん」
「ふざけんなこのバカチン!」
 こいつやっぱり変態だ。
「いーじゃんかよー、赤の他人のあんたをわざわざ助けたんだし、そのくらいは役得ってことで大目に見ろよー。別にデジカメで写真撮ってネットに流したりしてないんだしー」
「してたら犯罪だ!」
 というか、本当にやっていないものかどうか不安だ。
「いやー、何つーの? あんた普段がずいぶんとずいぶんだからさー、あのギャップがまたポイント高いっつーか。わかんないかね、そういう微妙な情緒っつーの?」
「わかるわけないだろ!」
「それにしてもあんた、本っ当に細っこいのよねー。中学生とかならまだしも、15歳過ぎてもそんな脚細い娘は滅多にいないっつー話だけど、脱いだらまたすげーのね。見てて胸がきゅんとしたよ」
「んな、な、何を言って・・・」
 と、錐人は私の顔をじっと見て、
「・・・つーか、今のは冗談であんたをからかってみたわけなんだけどさー。でも実際、ガード崩れるとそれはそれでかわいいよね、りっちゃんってば」
「んななっ・・・」
 ななな何を言うかこいつは、と硬直する私をよそに、
「もちろん、霧恵よりは大分落ちるけど。ま、どうでもいいんだけどさ、好きな相手には構えないで当たった方がいいんじゃないかっつー話よ。私は別に言葉責めにして遊ぶだけでも楽しいから、あんたが構えてたって知ったこっちゃねーんだけどさ。むしろ構えてるところを崩さないと面白くないし」
 そう言うと、錐人は立ち上がる。
「じゃ、まったねー。あんたが霧恵につきまとう限りは、今後も会わずに済ませるわけにはいかねーだろうしさ、せいぜいよろしく頼むよ?」
「ちょっと、つきまとう、って、それ・・・」
 勝手なことを言うだけ言うと、錐人は反論を無視してさっさと立ち去ってしまったので、
「・・・口で言うほど簡単じゃないし」
 聞こえないように反論しておいた。

 自己申告なら「超能力者でも魔法使いでもない」のに、あんなものを相手にしている錐人自身が何者なのかを聞き忘れたけれど、・・・彼女が言ったとおりに今後も会うことになるのなら、いずれ知る機会もあるだろう。
 というか、知らずに済めばその方がいいのかもしれない。


「はあ・・・」
 とりあえず錐人のおかげでいくらか気が紛れたのは事実だけれど、やはり根岸佐和子のことは、当分忘れられそうにない。
 そもそも『彼女』の言ったことが正しいかどうかはわからないし、それ以前に錐人の攻撃の直前に見たあの対話が、私の幻覚ではない、という保証もない。根岸佐和子は『彼女』とは無関係に失踪しただけなのかもしれない。
 しかし、佐和子が私を好きだったのなら、私が最初に佐和子の好意に気づいていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない、とも考えてしまう。
 あの対話が事実で、錐人の言ったことも正しいとするなら、佐和子は『彼女』に私の姿を見て、そのせいで・・・。

 けれど、実際には、私がそれを知ったときには佐和子はもういなくなっていたし、私は佐和子の残影を見捨ててこちら側に残ることを、選んでしまった。
 ただ、佐和子が私に好意を持っていてくれたのなら、それはうれしいと思う。佐和子を救えなかった私がそんなことを思うのはひどく身勝手だけれど、でも、あるいは自分にも他人に好かれることができるのかもしれない、と錯覚できるなら、私は生きていけるのかもしれない。
 それに、『彼女』と佐和子の残影を踏み台にして生き残ってしまった私は、なおさら、これからも生きていかないといけないのだろう。

「・・・帰ろう」
 家に。ゆかさんが待っているし。



あとがき

 ここを読んでおられる方はこの手前の文章も読んでいるものと仮定して書きますが、まずはお忙しい中こんな長ったるいものを最後までお読みいただきありがとうございました。ワープロの文字カウント機能を使ったら2万7千字くらいあって腰が引けました。

 そういうわけで、何か、こういう話です。今までのとはちょっと違うノリですが。アップすることの不安さに関してはこのコンテンツを開設したとき以来ですが、今日のためなら明日は要らないという心意気で行ってみました。この手の心意気は結局明日以降に後悔する可能性が高いことも割と歴史が証明していますが。
 ちなみにここにアップした文章の中でははじめて死人が出る話ですが、一応、できるだけのことはしてみたつもりです。

 アップ直前に某登場人物の名前を一括変換で変更したら(主人公の教室の席順を50音順と仮定して矛盾が出ないように修正)致命的に意味が通じない部分が発生していたので一旦公開を中止して、修正ついでにあちこち手を入れたのですが、その過程でさらに3000字くらい増えてしまって収拾つかなくなりそうだったので作業を打ち切ってアップしてしまいました。

 それと今回は話の都合で「セミ星人の地球侵攻の尖兵たるロボット怪獣・ガラモン」とか「大判小判がハイザック」とかその手のネタをほとんど入れられなかったのでちょっと欲求不満気味なのですが、入れたら入れたで今より余計ひどいことになっていたような気もしますが。

 そういうわけでご意見ご感想などありましたら、メールかweb拍手のメッセージ欄から随時受け付けております。


 

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